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将来が不安です

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

もう50代
フリーランスでずっとやってきて、体力もなくなって、無理ができなくなってきました。
同業者の中では成功していますが、フリーなので、保障がありません。
バツイチの一人なので、万が一働けなくなったら怖いし、だからと言って今更就職も難しいです。

どうしたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今目前にないことは相手にする必要がない。

もし経済的に不安であれば結婚相手を見つけたり、互いに助け合っていける伴侶を探すことです。
男性は経済力はあってもそれ以外の助けを求めている方々が多いものです。
そこを提供できるような女性力を身につければあなたを必要としてくださる経済力のある方が見つかるはずです。
アンテナを今日から張ることです。
さがす相手が定まれば自然にそれに近しい相手を探すようになります。
24日間悩むより、24時間相手を探した方が実りがあります。
🙍
さて本題ですが、今までのご質問をご自身で読み返してみてください。
いつも目の前にないことばかり相手にしています。
そういう生き方をやめることが今回の課題です。
過去の出来事は変えようがないのでネガティブな振り返りや悪い評価をしないことです。
未来の出来事は未だ起こっていないことですから今から起こってもいないことを想定して今の目前の現実を見失わないようにすることです。
自分自身がいつも迷うのは、そこにないことを相手にしているからではないでしょうか。
仏教は問題を一つ一つ片付けるのではありません。
あらゆる悩みに共通する『共通項目』を見出して、その魔道に踏み要らないようにすることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

善き友、善き仲間こそすべて

お釈迦さまの説法です。

『ダンマパダ』328、329、330

もしも正しい生活している賢明な友を得るならば共に歩め
それで一切の困難を克服して心にかなう気付きある生活ができる

もしも正しい生活している賢明な友を得られないならば
征服した王国を捨てる王のように林中の象のように一人歩め

愚か者と付き合うよりは独り歩む方が良い
林中の象のように悪をすることなく求めること少なく独り歩め

~様々なご職業、専門があるでしょうが、フリーランスで社会的生活を送ってこられているあなたは、実はお仕事のスペシャリストとしての能力もさることながら、他者との関わりを大切にし、周りからも評価され、大切にされる「人間としての力」を深く備えていらっしゃるのだとお見受けしました。

結局、組織人や役員を除く勤め人と違うのは、常にお仕事の中身以上の人間関係が自身の評価や成功、収入に繋がるというところだろうと思います。

お尋ねのお気持ちは、私から言わせていただくなら、常に高いところに自己を律し、プロフェッショナルとしての誇りをもって日々を歩んでこられたのであれば、今後の振る舞いは、ゆるやかな下り線でも良いのではないかというアドバイスです。

今後に備えた貯蓄や社会保障など、個人的な老後の備えはもちろんですが、心の持ちようや生き方として、肩に入れていた力を徐々に緩めていく生き方。

人間力が高いあなただからこそ、周りから求められるのは、年齢と経験を重ねて、お仕事の第一線に身を置きながらも、肩の力がぬけた包容力のある生き方が出来るのではないでしょうか。

不安を取り除く方法のひとつは、自らが刃を振りかざしたり、我慢強く耐えることではありません。結局、人との関りがすべてです。であれば、多くの方をこれまで以上に受け入れ、共に歩める人間としての度量を、ご自身への厳しさを少しゆるめてみてはいかがでしょうか。

ひょっとしたら、人生の第二のパートナーも、今のバリバリのあなたには近づき難いのかもしれません。そのような人間としての力強さを備えているあなたは、もし仮に病気や挫折を経ても、向き合い受け入れていけるのではと感じています。

アドバイスとしてはいまいちでしたでしょうか。
私はネットを通じてですが、あなたの善き友、善き仲間として仏さまの教え、このサイトを通じて待っていますから。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋 真慧(しんえ)と申します。 私へのメール ichijoji@outlook.jp ウェブサイト http://tompe4.wixsite.com/ichijo-ji お寺のほか保育園/学童保育を運営、日々子どもたちと向き合っています。心身の障害や発達障害の子ども、ご家庭の困難などに丁寧に向き合っていくことを心掛けています。保育園はすべてベクレルフリー食を実践しています。

何ができるかはよくよく調べるのが一番

まだ動けるうちに、個人年金や、保険などに加入して、さらに、安心のために蓄えも必要でしょう。なによりお金がないときついですよね。
ただ、日本ではお金がないなら、野垂れ死ぬと言うこともないでしょう。それなりに助けてもらえる制度もあるのでしょう。
最悪、公的機関にお世話になるとしても、働けるうちに、やれることはやっといた方がいいですね。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございました。保険にはとりあえず入っていますが、何千万の貯金はありません。

ありがたいことにお仕事をいただけて、ご紹介もたくさんいただき、生活はできております。もっと大きくしたいという野望はあるものの、まだ至っていません。

伴侶を見つけるのは正直言って相当難しいのではないか?と思っています。
私も経済的に養ってくれる人なら誰でもいいわけではありません。今目の前の問題に目を向ける努力をしようと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ