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自分を愛せない

回答数回答 5
有り難し有り難し 89

自分を好きになれません。
自分を労ったり、頑張ったねと褒めることができません。
いつも、この程度しかできないとか、何も頑張れていないとか自己否定ばかりしてしまいます。
だからこそ、いつも他人から愛情を満たしてもらおうとしてしまいます。こんな自分、やめてしまいたいです。どうしたら、少しでも自分を肯定できるようになりますか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

否定も肯定もしない

あえて邦元さんと同じタイトルにしました。
自己肯定感情とか、自分を愛するというタイトルの本が一時期流行しましたが、私は全くその必要は無いと思います。結論から申し上げると回りくどいのです。
図式として、自分は過去において辛いことがあってそれが原因になって自分を愛せないから、自己肯定感を高めて自分を愛するように良い所探しをしたり、自分ホメホメ日記をつけて自分の良い所探しをしましょうみたいに、毎日続けられないことを進めるものばかりではないでしょうか。
それは正直なところ【観念】の世界でやっているごちゃごちゃした手続きの一種なのです。
日常生活でそんなこと毎回やっていたら肩がこります。
禅では無為を勧めます。
要は、「今」何をやっているかなのです。
自分の図式を生きているでしょう。
「自分が人から満たされないと満足しない」とか「自分を褒めないといけない」「自分をねぎらわないと満たされない」というストーリーが出来上がっているのかもしれません。
それごと捨てちゃいましょう。
今やっていることが『考え』を中心にした行動であることを知ってください。
☆自分が満たされるための方法をあらかじめ自分で決めてかかっていますが、実はそのやり方が間違っているのです。
今日は今日で生きてみてください。
❝何かをしよう❞という何かをする時に決まった形をもたずに、現場のアドリブで進行していくように心がけてください。
評価の中に生きてはいけません。
わたしは評価をしません。
評価とは自分を懲り固める行為だと知ってください。
ちなみに、ドラえもんののび太君はもともと秀才だったそうです。
小さい頃誉められまくって勉強もする気が起きなくて成績が悪くなったという設定だそうです。
人生で仮に褒められたり称賛されることがあったとしても今日、どう生きているかが大切です。
評価に生きることをやめたければ坐禅をお勧めします。
自分を差し挟む前の世界にご案内いたします。

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おきもち

否定も肯定もしない

私は自分を褒めることはしません^_^
あなたがしようとしていることは、極端ではないでしょうか。否定してしまうから辛い、肯定したい。この気持ちは、白黒はっきりさせたいという、ちょっと乱暴で無理なことのように感じました。

自分を否定してしまうなら、まずは否定も肯定もしないフラットな状態でいることでしょう。
周りを見てもそんなに自分を褒めている人なんていないでしょう^_^

そして、まず知らなければならないことは、あなたがいう自分というのはなんなのかそこを知ることでしょう。そこがわからないうちに否定も肯定もできないか思います。自己を知ることは、真実を見抜くこと、仏教の根本でもあります。

人のことを褒める、自分のことのように人の成功も喜べる、人の良いところを心から尊びその先に自分と比較をしない事、が何より大切な事でしょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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まずは自分の身体に感謝する

ミドリ様

自己否定のこころの奥にある本心はどんな気持ちでしょうか。あなたは自分に対する理想が高く自分に厳しいのですね。あなたの「この程度しかできない」といのは100点満点中どのくらいなのでしょう。

評価というのはモノゴトをどう認識するかで変わってきます。「コップに半分水が入っている」という客観的事実に対して「半分しか入っていない」と認識するか「半分も入っている」と認識するかで、そのあとに続く感情が変わってきます。「半分しか」と思えば気分が暗くなり悲観的になりますが、「半分も」と思えばしあわせで楽観的になります。

もしあなたが3割しか頑張っていなかったとしても「3割もがんばった!私はえらい」と認識すれば、元気でいられます。でも「3割しかがんばれなかった…私はだめ」と認識すれば、元気がなくなります。

事実は同じでもどちらの言葉を選ぶかは自分で決められます。そして言葉によって現実を作っているのです。だから自分にダメ出しを続けると、元気がなくなるし運気も落ちてきます。

あなたの身体はいつもあなたのためにがんばっているのはわかりますね。
あなたが寝ている間も落ち込んでいる間も、心臓は鼓動を続け胃腸は食べたものを消化しています。24時間365日一日の休みもなく働いています。その身体になら、心臓に胃や腸に肝臓に肺になら褒めることができませんか?自分の年中無休の身体に労りや感謝の言葉をかけることから始めてみてください。仙如

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おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなもので...
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こんなもかなあ、でも自分です

拝読させて頂きました。人生こんなもんと割り切ることも大切かと思いますよ。
イチロー選手も10割は打てません。3~4割に近づく打率ですよね。
それに対してだれも非難する人も文句言う人もいません。
過ぎ去った結果については自己評価は少し上げ目にして、
これから自分がトライすることについてはシビアに上を狙っていくことが望ましいのではと思います。
可能性は無限にありますが、私たちは有限な限界のある存在であることを認識し、
冷静にそして着実に頑張ってくださいね。
そして自分の頑張った結果も周りの方々の頑張った結果もほめてあげてくださいね。
それが次の挑戦や良い結果を生み出していきますからね。
あなたがこらから様々トライなさり充実した毎日を送り、素晴らしい結果がもたらされます様心からお祈りさせて頂きます。継続は力なりです。あなたを応援させて頂きます。
ご自分を追い込まずにお健やかに頑張ってくださいね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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慈悲の滋養

ミドリ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

無理に「自分を愛す、好きになる」、「自分を肯定する」というのではなく、「自分に慈悲を掛けてあげる」ということをなされてみて下さい。

「慈悲の瞑想」においては、まずは、

「私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように」

と自分への慈悲を掛けることから入りますが、それはなぜかと申しますと、他を救うためには、何より己自身がまず救われていなければならないからであります。

自分が救われてもいないのに、他を救うことなどできません。

お金も持っていないのに、他にお金を貸すことができないという感じですかね。

また、仏教において救われる対象というものは、一切の全ての有情(衆生)であり、そこには当然に自分も含まれないといけないことになります。

ある意味では、全てを愛するために、自分も愛するというのには似ています。

しかし、「愛する」というのは、ある意味では自分の自己満足、独り善がり的なものが伴ってしまった宜しくないこともございます。

それよりも、「慈悲」であれば、特定の誰かということではない、平等の愛を養うことによっての自分への前向きな心、明るい心を持つことができるようになるのではないだろうかと存じます。

是非、一度、お考えになられて下さいませ。

慈悲の瞑想については、日本テーラワーダ仏教協会さんのものが一つ参考になるのではないかと存じます。

慈悲の冥想
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

慈悲 (四無量心)
http://www.j-theravada.net/pali/key-catu-appamanna-citta.html

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
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