仏教は誕生日を祝いませんか❔
初めまして。ぴっころと申します。
質問が2つあります。
①仏教的には誕生日を祝うという概念はありませんか❔
②お坊さんに子供や奥さんや恋人がいたとして、誕生日はお祝いしませんか❔
宗派によっても違ったりしますか❔
よろしくお願いします。
煩悩だらけです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「おめでとう」でなく「ありがとう」
実は、経典には誕生を「祝う」という表現は使われていません。
なぜなら、仏教的には「生」とは「苦」のはじまりですから、「祝う」ことではないのです。
そのかわり、仏典には、誕生を「祝う」ではなく、「喜ぶ」という表現がたくさん使われています。
では、苦のはじまりならばなぜ喜ぶのか?と思われるかも知れません。
それは、生まれた方が与えて下さる、良き「因」と良き「縁」に巡り会えることを喜ぶのです。
お釈迦様がお生まれになった時には、人や動物はみな踊るように喜び、草木は喜んで時ならぬ花を咲かせ、天人は喜んで甘露の雨を降らし、大地さえも喜んで身震いしたと言われています。
今でも、お釈迦様の誕生日には「花祭り」と言って、いただいたご縁を喜び、ご恩に感謝し「御降誕報恩会」を盛大に営みます。
仏教では、その人との出会いを喜び、その人とのご縁に感謝するために、俗に言う「祝い」ではなく「喜び」を盛大に表現するのです。
ですから、
「お誕生日おめでとう」
ではなくて、
「お誕生ありがとう」なのですね。
誰かのお誕生日があるなら、しっかりあなたの気持ちを伝えてあげて下さいね。
生まれてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
誕生日お祝いします
祝いますが、明治以後にキリスト教の影響が
祝いますが、基本的には明治以後、キリスト教の影響を受けた面が強いです。だいたい誕生日に一つ年をとる満年齢が当たり前になったのは、そんなに以前からのことではありません。私の祖父母、つまりぴっころさんの曾祖父母さんの世代は明らかに数え年が当たり前でした。みんな正月になって一年年をとるので、誕生日は重要視されていなかったと私の祖母(大正二年生)は言っていました。だから、一応は貴族だった私たちのご宗旨の開祖親鸞聖人の誕生日は分かっていません。重要ではなかったからですね。
また、オギャーと生まれた日が誕生というより、母胎に宿ったときを命を享けたと考えるとオギャーはあまり重要ではなくなりますね。以前、有名な仏教学者の本を読んでいて、なるほどと思いました。
そんなわけでお釈迦様(をはじめ祖師方)の誕生法要はあったものの、キリスト教を意識する以前は誕生をお祝いするということに積極的でなかったのが仏教でした。
しかし、明治以後、お釈迦様のお誕生日は花祭りとされ盛大なお祝いになりました。各ご宗旨の祖師方のお誕生の法要も同じく盛大にお勤めされています。
仏教は変わっていく教えです。私の家でも子供たちの誕生日を祝っています。それでよいと思います。
祝いまくります
1、お釈迦さまをはじめ、様々な祖師先徳の誕生日をお祝いし、慶讃の法要が営まれます。お釈迦さまのお像に甘茶をおかけする、はなまつりはきっとぴっころさんの近くのお寺でも行っているはずです。お釈迦さまの誕生日は4月8日ですが、地方によっては月遅れの5月8日にお祝いしたりします。
ちなみに江戸の鍛冶職人が失敗した時に「おシャカになった」というのは、「いけねえ、火が強かった」→「しがつよかった」→「4月8日った」→「おシャカだ」
が語源だと言われています。
2、子どもや奥さんや恋人の誕生日を祝うか祝わないかは、宗教行事とはあまり関係なく、人それぞれではないでしょうか。
ぴっころさんは20代女性ということで、何か僧侶の誕生日に対する姿勢、その他で気になることがあるのかな、と思いました。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
歴史的な流れもあるんですね。勉強になります。個人の誕生日は宗教どうこうより、人それぞれなんですね。
彼が僧侶で、彼の実家がお寺で自分の誕生日は祝わず、お母さんにお礼を言う日だったと言うので、母親にお礼を言うのは納得できるのですが、それだけ!? とびっくりしていました。
毎年彼に誕生日アピール笑 をしていたら、今年はプレゼントをもらったのですが、仏教的にしてはいけないことだったかもと心配になり質問させて頂きました。
お坊さんの方々の回答を見て、安心しました。
大変ありがとうございました。
ちなみに、彼から初めてもらった誕生日プレゼントは数珠でした。