hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分の意見を述べようとすると涙がでてくるので困っています

回答数回答 4
有り難し有り難し 36

自分の意見を言う場になると、涙が出てきます。

Q&Aサイトで、女性が同じ悩みを相談されているのを見かけます。泣くのは悪いことではない、感受性が豊かなのは良いことだ、とアドバイスを頂いたりしておられます。

しかし、40代の男です。社内で、顧客の前で、PTAの会議で、いちいち泣いていてはおかしいですし、みなさんに余計な気を遣わせてしまいます。

そういうわけで、対立するような意見を言わないようにしてきました。意見を述べないといけない場面になったら、極力感情を高ぶらさせないように話そうとしますが、それでも顔が熱くなって、目に涙が溜まってくるのを感じます。

そんな自分が、PTAで重い役に選ばれそうなのです。PTA活動自体が嫌なわけではないのですが、いろんな意見(苦情も)が出てくる、自分の意見を求められる、そんな場面で涙がでてきてしまったら・・・と考えるととても怖いです。

「自分はそんな性格でなないので・・・」と言ってみましたが、「まわりのみんなも協力するし、1人で抱え込む必要はない」と返され、その先の反論はできませんでした。

今はとにかくやってみよう、という気にはなっていますが、人と討論する場面がきたらどうしよう、という不安がかなりあります。

どうすればこの問題を解消することができるのでしょうか。
どうぞよろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いや感情は置いといて、

話し合いは、喧嘩ではないですよ。
意見を言うことは悪いことではないし、100人いたら100通りの考えがあるもの。みんな同じな訳がない。そこで意見を通そうと喧嘩のようになったり、我の押し付けのようになったりすると、話し合いではなくなりますよね。

あなたはあなたの立場で、感情ではなくお話をすればいいのです。人にどう思われるかと言うことも関係ありません。顔色を伺う必要もない。みーんな違うからいいのですよ。みんな同じなら話し合いはいらないわけですし、より良いものを作り上げる建設的な場であることを知れば、涙ぐむ必要もないと思いますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

本当の相手は【そっち】じゃない。

📹「映画のありがちシーンに学ぶ」不安という煩悩の正体。
主人公が死んでしまった!
「オーマイガー!」
「主人公ッ!オーマイガー!(泣)」
みんなでオーマイガー!(号泣)。
ところが本当は無事だった。
OH、主人公、生きていた!
「オーゥ、マイベイビィーッ!(ハグハグ)」
さっきまでは完全に死んでしまったと思い涙が出てしまう、泣けてきてしまう。
実は生きていたシーンを30分くらい後に引き延ばしたとします。
するとその30分間、それは自身が想定した最悪の悲しいシナリオに涙していたといえるのです。
実際は生きていた。大丈夫だった。大事にいたらなかったということがハッキリすれば、泣いていたにせよ、それは実際の事実ではなく、誤認した脳内情報の方を相手にして泣いていたということです。
さて、私どもが相手にするべきことは、死んだと思った主人公ではなく、今は本当は生きていた主人公の方であるべきです。
バカバカしい質問ですが、
主人公が生きていたのに、今も死んでしまったと思い込んで泣いているという人があるとすれば、それは「どっち」を優先して相手にされている姿でしょうか。
1実際にいきていた主人公
2自分の負の想念
「オイ、オレは生きてるぞ。何泣いているんだ。オレが見えないのか。」
同じように、人生の人間関係において最も大事にするべきことは、実際の現実の相手であるべきです。
その実際の現実の相手とはリアルタイムの世界でどんどん変化していっている生身の人間で、セルフイメージの世界やデータ、過去の写真、二次元的なものではありません。
今、目の前に誰かいたら声をかけてみてください。
そして、会話をしながらよく自身を観察してみてください。
「わたしはちゃんと現実の生身の人間を相手にできているだろうか。」
緊張や不安、人を恐れる心理というものは、実はここに起因しています。
自分の中の最悪の事態を想定した架空・仮想の相手。
それはインナーイメージで当の本人様ではありません。
4,5回読み返して頂き、意味が理解できますと、自分の中の影は相手にしなくなります。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

私も人前で話すのとても苦手なんです。
でも法事の時は話さないといけない、
少しでも仏教について伝えなければならない、
何よりお坊さんはちゃんと布教しなければならない、そんなことで少しでも話をするように努めています。
何事も精進、つまり練習だと思います。
私も例えば3年前に比べれば少しはマシになったかなと思います。
あなたも練習ですよ。家でも練習してみてください。ゆっくり自分のペースで話しましょう。
なお、大勢の前で話す時は、今ここには自分一人しかいないと思ってみましょう。ゆっくり丁寧に堂々と話す自分を演じてみる感じで臨んでみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

先に自分からカミングアウトしましょう。

そういう体質なだけです。
「すぐに涙が出る体質だけど、見た目ほど悲しんでるわけでも怒ってるわけでもないので、気にしないで下さい。昔からこんな体質なんです。」
と自分からカミングアウトしておいた方が楽ではないでしょうか?
バラしておけば、「バレたらどうしよう」という不安がなくなるでしょう。
あるいは、「人前で話すと緊張して涙が出てくるんです。気にしないでください。」と説明してはどうでしょうか?

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

たくさんのご回答、誠にありがとうございます。

自分は物事に対してまず悲観的なイメージを思い浮かべてしまう傾向にあります。
「最悪の事態を想定し、それに備えることは大切だ」という考えなのですが、人からは「起こってもいない事態であれこれ悩みすぎだよ」と言われます。
人と話をするときも、そういう気持ちが先に立ってしまうのかもしれません。

人前で話す練習をし、人との違いを過度に気にせず、勝手なイメージを持たないように、心掛けていこうと思います。
涙がでることを先にカミングアウトできればすごく楽になりそうですが、自分にその勇気が持てるかどうか、ですね。

本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ