仏教の実践について
怒りを最小限にする、欲を少なくする実践がなかなか上手くいきません。
一年くらい前も坐禅や瞑想、掃除、料理などに励んでいたのですが、挫折してしまいました。
再び仏縁があって、今は仏教書をよんで実践しています。
始めた頃は落ち着いた感じで、安らぎも感じられますが、続けていくと何故か苦しくなってやめたくなります。
苦しみからは逃れられないのですか?
また、実践を続けた方がいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「スジャータの乳粥」(欲の象徴)を受け入れるということ
その実践が「欲を少なくしたいという欲」からはじまっているならば如何でしょうか。
あなたが嫌う欲があなたの意志で起こしたものならば、自らの意志で制御できるかもしれません。
でもその欲すらもあなたが起こしたものでなく「起こったもの」「起こるもの」だとしたら、そもそも「欲も含めてまるごとあなた」ということです。
釈尊はなぜ苦行を捨てたのか。
がヒントになるでしょう。欲も苦しみもあなたと一つと受容できるところに「欲に溺れない」、「苦にとらわれない」視座が生まれると思います。
それは「欲が起こらない」、「苦が生じない」ということではありません。
あなたが、スジャータの乳粥に出会うことを願っています。
中道を心がけてみよう
仏教には「中道」(ちゅうどう)という考え方があります。
ストイックに修行一筋にいくのも、欲望のままに享楽的にいくのも、どちらもNGなのです。
どちらかに偏ることなく、バランス良く仏の智慧を実践し、日常生活の中に活かしてゆく。
そんな生き方を目指してほしいな^^
くれぐれも無理は禁物ですよ。
かたよらない。
こだわらない。
とらわれない。
ですよ~
分かります。。
りんこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
何となく分かる気がします・・
どうしても仏教を学べば学ぶほどに、実践すべきことも増えていってしまいますので、結構しんどくなってくるのですよね・・
最近、実感しています・・
とにかくあまり無理せずに、できることから一つ一つ自分のペースに合わせて行うことが大切となります。あれもこれもとしてしまっても、逆に煩雑になってしまって、本来の目的から外れていくことも・・
りんこさんも、本当は苦しみを無くすための仏教の実践であるはずなのに、苦しくなってしまっていては、まさに本末転倒・・
少しずつ、焦らずにです。
参考までに、怒りを少なくするには、「慈悲」を、欲を少なくするには、「空」を、自分のペースでそれぞれ是非、理解、実践していってみて下さいませ。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。
中道を忘れそうになっていました。
「スジャータの乳粥に出会う事を願っています」という素敵な言葉をありがとうございました。無理せず頑張ろうと思います。
参考まで書いて下さってありがとうございます。焦らず頑張っていきます。
吉武文法様、林 浩道様、川口英俊様
ありがとうございました。感謝です。