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誰かに必要とされたいというのは贅沢な願いでしょうか?

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誰か一人でもいいので、自分を必要としてくれる人と出会いたいと願うのは贅沢な願いでしょうか。
もちろん必要とされるに値する人間になれるような努力は怠っていないつもりでした。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

認めるかどうかは相手が決める。

人の笑顔は何にも代えがたく心の安らぐものです。

お母さんが赤ちゃんをあやす姿を想像してみて下さい。
人は生まれてすぐに笑顔でいることの嬉しさを覚えます。
もの心がついてくるとお母さんや周りの笑顔が見たいがために戯けて見せたりします。
その頃から既に「周りの笑顔」=「必要とされている」という認識を持っているのです。

それが次第に成長して自我が出てくるにつれて、まわりの反応によって駆け引きを覚え、損得勘定をするようになってゆきます。

しかし、周りの状況が変わっても、人の感情の中から「必要とされる」ことへの喜びがなくなることはありません。

持っていて当然の感情ですし、その感情を持っているからこそ、自分の損得を越えて心や体を動かすことが出来るのです。

自分が必要とされたいと思うことは、72億の人間が誰一人例外なく持っている感情です。
しかし、大切なことは、それを決めるのは自分ではなく、相手だということです。

必要とされるようになるために頑張るというのは、少しズレがあるように思います。

相手には相手の感情があります。
必要としている部分も、自分が思い描くものとは大なり小なり違う部分があって当然なのです。

自分が認められたい部分が、周りにとって必要でなければ、誰も認めてはくれません。
こんなに意味のあることをしているのにどうして認められないのか?
そう思うかもしれませんが、それに意味があるかどうかも決めるのは自分ではなく相手なのです。

認めてもらいたい相手を最初から決めて臨むならば、その相手の望むものを的確に捉えていなければなりません。

そこには、認めてくれるならやる、認めてくれないならやらない、そんな幼稚な駆け引きは通用しません。
相手の必要としないものは最初から要らないのですから、そんなことをしていては、本来認められるはずのものであっても認められなくなってしまいます。

要は、自分の出来ることを精一杯やっていく中で、それを必要とする人が自分の中の必要とされる部分を選んでくれるということなのです。

何事にも精一杯取り組む人の姿は、周りに感銘を与えるものです。

認められるからやるではなく、損得勘定を抜きにして、目の前のことに全力で取り組んで下さい。

必ず誰かがあなたを見ていますよ。

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至極当然な欲求だと思います

アメリカの社会心理学者G・H・ミードは、人間の自我意識は主体的で独自なる「I」と他人との相互関係によって形成される「Me」の双方に依ると唱えました。平たく言えば、自分という存在は、自分自身で「自分は〜〜だ」と自己評価している自分と、他人が「あの人は〜〜だ」と評価している、二人の自分によって成り立っていると言うことです。

この様に人間は社会的な生き物ですので、誰かに必要とされたい、Anybodyではなく誰かのSomebodyに成りたいと言う欲求が生じるのは至極当然でありますし、また自己評価と客観的な社会的評価には、当然ギャップが生じるので人は悩む訳です。

禅では主体的な「I」と客観的な「Me」、主客の合一を目指します。
その為に、目の前のこと、今ここ私に徹することを説いています。

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昭和39年生。昭和62年佛教大学卒。
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当然に湧いてくるものです。

自分が必要とされたいと願うことは、当然に湧いてくるものです。
お釈迦さまは、この世に生きる苦しみをコントロールして、多くの人に安心(あんじん)をもたらすために、出家をされて、多くの人々に仏の教えを説いていかれました。
あなたが、必要とされたいと願うことは素晴らしいことです。相手のことを思いやる気持ちを持ち合わせることができれば、あなたにもお相手にも安心をもたらすことができます。

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必要とされるよろこび

誰かに必要とされる喜びは、だれもが感じられることだと思います。しかし、それは「必要とされる」為に何かをするのではないと思います。必要とされるというのは、結果ではないでしょうか。

「必要とされる」ということは目指すことではないと思います。

スポーツ選手が人を感動させたいと思ってプレーいていたとしたら、そんなプレー感動しません。計算が働き、本来やるべきことがずれていることになります。全て結果として感動するだけです。

あなたは、いまは、しっかり学び(国語や算数などの話だけではない)、人間を作り上げる時期なのでしょう。
必要とされるかどうかは、後から付いてくるものだと考えます。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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誰にでもある

自分を必要としてくれる人がいるだけで、プライドの支えになり勇気づけられますよね。
たとえばバイトや就職だって、採用されるということは、必要とされ、選ばれることです。
恋愛だって、お付き合いできるということは、たくさんの異性の中から選ばれることですから、勇気づけられます。
あなたを必要としている身近な人は家族ですが、家族が必要とするのはあたりまえなので、プライドを満たすには物足りないと感じるかもしれませんね。
プライドの煩悩(自分をすばらしいと思いたい、すばらしいと確認したい)は、誰にでもありますので、贅沢ではありません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「認められたい・承認欲求」問答一覧

成功したい・褒められたいという慢心と焦り

ご相談があります。私は、昔から褒められて育ち、自分は優れた素質があると思っていました。人より褒めて欲しい、認められたい、褒められたいというような欲求が強いと自覚しています。 大人になっていく過程で自分はそれほど大した人間ではないことを自覚していきました。しかし一方では理想が高く、自分はもっと優れた人間であるはずなのにとかあるべきだとか、そんな思考が頭の中を不安な状態で埋め尽くしています。 最近は成功した若い人をよく見かけるので、自分の年齢と比較したり何歳までにはこれを成し遂げなくちゃいけないとかそれがこんな悩みに繋がっているんだと思います。 自分もそんな才能が欲しい、もっと言えばあるはずなのにとか思ってしまう自分の慢心に嫌になり、自分が何も結果を出せなかったら嫌だと思ってしまいます。 最近、心に余裕が無くて殺伐としています。 成功するためのこと以外のことに興味が持てなかったり、人のことを何か成し遂げてるかそうでないかで見たりします。 考え方が短絡的になっていて長いスパンで物事を考える余裕も無く、 こんな自分を魅力がなく強欲で人として一番良くない例だと思います。こんなループにハマっているからなのか自分以外の出来事に興味関心を抱くことが難しく、好きなことや趣味もなく、日々をひたすら自己啓発や不安の和らげ方に費やすようになりました。 こんな状態では生きていけないと思います。 平穏な心の状態で焦らず過ごすためには、何を心がけると良いのでしょうか。 先日カッターで手を切るような自傷行為をしてしまいました。軽くでしたが、自分がやるとは思わなかったのでショックでした。お坊様の成功への価値観や、心の折り合いの付け方もあれば、教えて下さらないでしょうか。長々と申し訳ありません。

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余裕の無い自分が嫌になります。

はじめまして。 今年息子が生まれ、慌ただしい日々を送っております。 先日息子のお宮参りへ行きました。 安産祈願の時にもお世話になった大きな神社で、無事に産まれたご報告と感謝の気持ちを、と思ったのですが、 神社で働いている方の対応があまり良くなかったのです。 いつもであれば気にしないのですが 終始心ここに在らずといったような感じで無愛想、こちらから質問しないと沈黙…やり方や勝手も分からないですし、 育児の疲れと子どもの一大イベントで気が張っており、私自身もイライラしてしまい顔と態度に出してしまいました。 帰ってからこのような神聖な場所で、しかも息子の大事なイベントで嫌な態度を取ってしまった罪悪感と、すぐに心の余裕が無くなる自分に嫌悪感が沸きました。 相手にしっかりした対応を期待して求め過ぎて…バイトの巫女さんだったろうに怒ったような態度をしてしまって申し訳ないな、とも思いました。 そして何より、お世話になった神様もお怒りではないか気がかりです。 とても反省して神社の方向へ向かって謝罪の言葉を念じました。 神様は許していただけるでしょうか? 毎日念じたほうが良いのでしょうか 引き続き息子の健康を願い、見守っていただけるのでしょうか? なんとも自己中な悩みなのですが、ご回答いただければ幸いです…

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父や祖母への攻撃的な気持ちがぶり返します

以前ご相談した父とその母の件です。 前回は主に実母に対する彼らの言動について書きましたが、実は同時期、私自身もその無神経な言動を受けて怒り、疲弊していました。その時のストレスで彼らを受け付けなくなり、今も攻撃的な負の感情から逃れられません。 私は昨年、里帰り出産をしたのですが 父は私の出産からひと月が経つころ、体調不良を理由に休職しました。その後は全く家事等もせず(もとからしませんが)、何か些細なことでも頼むと不機嫌になり、身体が辛いなどと文句を言って一向に用事になりませんでした。その癖に孫である私の息子を構ったり、趣味のリモート飲みをしたりするときはすこぶる元気で上機嫌といった調子でした。 その頃頻繁に訪ねてくるようになった父方の祖母に、父をいたわってやれと言われ、この状態で私もストレスが限界だから無理だと答えると、祖母は「そんなこと言わないであげて」と哀願し、「いまは産後で気が立ってるだけよ」と言い、挙句に「それは〇〇さん(母)がそう言ってるんじゃないの?」などと返されてこちらにももう関わりたくなくなりました。 彼らへの気持ちは前回のお坊様のアドバイスで少し落ち着いていたのですが、来月帰省することになり、この頃また負の感情がぶり返します。昨夜は夢で彼らに攻撃的な言葉を散々ぶつけ、その後目が冴えてほとんど眠れませんでした。 帰省しなければ関わらずに済むのですが、母や母方の親族など私と息子を心から大切にしてくれる人がいる以上、やはり帰って顔を見せたいのです。 でも、実家であの父と過ごすのか、祖母がまたやってきはしないかと思うとたまりません。 それこそ刃物を研ぐように、攻撃の言葉を考えてしまいます。その言葉の刃物を、「使わずに済め」と思います。でももしかしたら本当は、滅茶苦茶にぶつけたいと望んでいるのかもしれません。 帰省にあたり、父には実質的な祖母への絶縁宣言をしました。私が帰ることを父が連絡さえしなければ、祖母には伝わらない、実家に来ることもないからです。 しかし、いっそもう本当に絶縁してこの悩みから解放されたいという思いも確かにあるのです。絶縁状の文章も考えてあります。 私の本音はどこにあるのか迷っているのですが、ひとまずこの負の感情を収め、言葉の攻撃をせずに済むにはどうしたらよいでしょうか。 お知恵をおかりできましたら幸いです。

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兄を殺したいほど嫌いです。

私は22歳の大学生で、4月から社会人です。6歳上の28歳の兄が大嫌いです。お互い実家に住んでいながら、もう3年くらい口を利いていません。 兄は小中高大すべて公立・国立の学校でしたが、私は、兄が通っていた中学校は治安が悪かったという理由で母に強制的に私立の中高一貫校に入れさせられました。私は本当は公立の中学校に行きたかった、ということは兄も知っています。 兄はそんな私が憎いようです。お金をかけてもらっている、自分は公立で我慢したのに、と思っているようです。しかし私から見れば兄は塾に通わせてもらっていたし、部活動の送り迎えなども母に全てやってもらっていました(ちなみに父は私が3歳のときに家出しており、別居中です)し、地頭はいいですし、羨ましいことも多いです。 しかし兄は私を表面的な部分でしか考えてくれません。「あいつは苦労していない」と言いますが、私は兄がしていない苦労をしました。電車では痴漢に何回も遭いました。中学校では友達から無視されて一人ぼっちになりました。大きな声で悪口を言われたこともありました。高校では厳しい部活と勉強を頑張って、推薦ではありますが国立大学に入りました。 でもそれを伝えても兄は理解を示してくれません。ずっと、自分の方が辛かった、大変だった、お前は楽をしている、と繰り返します。よく、母にも「あなたが甘やかしたからだ」「俺にばかり苦労させた」と28歳にもなって未だに叱責しています。 私はどうしたらいいか分かりません。もうこんな兄の相手をするのも嫌になり、段々嫌いになってしまい、口を利かないのは私にとって好都合となりました。 しかし母は私と兄が仲直りしてほしいと思っているようです。ですが、私はもう兄と仲良くするつもりはありません。兄の人間性が、もう大嫌いなのです。怒って大声で怒鳴ったり、ドアを勢いよくバターンと閉めたりする兄のどこを評価して仲良くしたいと思うのか、理解できません。 この春から社会人なので一人暮らしを始めるのがいいとは分かっていますが、正直赴任地は田舎なので今の実家を離れたくないです。兄が出ていくのが一番なのに私が出ていくのも腹が立ちます。母だって、たまに叱責されると兄にうんざりするくせに、共依存のようにお互いに依存してて気持ち悪いです。 私は兄に対してどんな気持ちでいればいいでしょうか。許すべきでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ