仏教の世界では
尊敬していた方が亡くなり、お通夜に行ってきました。
地域にとっても貢献したお爺ちゃん医師で亡くなるまで現役でやってた方でした。
お通夜の際、下世話な話になってしまいしますが、とっても大きな葬儀で、お坊さんも3人で拝んでました。
一般的に一人のお坊さんが拝むのと、3人のお坊さんがお坊さんが拝むのは、どぅ違うのでしょうか。
例えば、3人のお坊さんが拝んだ方が、故人が成仏しやすいとか、三途の川を楽に渡れるとか、、、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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儀式の進行上、或る程度人数が居た方が良い場合もあります
曹洞宗の寺の住職をしている吉田俊英と申します。曹洞宗の檀信徒の葬儀の場合に即して説明させていただきます。
曹洞宗の檀信徒の葬儀に於いて、重要な点は①授戒②引導の二つです。
①の授戒とは、導師(菩提寺住職)が故人に対して仏戒を授け、故人を仏弟子とし、仏弟子となった証しとして戒名を付け血脈(けちみゃく 仏弟子であるという証明書)を渡すことを言います。
②の引導とは、ちょっと難しい言葉ですが、誘引教導を略した言葉であると言われています。故人を御仏となる道に誘い、正しく仏道を歩むよう導くことを意味します。法炬(一般には「たいまつ」と呼ばれています)をかざして棺に点火して火葬する儀式を行い、引導法語と言って故人の生涯を総括し餞け(はなむけ)の言葉を掛け、迷いの世界から悟りの世界に身を転じるよう喝を入れます。
ちょっと専門用語の説明がくどくなって申し訳ございませんが、①②が葬儀の根幹の部分です。導師が一人いれば、行うことは可能です。
では、2人3人とお坊さんを呼ぶことは無駄なのでしょうか?
いいえ、決して無駄ではありません。必ずしも、そうとは言えません。葬儀始め様々な儀式を行う際には、殿鐘、太鼓、鈸(はつ)、鏧子(けいす、木魚など様々な仏具を使って執り行います。僧侶の人数が何人かいれば、必要な仏具をしきたりに則って使用することで、より円滑に葬儀を進行することができ、より厳粛な葬儀を執り行うことが出来ます。形式ばかりを重んじても困りますが、形を整えることも大事です。曹洞宗では「威儀則作法、作法是宗旨」と言って、形を整えてこそ心も伴うものであり、仏様や個人への供養もまず形を整えることから始まりそのことを通して真心も伝わっていく。そういう考え方があります。
見栄や世間体のために、多くの供花を用意し高価な香を焚き、衆僧(多くの僧侶)の読経を捧げても、功徳があるとは言えません。葬儀に関して言えば、葬儀にかけられる費用の枠内で、故人のために真心を込めて遺族としてのつとめを果たすことが大事だ、と思います。
満足度の問題
お坊さんがたくさん居た方が豪勢で満足度が高い。
ただそれだけです。
1人の方がよければそれでいいと思います。
たくさん僧侶を呼んで豪華な葬儀をしたい人はそうしたらいいでしょうし、したくない人はしなければいいです。
僧侶の側から言えば、たくさん呼んで頂くことでお寺の運営上とても助かります。
実際、僧侶1人での葬儀が増えたことで小さなお寺が潰れています。
他寺院の葬儀に呼ばれることで何とか維持してきたお寺も多いのです。
宗派や地域により様々ですが参考までに
まず、お葬式でお勤めされるお坊さんの数で、行先がかわるなどということはありません。
ただ、宗派によってお葬儀での役割が決まっていて最低何人ということはあると思います。それは定められた儀式の仕方が決まっていることから最少人数も決まってしまうということで儀式を執行する際の決まり事ですね。
私たちの浄土真宗では通常、役割といってもせいぜい、導師(儀式の主な執行者、そのなくなった人の頼み寺住職が勤めることが多い)、鐘(かね)をたたく人(一人でできないわけではない)くらいのものです。あとは何人いてもただ座って(ときに立って)お勤めするだけです。
だったら何も大勢はいらない、ということになります。そこで私の寺の葬儀を例にとって説明します。まず、同じ村に禅宗のお寺がありますので、そこのご住職には来ていただいています。同じ村の住人として故人と生前お付き合いがあり親しくしておられたからです。それから同様の理由で近郷の寺のご住職、よその村から嫁いでこられた女性は生家のご住職、その他近い身内の頼み寺からもおいでになります。こうしたからといって亡くなった人が結構なところに行けるのではなくても、このような形で大勢のお坊さんたちとを招いて娑婆の皆さんとある意味でのお別れの儀式を勤めるのです。
こうしたことには確かに無駄な一面はあります。だから私の住む田舎でもお坊さんの人数ははっきりと減少傾向にあります。しかし、多くのお坊さん、そして村人、知り合い、親戚などたくさんの人に見送られてお別れすることには無駄とはばかりは言い切れない尊い意味があると私は信じています。
いっぱい呼べばかかるもの
葬儀に僧侶を沢山来てもらうと、お布施をいっぱい包まなければなりません。
税金とお布施はよく取られたと表現されてしまいますが、そもそも沢山の僧侶にお経を読んでもらうことに意味があるのかどうかが問題になります。
ではその辺について少し考えてみましょう。
インドで釈尊が説かれた教えが仏教として日本に入って来ましたが、インドでは福田(フクデン)という思想がありました。聖職者に施しという善行をつみその後に福徳を得るという考え方です。
布施とは「施し」という意味もあります。
お坊さんを沢山来てもらって、沢山の布施をすることは沢山の福徳を得ることになります。
この福徳を亡くなった方の所に届けるのが回向(エコウ)です。
こう考えるとあながち無駄や無意味ではないような気もしますが、あくまで亡くなった方に対して、少しでも心穏やかにいてほしい、仏様の元で早く悟りを開いてほしい等と思ってすれば意味があると思います。
しかし、財力を誇示するために沢山呼ぶことは本末転倒です。
最後も盛大でありたいという願い
由美子姫さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
由美子姫さんは、お坊さんの数で成仏しやすいのか、気になるのですね。また、なぜたくさんの僧侶が必要なのかも気になっておられるのですね。
故人は地域に貢献し、誰にも愛された方であったと拝察します。そういう方が亡くなったとき、ご遺族だけでなく、お世話になった方々が少しでも何かできることはないかと考えます。そのひとつとして、盛大な葬式をしたいと考えることがあります。
盛大な葬式とは、幅の広い祭壇(地域によりますが通常は120㎝ぐらいなので、その2倍の大きさ)を準備し、生花をたくさん供え、たくさんの方が葬式に参加でき見送ることができるものです。参列者は200名~300名ぐらいを予想します。そうなれば、僧侶がひとりだけでは格好が付きません。3名~4名の僧侶に来てもらい、読経を依頼することになります。
全ては、故人を盛大に見送りたいという意思の表れだと思ってください。お葬式の準備をした人も、参列した人も、「いい葬式だったね」と言えるような式にしたいのです。
質問者からのお礼
芸能人の葬儀も何かとTVで、お坊さんが3人 で拝んでいるところを見てると『やっぱり金持ちのお葬式は違うよねぇ~』と下世話な考えで見てしまう自分がダメなんですよぉ。
回答、ありがとうございました。