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お寺の跡継ぎですが信心が無いのは問題でしょうか。

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 私はあるお寺の長男で、跡を継ぐ立場にありますが、ここ最近進路について真剣に考えていると、どうしても自分が跡を継いでいいのかという疑問を抱いています。それはタイトルにもあります通り、私に信心というものがほとんど無いからです。

 家柄上、仏教・宗教とどう向き合うかということをよく考えるのですが、そのとき仏教はこれこれこういうものであると認識することはできても、それを信じることはできません。読経や修行も必要ないのではと考えてしまいます。そのような者が僧侶となってお寺を継ぐということは適当でしょうか。私は適当で無いと考えます。

 私自身はお寺を継いでも構いません。職が決まっているというのも有り難いことだと考えています。しかし原理を大事に考えてしまうので、真面目に活動している僧侶の皆様を見ると、咎める心があるのです。

 私はお寺を継ぐべきなのでしょうか。そして、もし継ぐにしても、信心が無いのは問題でしょうか。周りにこのことを相談できる人がおりませんのでこの場で質問させていただきます。


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私たちと共に悩みながらも、一緒にお念仏の道を歩みましょう。

しっかりと覚悟を決めて跡を継ぐ! ことができている人が、どれだけいるのかしらね〜。
みんな 不安があったり、こんな私が、大丈夫だろうかと悩むことだって、あるんじゃないかしら。

だから、仏法を聴いていくわけだし、自分に深く問うていくわけだし、ご本尊の仏様の願いや救いに導かれていくわけです。
そうやって、多くのお育てに出遇わさせていただく。
職業というより、生き方じゃないかしら。

あなたの、その真っ直ぐな気持ちを、ご両親に聞いていただいたらどうかしら?
ちゃんと、あなたの悩める気持ちを、受け止めてくださるはずですよ。こんなに真剣なんだもの。

私たちと共に、悩みながらも、一緒に お念仏の道を歩まさせていただきましょうよ(*´꒳`*)

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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わたしにも似たような経験があります。

93さん、そうですか。それはつらいと思います。似たようなつらさ、自分の不実さを抱えて悶々とする人はけっこういます。わたしもそうでした。

わたしは真宗ですが、わたしの場合は、10歳くらいから信心が気になりました。法話も蓮如さまのお手紙も「信心が大事だ」と言っている。じゃあ信心って何なのと思ったらよくわからない。自分がせいいっぱいに「信じる」のではなく「いただく」と表現されているのがまたよくわからない。

高校の時に「倫理」の授業で「回心」について聞きました。名だたる宗教者の多くはほぼ必ず心が「ぐるっ」と回転するような「回心」の経験を持つ。一般人にもある。ただし、劇的な回心と漸進的な回心とがある。劇的でなければならないわけではない。……

「わからない、わかりたい」と思ったままで宗門の学校をいっぱい卒業して、それでもわからない。でも、とあるきっかけをもらって、わかるようになりました。

しかし「わかる」と言うのもやっぱりちょっと違います。「わたしがわかる・わからないはまったく関係がなかった」ということが「わかった」だけです。信心の内容そのものがわかったわけではない。だから楽になれました。

どんな宗教もきっとそうだと思うのですが、「自分が信じる」のは何の屁のつっぱりにもなりません。確固たる誠実な真面目なずっと変わらない「わたし」が信じるなら、意味があるかもわかりませんが、あやふやで不誠実で不真面目で常に変化しているわたしが「信じる」ことには何の意味もない。

ある先生は、「信心がないことを隠して、あるようにふるまうのは問題だが、信心がわからない、求めている、と打ち明けながら進んで行くなら、いいのではないか。」的におっしゃってくださいました。また、別の先生は「求めていれば必ずわかる!とは言えないが、阿弥陀さまのことだ、心配はないんじゃないか(自分だってわかったから)」と。また別の方は「南無阿弥陀仏が信心の証拠で、それ以外はない」と。別の先生は「お聖教のどこに信心の求め方が書いてある?」と。

辛いでしょうが、求めてみてください。すべての妙好人はご苦労なさって求めて、求めて、やがて晴れた方々です。求めれば必ずわかる!とは言いません。でも、わかったら、いいですよね。

わたしが信心を求めていたというのは一応本にしてあります。興味があったらプロフィールをご覧ください。

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おきもち

石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...
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信心なんて最初からある訳ないでしょ。

まず、僧侶になるなら信心ではなく、檀家さんに対し責任を感じる事です。
檀家さんは大切にしなければなりません。

次に、信心ではなく仏様に向かう真面目な心があればそれでいいのです。

マジメに仏様と向き合えば、なんとなく見えてきますよ。
自分の行先が.....

君の質問文を読んで感じたのですが・・・・
僧侶になる素質を認める事ができる人間は久方ぶりです。

まあ、行きたい進路があればそこへ没頭されてもいいですし、寺を継ぐならそれでもいいでしょう。
あなたが選択することですから。

もし僧侶になると決められた場合・・・・

クドイけど書きます。
まずは、檀家さんを大切に思うこと。

そして、今出来る事は、真面目に仏様と向き合うことです。
信心はあとからついてきます、それでいい。

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おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいっ...
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ラーメン道と仏道

有難い回答が沢山入りましたので休憩がてらラーメンでも食べながら考えてみましょう。

なんだか気持ちが悪いんですよね。自分が美味いと思うラーメンを紹介するならいいんですが、食べたこともないラーメン屋を誰かが美味しい店と言っていたからと紹介するのって。
それだけならまだマシで、それでちゃっかり紹介料までもらうんですから実に気持ちが悪いのです。
「(私は食べたことないけど)あそこのラーメン屋は美味いらしいよ。じゃあ紹介料〇〇円ね、まいどあり!」ってなもんで。

早い話が自分が食べてみればいいんです。そしたら最低限自分が美味いと思うか、不味いと思うか感想があるという意味で、紹介するにあたっての最低限の義務は果たせる。

次のステップが自分が美味いと思うものを紹介したいというものです。

色々言う人がいますが、「それって美味しくないんでしょ?」というのは一回も食べたことのない人が言うセリフであって実際に食べたのなら「どこが不味いのか語れる」のです。

ちぢれ麺は無しでしょ?とか
鳥白湯はどうもなあ…とか
辛味噌ってどこも同じ味だよねとか

それぞれ感想を持つものです。それで「自分が美味いと思うもの」に出会えればそれはそれでよいのですが、なかなかコレという店・味には出会えません。

その時にこそガイドブックの出番です。このラーメンの何が美味いとされてきたのか、私がわからなくともそのラーメンを美味いと讃えてきた歴史があるのです。名店には伝統があるもの。そこにちょっと目を向けてきましょう。

なるほどこの店は麺堅がオススメだったのか、ここの辛味噌はこのタイミングで溶かすんだったのか、このラーメンは飲んだ後だと全然印象が違うなあとか。

それでも中々「この一杯」には出会えない。しかしラーメンを食べることから逃げなければきっと気がつく瞬間があるのです。

「美味いとか不味いとか」言うのは私の感想でしかなかった。そんなものは大した問題(=信心)ではなかったのだ、と。

そうです。どんな一杯でも「私のために作られた一杯」だったのです。私があれこれ批判する前に作り手がいたのです。作り手には私に「美味いラーメンを食べさせたい」という願いがあったのです。その願いに気づいた時、私はただ「いただきます」と手を合わせるだけだったのでありました。
ラーメンこそがそのまま信心だったのでありました(違うか

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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信心は時間をかけて養うもの

そもそも仏とは何でしょう?読経とは何でしょう?修行とは何でしょう?あなたは本当に分かっていますか?これは歳を重ねるごとに答えが深まってきます。そして一歩深みに入るごとに感動を覚え、その感動を肥料に信心の樹が育つものです。
実際にこの世界にドップリつかる前から信心めいたものがあるなら、それは仏教の信心ではなく、自分ストーリーですよ。今は何も分からない真っ白な状態の方が望ましいのです。

さて、ここの回答を拝見すると「私もそうだった」という声が多いですね。とても有り難いことです。仏門に限らず何でもそうですが、人は迷った経験や間違った経験、辛い経験や苦しんだ経験があればこそ、他人の痛みを理解できるようになります。そして他人の痛みが分かるからこそ、人の苦に寄り添うことができるようになります。それが宗教家の大切な素質の1つです。
お釈迦さまでさえ「生きてる意味あるのかな?」とか、「教えを人々に説く意味あるのかな?」と悩んだ経験があったからこそのお釈迦さまです。ウチの宗派の道元禅師も「修行する意味あるのかな?」という悩みを解決するために留学までしました。

人生に迷うということは、お坊さんにとって適当な1ステップです。迷いそのものを恐れるべからず。それもまた修行です。ま、ボチボチやりましょう。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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いきなり目に見えない仏様を信じろと言われても困りますよね。私も信じていませんでしたから。
先ずは実在したお釈迦様のこと、その生涯や残した言葉の数々を学んでみてはどうでしょうか。
仏教とは、仏の教え、仏に成る教え。お釈迦様は人々に仏になるように勧めたのです。仏になればすべての苦しみや迷いが無くなるからです。
お坊さんになるという事は、お釈迦様のように人々を仏になるように勧めることです。
つまりは人々の苦しみを無くすことです。
信心もその為のものです。
あなたの宗派が何かは分かりませんが、お釈迦様の教えがあなたの宗派の教義にどのように受け継がれて、どのように檀家さんや信者の人々の苦しみを無くしてきたのか、人生を応援してきたのか、それを学んでいきましょう。
それが分かれば自然に信心が生まれてくると思います。
と言いつつも、私もまだまだ未熟者です。お坊さんになるなら、お互いに精進しましょうね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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ご仏縁

93様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も同じく「信心」はほとんどありませんでした。

修行も結局は、住職の病気により、仕方なく大学を休学して急遽行ったぐらいでした。

帰山して大学に復学してからも、仕方なく(ある意味では嫌々に)寺務・法務・作務をしながら、休学前からの続きとして、司法試験の勉強をしたり、政治活動をしたりとしていました。

しかし、ある時に大転機が・・

以来、一から仏教を学び進めて、やっと15年。

ようやく、最近になって、仏教への入り口に正式に入れたかな、と思い始めています。

「信心」もやっと少しという感じでしょうかね。。

そして、このhasunohaなどの超宗派の活動や未来の住職塾の受講など、「やる気」も少しやっと自分なりに出てきたといった感じです。

それもやはり、過去世と今も含めての色々なご仏縁の因縁(原因と条件)によるところもあるのではないかと。

仏教は、自分のみならず他も含めて一切衆生に対する迷い・苦しみを無くすための教え、きっと、この先、何かの機会において仏教の安心・癒し・救いが自ずと必要となる時もあることでしょう。

その時にこそ、しっかりと仏法と向き合い始めるための良い機会になるかもしれません。

僧侶になる、ならないは別として、いずれにしても、今あるご仏縁はご仏縁として大切に思って頂けましたら有り難くには存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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回心される事が大切ではないでしょうか

93さん、ご質問ありがとうございます。質問の内容は理解できました。自分も気にしている事ですが、信心よりも門徒さんを大事にしていくべきではないかと思いますねぇ。朝晩に仏様に合掌礼拝させて頂く事が大切です。いきなり僧侶になる事は難しいですが、ゆっくりと聴聞させて頂く事や1つ1つ実践させて頂き精進されると良いかと思います。 合掌

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山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

 沢山の回答有難うございます。
 こうして積極的に活動されている皆様にも、私と同じような悩みを抱えていた方が多いことに、少し安心しました。私には他人に目を向けるという考えが抜けていたようです。いただいた助言に従っていろいろと調べてみます。

 そしてひとまずは僧侶となり、お寺を継ぐことを前向きに考えてみようと思います。

 考えに詰まったらまた質問に訪れるかもしれません。そのときはよろしくお願い致します。

「お寺で働く」問答一覧

お寺で働きたい、できれば得度したい

私は在家ですが空海様のことが好きで、貧乏な中何とかお金をやりくりして憧れていたKというお山に行きました。 そこで男性のお坊さんの中に、一人私と同年代の女性の方がおられて、ついつい宿坊で働きたい、できれば得度もしたいという願望を話してしまいました。 女性は笑ったりバカにせず逆に喜んで真摯に優しく話を聞いてくれ、お山での生活や女性の立場(男性社会だそうです)、得度のことなど細かく教えてくれました。 その女性も在家出身で、最初はお台所の手伝いをしていたのが、書道をしてるのでご住職の指示で寺務に替わり、ご住職から得度のお許しをいただき、仏様のお仕事もさせていただけるようになったとのことでした。 でも、おつとめなどに出ることは許されず、お盆のお檀家さん参りにも出られないらしく、「男性のお坊さんが滞りなく拝めるように本堂の準備や書き物をするのも、大切な勤めなんですよ」と、何のご不満もなさそうににこやかに言っておられました。 私はそんなのおかしい!?今は男も女もない時代なのに!と、つい怒ってしまいました。 それですぐに、激しく後悔… 私は気に入らないことがあると感情的になってしまうところがあり、この女性のような方だからこそ得度を認めてもらえたのかなぁ?やっぱり私ではダメなのかな?と、すっかり落ち込んでしまいました。 そのあとお山の、そのお寺様ではない別のお寺様に面接に行って落とされてしまいました。受け答えの仕方に気を付けていたのですが、どうしても聞かれてないことまでベラベラしゃべって変な主張をしてしまい、それが原因なのかなぁと悩みました。 うまくまとまらなくてすみません。やっぱり私のような者には、お寺様で働くこと、ましてや得度は厳しいのでしょうか。厳しいご意見でも結構です。何かお言葉をいただけませんでしょうか。

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今後の接し方

寺院で勤務しております 住職の親族の方々と他にも従業員は複数おり、参拝の方への対応(拝観料や物品土産物)で生計を立てている寺院です。 その住職の事に関しての相談です。 寺院をより良くする為早朝から休日もなく日々住職自身も頑張ってられるのは皆もわかっております。 普段は気さくな方ですし辛い修業をされた立派な住職だと思いますが、人を信用しないし周りへの感謝も無いように見えます。 例えば、何か間違ったりミスをすると、住職の傲慢な態度や人格を否定するような暴言を浴びせられます。 それは親族の方も従業員に対しても参拝の方へも同じです。 参拝の方と言い合いになって警察の方に来てもらったりも過去にはありました。周りの人も住職の機嫌や顔色を伺いながら仕事をしているような状態です。 このようなタイプの人(しかも僧侶)が幸いにも周りに居ませんでしたので免疫がありません。 会社などの組織なら皆でより良くするため部下からの提案や改善、意見できる場があったりしますがお寺のトップの住職には身内の方もどなたも意見や注意や忠告はできません。 先日も同じようなことがあり自分自身諦めもあり、顔色を伺いながらなるべく距離を置いて仕事をするようにしていますが嫌でたまりません。同業の和尚様方はどのようにお考えですか?自分自身今後どのように対処していくべきか悩んでいます

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自分を見つめ直す為にお寺で働きたい

初めて相談させていただきます。 就活中の大学生です。 在学中にアルバイトも兼ねてお寺で住み込みで働きたいと考えているのですが、その心構えについての是非を伺いたく、相談させて頂きました。 とても個人的な話で長くなりますが、最後までお読みいただければ幸いです。 私は将来、海上自衛隊で働きたいという夢を持っています。 大学で体育連盟の部活を行っていたため体力的には問題ないのですが、日本を守るという仕事で必要になる強い責任感や精神力、人を引っ張る力というものが自分にあるのか、とても不安です。 強いリーダーシップのある方はみな自分の軸をしっかり持っている人なのだと思っています。私も自分の軸を見つける、または構築するために、自分を見つめ直すことが必要だと思い、様々なことを考えた結果たどり着いた結論は仏教の考え方によく似ているところがありました。 大学生のうちに仏教の世界で生きている方々の近くで生活し対話することで、自分の考えをさらに醸成し、ぶれない軸が作れるのではないか、これからの人生の指針が少しでも定まるのではないかと思い、住み込みで働けるお寺でのアルバイトを探しているところです。 また、死を覚悟することもある職場で働くことになりますので、お坊さんのお話をできるだけ沢山聞いて、自分なりの死生観を獲得したいと考えています。 長文、散文になってしまい申し訳ありません。お寺で働きたいと考えた理由は上記の通りです。 質問は以下の内容になります。 ①-1 学生アルバイトで住み込みで働けるお寺はあるのか ①-2 働ける場所がある場合、女性でも大丈夫か ②自分の軸を見つめ直したいという個人的な理由だけでお寺で働きたいというのは、お坊さんとしては浅はかだと思うか、また仏教の考え方に大きく外れてはいないか ③お寺で働ける場合、お坊さんのお話を聞ける機会はあるか 長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。 相談に乗っていただければ幸いです。 よろしくお願いします。

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寺を継ぐとは。私で本当によいのか

こんにちは。初めて質問させていただく者です。拙文、長文ご容赦ください。 私は現在、実家の寺を継ぐために仏教系の大学で宗教の勉強をしています。将来的には僧侶となり、ゆくゆくは行政書士等の資格も取り、檀家様方のお手伝いをさせていただく心構えでした。 しかしながら、軽いうつを患い休学中、色々と思考を巡らせてゆく中で、本当に自分は寺を継ぐべきなのか、継いでもよいのかという不安が沸き起こりました。 恥ずかしながら、私は生まれながらに発達障害を持っています。そういう訳ですから(無論、全てが障害のせいであるというつもりはありません)、小学校時代から課題が出せない、時間、約束が守れない等、人が社会で生きていく上で基本的な事を上手くすることが出来ませんでした。幾度か改善を試み、精神科の先生にもお世話になっておりますが、完全に解決したとはまだ言えません。 元々いい加減な性分ですので、大学に進学するまでも、なんとなく漠然としか将来を考えていませんでした。それ故に、自分の思い描く目標が絵に描いた餅そのものではないかと気づいたときにはもう一回生の終わりに近づいていました。 私の実家は県下でもかなり大きな寺です。檀家様の件数は千を超えます。学業も碌にこなせない人間が、そのような環境下で期待に応えられるほどの働きができるか甚だ疑問です。 仮に私が継がなくても、そのまま無人となることはまずあり得ないでしょう。私より仕事の出来る方、業界に精通する方、人として素晴らしい方はいくらでもいます。そういった方々に代わりに寺をお任せすることが、実家に関わる者全てにとって幸せになるのでは。そういった想いが頭を離れません。 昨今の宗教離れが叫ばれる中で、こうした多くの檀家様方に支えられていることは大変ありがたいことです。そのことは重々承知の上で、私が継いだ時に皆様を失望させてしまう事が一番怖いのです。 無論、仮に私が継がなければ、現住職が亡くなった時に我々は寺を出て行かねばならないこともわかっています。両親は無理して継ぐ必要はないと言ってくれていますが、実際の本心は私には分かりかねます。 私の疑問はどうすれば晴れるのでしょうか。 また、このような経験を、回答者の皆様でお持ちの方はいらっしゃいますか。いらしゃれば、そのときの体験をお聞かせ願えませんでしょうか。 回答お待ちしております。

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お寺さま

お忙しくされておられるなか、読んでいただけたらありがたいです。 私自身のことなのですが、もう大きな年齢なので婚活より就活をがんばってみようかなと考えはじめています。 若いころからお寺さまやお坊さまに憧れていまして、お坊さまとの出逢いも望んで婚活もしてきましたのもあるため、 これからは憧れでもあるお寺さまでのお仕事をしたく考えています。 自分ではハローワークやインターネットでの求人を探しているのですが、なかなか求人をみつけることができず、大きなお寺さまなら募集があるかもと思い、メールやお電話で問い合わせたりしています。 メールではなかなか返信をいただくことはないのですが、お電話ですと丁寧に対応してくださって教えてくださいます。 正社員というのはみつかりませんが、短時間のお仕事ならという募集はありました。 今のところお断りがほとんとなのですが、元々、家がお寺さまだと受け入れてくださるところはありました。 お寺さまは求人は少なく感じますし、家がお寺さまでなければということもありますし、一般家庭の私では無理なのかなと思います。 好きなお仕事をしたいと願うのですが、生計のことを考えると我慢しなければならない部分もあるでしょうし、、、 悩んでいます。 いろいろと教えていただけたらありがたいです。 よろしくお願いいたします。

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