完全なる悟りに至るには
先程の質問ではたくさんのご回答ありがとうございます。ひとつひとつ読ませていただきました。
私が経験したのが「悟り」であったかはさておき、お釈迦様への敬意は揺るぎないものとなり、さらなる修行を積む決意はできました。そこでお聞きしたいのが、「完全な悟りを得るためには具体的に何をすればよいのか」ということです。
無教養なので瞑想以外に修行方法を知らず、経典もさっぱりわかりません。
ご教授願います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは。
四海さん、こんにちは。
凄いですね。いろんなアドバイスを理解したのですね。
そこで私もアドバイスしたように、
まずは、学校の勉強をしっかりとするということです。学校の勉強すらクリアしていないのであれば、悟りは100%得ることはできません。
そして仏教系の大学に行って、仏教知識を得ること。四海さんが説明できない状況と書いてあったように仏教知識がなければ、それを説明することはできません。
そして選んだ寺住職の弟子となって、出家の立場でも在家の立場でも修行を始めるということです。もっと専門的に極めたいのであれば、出家得度もいいでしょう。そして本格的な修行に入るのです。
それが一番の近道です。
そして完全なる悟りはいつ悟れるかということは、わかっているから安心してください。今世はぜったいに無理です。なぜわかるかと言えば、お経で次に成仏する人はもうわかっているからです。お釈迦さまの次に成仏する人は、弥勒菩薩という修行者で、あと56億7千万年後に悟りを開くそうです。
それまでは仏陀は生まれないわけですから、私たちは一番早くても56億7千万年以上の修行が必要だということです。長い年月だと思いますが宇宙の年齢でいうと一瞬の早さです。
四海さん、お互いがんばって早く成仏するために修行しましょう!(笑)
合掌
こうして悟りを求めることが大切
悟りというもののビジョンを作らないことが大切です。こんなものだろうななんで考えても意味がありませんし妨げになります。
出家はあえてしなくてもいいと思いますよ^_^
そして導いてくださる正師との出会いがあると近道になると思います。独りで模索して悟ることもできないことはないのでしょうがお釈迦様も相当な苦労があったはずです。
その後は師匠から弟子へと伝わる正伝の仏法がある訳です。その師匠を見つけるのが重要です。
「さとり」という言葉に代わる表現方法をみつけること。
前回の質問と併せて、拝読させていただきました。
「さとり」という言葉は、この世で最もあやふやで不器用な言葉のひとつだと、私は思っています。
もし、あなたが体験した「感覚」や「心の状態」を証明したいのであれば、
(1)それを「さとり」という単語を使わない表現方法でアウトプットすること
(2)表現の技術を磨いて、その説得力を上げていくこと
が、必要不可欠だと思います。
それが、ある程度の形になってきてようやく、自分以外の人にも納得してもらうことができるし、そこから「本格的な人助け」というものが始まるのではないか、とも思います。
そのためにも、「さとり」という単語や「さとり」へのこだわりは、いったん脇へどうぞ…!
今のあなたにとって、無用の長物かもしれません。
さて、そんなわけで…あなたの次の課題は、「心の中の風景を、物質的な世界に反映するための表現力を養うこと」だと思うのですが、いかがでしょう?
芸術、スポーツ、学問、医療、科学、政治、技術開発、会社運営、社会活動、etc…
何でも構いません。いくつでも、どんな形でも、軽い気持ちでも構いません。あなたの心惹かれることに、自らの意思で携わり、色んなことを学んでみて下さい。
すると、
(1)瞑想や仏教の中に限らず、また、規模の大小にも関わらず、世界中のどんな分野であれ、「心の風景」を美しくアウトプットしている人間や活動に出会うと思います。
(2)それらに触れ、心と身体と論理による経験と学習を積むことによって、世の中が明るい方向へと導かれているという事実やその理由が、すこしずつ理解できるようになると思います。
(3)上記ふたつが、直接的であれ間接的であれ、あなたが実現したいと願うことを手助けする糧となると思います。
(4)そして、あなたが瞑想の中で経験した出来事の仕組みは(さとりかどうかも含め)、その道中で自然に明確になってゆくと思います。
…まわりくどい言い方ですね。笑
私の至らなさ、どうぞご容赦くださいませー
まあ、ざっくりいうと、
あなたは、何を通して、この世に生かされている喜びと敬意を表現してみたいのか?
この問いかけさえ忘れなければ、どこでなにをしていようとも、あなたが求める生き方へのヒントがみつけられるはずです。
以上、参考になれば幸いです。どうぞ、お励みをー!
合掌
六波羅蜜の実践
四海様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
前回において述べさせて頂いておりますが、円満なる悟りへ向けては、智慧と福徳の二資糧の集積が必要となります。
二資糧の集積へと向けて、大乗仏教においては、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の実践を進めることが推奨されることになります。
是非、六波羅蜜についてもこれからの学び、実践の中で意識して頂けましたら有り難くに存じます。
とにかく、正式に仏道を歩むためには、三宝への帰依と共に、全ての迷い苦しみにある衆生たちを救うために、悟りを得たいという「菩提心」を育み、そして、やむなくに犯してしまった戒律違反の行為、あるいは、悪い行い(悪業)の数々を「懺悔」すると共に、守るべき戒律を守ることに努力しつつ、六波羅蜜の実践に取り組み、自利利他を円満に成就して、煩悩障と所知障の二障を断滅することが、悟りへと至るために必要となって参ります。
但し、何もわからないままに、また学問だけで進めていくのは、何も装備も無いままに、険しい山道を登るようなもの。先導役が無ければ迷って遭難したり、途中で滑落したりしてしまいかねません。
邦元様が既におっしゃられていますように、やはり、しかるべき正師により、正式に仏道に入られるのが良いのではないかと存じます。
ちなみに、拙生の根本上師・正師は、僭越ながらにも十四世ダライ・ラマ法王猊下様でございます。
また、毎日のお勤めにおいては、必ず、三宝帰依、菩提心の生起、戒律(別解脱戒・三聚浄戒・三昧耶戒)の保持誓願、慈悲心の滋養、上師瑜伽の実践を行い、行いをより善くしていくため、仏道を少しでも前へと進めていくために、日々努めさせて頂いております。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
丁寧なご回答ありがとうございます。やはり師に出会うことと学問に励むことが大切なのですね。未熟者ですのでこれからも怠らず精進します。