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魚釣りは良くないでしょうか。

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私は釣りが趣味で、友人や家族で行くのですが、これって悪い行為でしょうか。
釣れたものはなるべく持ち帰って食べるのですが、中には食べれない魚が釣れて、放してもそのまま死んでしまう事もあります。

釣りによって生活に楽しみがあるのも事実です。
そして、生活のために釣りをしているのではなく、趣味として釣りをしています。子供たちも釣りに誘うとそれを楽しみにして生活し、釣りに行けば楽しんでいます。良い面だけをとらえるなら部屋にこもってゲームばかりよりも良いのかとも思ったりするのですが、どうなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

必ずしも悪いとはいえません

私自身の経験をお話ししてもあまり役に立たないかもしれません。職業的な僧侶とそうでない方とは違うかもあるかもしれないからです。また、私の宗旨である浄土真宗おいては一定の答えない問題だといえます。最終的には個々の問題ですから、参考程度に聞いてください。

私はお坊さんになろうと決めたとき、それまで好きだった釣りをやめることにしました。渓流でのヤマメ釣りが好きでしたから、釣れなくても自然の空気を満喫できました。部屋でゲームをしているよりずっと健全であると言えます。しかし、やめるのはそれほど辛くありませんでした。生活する手段としての釣りとは違い、完全に遊びなのですからキャッチアンドリリースなどとはいわず、やめるべきだと決めすぐ実行しました。

ただし、これはあくまで私個人の事例であって、あなたを含め他者にはあてはまらないと思います。実は、僧侶のなかにも釣りを趣味にしている人はおいでになりますし、浄土真宗ではそれをとがめてはいません。私の「決意」は私個人にのみ当てはまるものです。反社会的な行為ではありえませんから、結局は一人ひとりの考え方に帰す問題です。あなたがご自身でお決めになることです。

しかし、私はこうしたことに問いを持ち、お尋ねになったあなたの姿勢に敬意を表します。

私自身を含めて、ひとは自分の行為に疑問を持ち、「これでいいのか」と自他に尋ねることをあまりしません。それなのに、あなたは遊びで魚の命を奪うというご自身の行為に問いを立てておいでになります。その問いを大切にしてください。私はあなたに学ばせていただき、有難く思っています。「こうしなさい」という「答え」を期待されていたなら、御免なさい。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

良い面を伸ばす方向で捉えてはいかがでしょうか?

仏教は不殺生・不害の教えですね。日本人なら誰でも不殺生の言葉くらいは聞いたことがあるでしょう。しかし、あまり知られていませんが仏教の不殺生は、実は死なせるという結果の禁止ではなく、殺意の禁止であり、害意の禁止です。(←ココ大切)
そして犬や猫だって『自分の狩り』の成功を楽しみます。その楽しさは生物として自然な感情ですから後ろめたく思う必要はないと私は思います。苦しみ死にゆく魚を観察して愉快で仕方がないという形であれば別ですが。

さて、発想の転換をしていただきたいのですが、indigoさまは釣った魚はできるだけ食べていらっしゃるのですよね?その魚は血や肉になっていますよね?ならば、その魚はindigoさまやご家族の生命のために食べらていたのです。そうである以上、いくら趣味といっても割合として「生活のため」が入っています。0か1かで考えるのは人間の勝手な都合です。
そもそも本来、仕事は衣食住のためにやるもんです。お金を稼いで競馬で擦るよりも、趣味だろうが何だろうが魚釣って家族で食べる方がよっぽど仕事になっていると私は思います。線引きはその辺の理屈のこね回しに過ぎません。

そして線引きばかり考えているうちは、魚そのものではなく「生活のため」とか「趣味の対象」という属性や他人の視線ばかり見ているのではないでしょうか?それって実は魚の生命と向き合っていないのではないでしょうか?
もっと目の前の魚と向き合い、魚を釣り、絞め、調理し、食べ、後始末をする中で、お子さんに生きるということがどういうことか伝えてあげましょう。それを伝える過程で、indigoさまの人生観もきっと深まってくるでしょう。

人間であれば誰もが他者の生命をいただいて生きています。もし、自分の生活の中に他者の生命を奪うというプロセスが無かったなら、ただ誰かが代わりにやってくれているだけです。それはお坊さんも一緒です。お釈迦さまでさえ一緒です。その中で、やっぱりお釈迦さまが凄いところは、どんな時も慈悲の心を持ちましょうとおっしゃったことです。
子供を楽しませてやりたい、立派に育てたい、人生が豊かになる教育をしたい、魚を美味しく食べたい、魚が好きになってほしい、みんなで感謝の心を共有したい…こういった良い面を伸ばす方向で捉えてはいかがでしょうか?

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

絶滅に加担しない程度に 全体を見渡して

(´-ω-`)以前、友人と三人で川に釣りに行きましてね…。
「釣れた!」「あっ!!」
一人が釣れたのですが、針が口から目の横あたりを貫通していて、針がなかなか取れずその後ぐったりしてしまいまして。それ以来、どうも可哀想になり…。
ううう。その友人たちから「海釣り行こうぜ」と誘われているのですが、上手な断り方を教えてください。どうすればいいでしょうか? って、お前が、質問するんかーい( `ー´)ノ(._.)

ある所に平和に暮らしていた魚の親子がいました。
「もぐもぐ。コレ美味しいねえ。お父ちゃん。」
「そうだろう。お母ちゃんが取ってきてくれたんだ。」
「この練り餌も母さんが取ってきてくれたのかい?」
「練り餌?知りませんよ。」
パク
「ひまった!イテテ!これは人間の罠だっ!お前たち、食べちゃダメだぞっ」
「あなたっ!」
「おとーちゃん!(泣)」
「ギョギョギョ俺はどうやら駄目だおわりだこれまでだっ!子供を頼むっ!」
「あなたー!」
「おとーちゃん!」
さか〇クン「あー、釣れました釣れました(嬉)パク。」
(モノクロスロー画面にて)
「あなたー…!」
「おとーぅちゃぁーん…」
エンディングテーマ
♬朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮 の 大漁だ
浜は祭りのようだけど 海の底では何万の 鰮のとむらい するだろう♬(金子みすず) 完
ううう

ドラマはさておき。
釣り人が増えていけば、魚はどんどん死滅するでしょうし、誰もやらなければシカやイノシシみたいに増えまくるでしょう。
(^

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

この世界の居心地をよくするには、やめた方がいい

食べるためとか、仕事でとかなら仕方ないですが、娯楽のためにわざわざ釣りをする必要はありません。
仮に、世界に人間しか生物がいなくなったら、餓えた人間は他人を殺して食べる以外に生きるすべはないでしょう。
そのような世界で、餓えた人間だけが殺人鬼になる場合と、餓えていなくても娯楽で殺人鬼になる奴もいる場合とでは、後者の方が殺人鬼に遭遇する確率が高くなりますね。
上記は人間オンリーの世界の想定ですが、この人間が生まれかわって魚や虫になって同じ世界に生活している場合も同じでしょう。
結論、娯楽で殺生するヤバい奴が増えると、世界は居心地悪くなる。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

捉えかたを変えてみては?

indigoさん、はじめまして。

魚釣り、私も好きでした。
僧侶になると決めたときにやめましたが、子供にせがまれて何度か連れて行ったことがあります。

仏教では殺生を禁じていますが、食卓に魚が上れば有り難くいただきます。

釣というレジャーがある以上、それをダメとは申しません。

ただ、indigoさんも仰っておられるように、釣った魚は有り難く頂くようにしていただきたい。

世間では、キャッチアンドリリースなどと言っていますが、決して生き物を大切にしている行為ではありません。
小さな魚は還すというのは理解できなくもありませんが、全てキャッチアンドリリースというのは、人で言うならいじめと同じです。

出来るならば、食べることを目的に釣をしていただきたいと願います。

ただ、悪いことばかりではありません。

釣をするということは命を扱うということです。

お子さんを連れて釣りに行って、仕方なくリリースした魚が死んでしまったときや、釣ってきた魚を食卓で頂くときにも、命の話をしてあげて下さい。

私たちは、動植物の命を頂いて自分の命を養っています。

たとえ遊びで釣った魚でも、この小さな命を頂いて、はじめて私たちが生活しているということを、子供たちに教える良いきっかけにもなります。

魚たちの命を無駄にしないよう、手を合わせて感謝しながら召し上がって下さい。

この魚たちのご縁で、優しい子供たちに育ってくれることでしょう。

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「万年坊主」

indigo様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この春に亡くなった拙生の叔父は渓流での魚釣りが一つの趣味でした。また、その釣りのことも含めて自然に関することを、ご自身のサイトで色々と発信されており、たまに私ものぞかせて頂いておりました。

そのサイトでの叔父のハンドルネームが「万年坊主」で、坊主(先代住職)の息子だったので、何となくにそのようなネーミングになっているのかなという程度の認識で、あまり深くは考えませんでしたが、四十九日忌の法要をお勤めさせて頂きまして、その際に色々と叔父の昔の思い出話を聞かせて頂く中、魚釣りの話となり、いつも色々と釣っておられて、どんなお魚を食べておられたのですかと、拙生が聞きましたら、一度も釣った魚を持って帰ってきたことはなく、「キャッチアンドリリース」で、その場で離していましたよと聞き及びました。

そこで、やっとハンドルネーム「万年坊主」の意味が分かったのであります。

その他、叔父と自然との数々のエピソードからも、自然をこよなく愛していた叔父は、色々と動物や植物に対して、常に敬意と感謝を持っておられたのだなと改めて知ることができました。

もちろん、ここでただ綺麗事を述べるわけではありません。拙生だって魚も食べれば肉も食べます。

大慈様や小原様も既におっしゃられていることでございますが、私たちは数々の生き物たちの犠牲があって生かされて、生きることができているということをよく理解すると共に、なるべく無駄な殺生はできる限り慎んでいくのが、仏教における大切となる「不害」というものになるのではないだろうかと存じており、できる限りそのようにして、真なる「万年坊主」でありたいものでございます。大いに自戒の意をこめて・・

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

藤岡俊彦さま
ご回答ありがとうございます。今まで何度か自問自答してきましたがなかなか答えが見つかりません。よい面、悪い面どちらもあると思うからです。このような私の疑問に言葉を寄せてくださいました事に感謝いたします。

大慈 さま
ありがとうございます。
どこかで理由がほしかったのだと思います。お言葉をいただけて気持ちが楽に、前向きな気持ちに
なりました。ありがとうございます。

丹下 覚元さま
ありがとうございます。いろいろな立場から考えてみたいと思います。
また、釣りに行くのであれば、命をいただいている感謝の気持ちを持とうと思います。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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回答数回答 1

初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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