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死の恐怖から未来に希望が持てません

回答数回答 3
有り難し有り難し 33

はじめまして。
初めてご相談させていただきます。
現在高校3年生の女子です。
私は最近死の恐怖に囚われています。
死んだ先に何があるのか、死んだら無になってしまうのか、私はいつ死ぬのか、いつか死んでしまうのに何で一生懸命に生きるのか、死んで大好きな家族とお別れしなくないなど考え出したら止まりません。普通の高校生というとこれからの明るい未来に想いを馳せ、夢を抱くような時期だと思うのですが、自分の最終的な未来が死だと思うと怖くて怖くてたまらないのです。自分の最終的な未来が死だと思うと何だか未来に希望が持てません。
私はなんのために生きるのでしょう?

実は半年前にも死がたまらなく怖かった時期があるのですが、何とかあまり考えないようにしてこの瞬間を生きることに一生懸命になることで忘れることが出来ていましたが、また考えるようになってしまいました。初めて死ぬ恐怖について考えたのは高校2年生なのですが、死ぬ恐怖のことなんて一切考えてなかった幼少期の無邪気な自分に戻りたいとも思います。そのほうが幸せなのかなと思います。でも一度考え始めると本当に自分でもどうしょうもないくらい止まらなくて、苦しいです。授業中とか友達とくだらない話で笑ってる時も考えてしまいます。周りの人たちは日々を楽しんでいるように見えるのにこんな自分が嫌になります。
今の私の気持ちが楽になる方法はあるのでしょうか?

たいへん長く読みにくい文章になってしまい、申し訳ありません。私にとって人生の先輩であるお坊さんに何かしらのアドバイスやお言葉を頂けたらと思い、相談させていただいました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死ねないから安心されたし

昨日寝た時に寝た記憶がないでしょう。
今晩も寝るのを死ぬことと思って眠りにつくアルよろし。(-_-)zzz
気が付いたら死んでます。あ、ねてます。あ、気が付けないか。寝てるから。気が付いたら朝になっています。
人は死は体験できないという事です。
死を体験したければ神奈川のなごみ庵というところにアノ世に連れて行ってくれるとか?死を体験できる?U師とかいう僧侶がいますのでご検索を。
自分の死は自分で自覚ができない。
だからと言って死んで終わりではない。
死んでも生きている人がうじゃうじゃいます。👻💀
あ、オバケの話じゃありません。
今日は金曜日で子供たちにTVをジャックされます。
ドラえ門とかクレEンしんちゃんも死にマセン。
作者は両方とも死んでいるのに。作品が一人歩きしている!映画化!グッズ化!死んでも稼いでいる。👻アンPマンにいたっては正義の味方のくせにアンPマンミュージアムでは2歳の子供からも1500円も徴収するという正義?の悪行非道ぶりっすわ!アンチあんPンチ。
話がズレましたが、死んでも生きる事がある事を知った方がいいです。
今日なんかビートルズが生き返りましたよ?
レリピー名曲ですね。
歌詞の訳を読んでください。
「ホトケ様が言いました。それをその通りあるがままにしなさい。(LET IT BE)」
※ジャスラック対策のため歌詞の一部が改変されています。(笑)

人生の究極のレリピー(LET IT BE)は、死も死として、そのままでいることです。
今こうしている時に呼吸もレリピーしていたでしょう。
無自覚、無作の呼吸。無為の呼吸。
拾いあげも取り上げもない。
レリピyなレリゴー。THIS IS IT。
究極のあるがままを会得すると、死が死ですら無くなるという体験ができます。
それが仏教の正覚、悟りyです。
人間の感受以上、認識未満。
「あなた」の思いが介入される前の、ありのままの、あるがままの、アナもエルサもビックリのレリゴーを仏教を学んで体験してみてください。※師匠選びは大事ヨ
考えても答えはつかめません。
考える以前に人間はなにしてますか?
見たり聞いたり。見えたり、聞こえたり。
それが、それで、そうあるだけで。
取りあげなきままに居る時、それが何であるかも知らずに、ただ、そうしているだけなのです。あなたは今、ひと呼吸ですら忘れていた。レリピー

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おきもち

恐怖は無知より生ずる

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死への恐怖は、皆、あって当然であると存じます。

また、普段は、その恐怖を隠して、また、それをどうにか取り繕って考えないようにしているというところがあるのも、皆、否めないのではないだろうかと存じます。

実は、拙生も最近までまだ持っておりましたよ。

仏教では、議論しても仕方のないことは「毒矢の喩え」として辞めましょう、ともよく言いますが、だからといってもあまり本質的な解決にはならないことも・・

恐怖というものは、ある意味において、「無知」(真理を知らないこと)から生じます。

ですから、死の正体を知ってしまえば、それで恐怖は無くなる、あるいは、無くならなくても減るものになるはずです。

死とは何か、死後とはどのようなものであるのか、是非、これを機縁として、仏教を学ばれることで、死、死後について知ることにより、その恐怖を無くすと共に、色々な悩み苦しみをも克服して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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テーマです

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるお気持ちよくわかります。
そう思うのはあなただけではありませんからね。
私も小学校高学年から中学生までの間そのような暗黒の思いにさいなまれておりました。
ひたすら恐怖におびえて頭から布団を被って逃げていました。
がしかしそれでは一切解決はしませんでしたね。
恐怖は心の中で逃げればとめどなく追いかけてきます。自分が作り出している恐怖ですから逃げ場なんてないですからね。

よくよく考えれば自作自演の恐怖ですからね。

またよく考えれば死は私達人間や生き物全てに与えられた平等の到達点です。言い方を変えれば平等に与えられた権利でもあるのです。
そして死があるからこそ私達は生き物は真剣に生きることに向き合うことができるのです。そして価値を見出すことができるのですね。

限られ与えられた中だからこそ自分に向かい志しを持って生きることができるのです。

ですからいかに死にむかって生きていくことができるかが生きる最大のテーマです。

あなたのこれからの未来をあなたが真摯に誠実にお向き合いなさり充実してご成長なさって頂きますように心よりお祈り申し上げます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

忙しい中ご回答ありがとうございます。
ここ最近考え込んでしまっていたせいでずっと気持ちが重かったのですが、自分の今の気持ちを素直に文章にすること、ご回答を頂けてまた新たに考えたことでなんだか少し気持ちが楽になった気がします。ありがとうございます。

◆川口英俊様◆
やはり、みんな何ともないように見えて死の恐怖は誰にでもあるものなのですね。
確かに知らない、分からないことは怖いです。考えてみたら世界にはわからないことの方が多いから一つ一つ考えてみても切りがないのかもしれないと考えることもあります。
でもやっぱり死はわたしの人生におけるテーマだと思うので詳しく知りたいです。
私の母が仏教に興味があって、沢山本も読んでいるのでまずは母と色んな話をしてみたいなと思います。自分で本も読んでみたいなと思いました。
ご回答ありがとうございました。

◆Kousyo Kuuyo Azuma様◆
確かにわたしがただただ死の恐怖に怯えているのは何の解決にもなっていませんでした。
自作自演の恐怖という言葉がとても心にきました。わたしの死の漠然としたイメージで何度も自分自身を追い詰めていたのかもしれません。
やはりまだ恐怖はありますが、少しずつでもいいから自分のこれからの人生における考え方を変えていきたいなと思いました。
前向きに生きていけるようにしたいです。
ご回答ありがとうございました。

◆丹下 覚元様◆
ここ何日も考えて考えすぎて、自分が自分じゃないような感覚に陥っていました。
死に囚われすぎて本来の自分さえ分からなくなってしまっていました。
LET IT BEの和訳見ました。(恥ずかしながら、今まで意味をあんまり考えずに歌っていました)なぜか涙が出てきました。そして少し楽になりました。
今ここに存在している自分のあるままに行きたいなと思いました。私の心の思うままに生きたいと思いました。私は今確かに生きているし、存在しているんですね。
仏教もぜひ学んでみたいと思います。
ご回答ありがとうございました。

「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 2
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はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 8
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有り難し有り難し 12
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自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

有り難し有り難し 13
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死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。

初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ