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「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか?

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例えば浄土宗の檀家で、普段は念仏を唱えているけれど、ときどき座禅や阿字観に参加したり、お護摩に参加する。
そう言う人が知人に居ます。

私の場合、浄土宗で冠婚葬祭も勤行も、阿弥陀様メインではありますが、同時にお不動様と大黒天様に惹かれ、こちらも勤行しています。
(浄土宗のお寺にも多くは無いですがお不動様をお祀りしている所があるので、大きな軋轢は無いだろうと思いました)

最近、一般向けの仏教の啓蒙書でも、そうした「宗派にこだわらない」立ち居地から仏教を紹介している本も少なくないように思います。
私も、とある有名な仏教解説者の影響を受けて、こうした立ち居地が、個人的に合うように思い、そうしてきました。

ただ、色々と仏教を勉強していると、「そうした信仰はよくない、宗派は1つに絞るべき」と言う意見にも、しばしばぶつかります。
最近では、浄土宗の檀家の私が、護摩に参加するぐらいならともかく、結縁灌頂まで受けるのはやり過ぎかな? と悩んだりもしています。

お坊様は「宗派にこだわらない信仰」についてどう思われますか?

この質問は聞きずらいですし、お坊様がたもお答えしずらいかもしれませんが、「宗派にこだわらない」一般仏教啓蒙の影響を受けた者には、けっこう切実な悩みです。
よろしければ、ご意見を伺えたら幸いです。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すべての宗派の信仰は真実の自己を信仰させるための信仰

私には宗派はありません。
表記上、曹洞宗と記していますが、宗教や宗派を追求していけば宗派はないということがわかります。
お釈迦様に宗派があったでしょうか。
仏教語なんていうものを使っていたでしょうか。
仏教思想なんていうものがあったのでしょうか。
仏教は深い意味では宗教ですらないのです。
言い方を変えれば、世界中の宗教と言われる思想団体の思想の縛られ、とらわれにすら縛られない宗教中の宗教です。
ただし、それは仏教の真意を理解・会得する必要があります。
簡単に申し上げれば、スーパーやコンビニは誰もへだてなくお客さんを受け入れます。
仏教団体、思想団体では、隔てや受け入れ拒否なものも存在します。
お釈迦様の元には様々な宗教・思想の方々が教えを乞いに集まりました。
私どもも、同じく隔てはありません。
うどんとそばとラーメンとパスタがケンカしたって、どれもみんなヌードルです。
肩書きや意味づけ、思考・思想に溺れる人は宗派をそれぞれ別ものであると思ってしまうものです。もしそんな風に仏教者が思っていたら各宗派の宗祖さんが泣きます。
世の中には、宗派の隔てがあるというよりも、お釈迦さまや宗祖さまの教えを自分流に独自の解釈をした考えというものに縛られた人が存在する、と覚えておくと良いでしょう。
道元というお坊さんは、そういう仏教界が縛られている事をなげき、曹洞宗を曹洞宗とも禅宗とも呼ばなくてもいい、と説かれました。
誰もが等しく救われるのが仏法です。
あの人は宗派が違うから救われないなんてことは仏教においてはありません。
正しいものの道理の理解によって目が開かれていくものであり、信仰といっても盲目的な信仰は身の毒です。正しい理解によってこそ、絵空事や妄想の無い信仰に目覚めるのです。
すべての宗派の信仰というものは、ある側面から申し上げれば、真実の自己を自覚させるための信仰といえるのではないでしょうか。
その証拠に、信仰によって深められた自己を省察すれば、そこには何の宗派ラベルもついていない、純粋無垢の自己であることがハッキリするからです。
その真実の自己、明らかになった自己を後から仏とか、仏性とか、宗派ごとの理想とする境地・境涯で表現されているのです。
あの道も、この道も同じ山の頂を目指す道。
色んな道を知っておくとよいでしょう。

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みんなのサンガと個人の遊行

私はウチのお檀家さんには「様々な宗派を体験して見聞を広めるのはとても大切なことです。でも、家の宗派と個人の信仰を割り切って両立できるようにしましょう。もちろん家の宗派と個人の信仰が一致するなら素晴らしいことですし、楽でもありますよ。」とお話ししています。
私は浄土宗でも密教でもありませんから結縁灌頂がやり過ぎかどうかは分かり兼ねます。でもウチのお檀家さんの中には高野山で授戒会に参加したけど、お葬式はウチの禅宗でという人がいらっしゃいますよ。
私自身も上座部で短期出家しましたし。もう捨戒していますが。

さて、自分は個人的に◯◯宗が好きだからといって家ごとコロコロ宗旨替えしてしまう人もいますが、これは自分勝手です。自分が死んでから実際に供養する人は遺された家族や親族なのですから。その人たちも心から一緒に手を合わせて思いを共有できるならともかく、その人たちの心情を考えもせずに自分の好みを押し付けることは自己中心的です。家の祭祀、一族の祭祀というものはよくよくコミュケーションをとった上で考えねばなりません。そういうことを考えもしない積み重ねで人と人との繋がりが希薄な社会になるのです。

しかし一方で嫁入り・婿入りする人が実家の信仰も大切にしたいという個人的な信条も尊重されるべきです。あるいは他宗派だけど尊敬できるお坊さんに出会えた!あの人に帰依したい!いうことがあったなら、それは何にも増して素晴らしいことであり、そのような出会いには貪欲であって頂きたいです。

このようなところで折り合いをつけていくと、こちらの宗派は家の祭祀として信仰します。あちらの宗派は私が個人的にご縁があって信仰しているものです。そちらの宗派もちょっと関心があるので勉強しています。と、こういう風に対外的にも内的にも割り切るのがオススメです。

ぶっちゃけ、昔の人の方がよっぽど自由にやってましたよ。自動車や鉄道が無かった時代の田舎ではお坊さんも人出がないから宗派を超えて法事やお葬式を手伝っていたんですよ。今でも地方の山間部にいくとその名残りでお付き合いが残っている所があります。いわゆる鎌倉仏教のお祖師さまがたもほとんど皆、比叡山の出身ですし。20世紀に学者さんが「宗教とは、タブーである」と言い出してから、あれもダメこれもダメ、みんなでお互いにタブー探しをする窮屈な世の中になったんです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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宗派にこだわらず、様々な場面で仏の教えを聞くことは大切です

法華経の観世音普門品の中には観世音菩薩が様々に姿を変えて仏の教えを説くと語られています。
バラモンに帰依して教えを聞く者にはバラモンの姿で、ヒンズー教の神様に帰依して教えを聞く者にはヒンズー教の神様の姿で‥‥と、聞く者の受け皿に対応して無限に姿を変えて仏の教えを説くのです。
であれば、宗派にこだわらず様々な場面で仏の教えを聞くことは大切です。
一方で、仏の教えを聞くというよりも、単に「仏教っぽい何か」をイベント的に楽しむという場合もあります。それはそれで悪いということはありませんが、それを専一に修行している人から見ると、どこまでホンキなのかな?と妙に思われる場合もあるでしょう。
いずれにしても、その宗派の僧侶として修行するというのでなければ、個人がどのような形で仏の教えにかかわっても、それが間違いということではありません。

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おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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そうですね、そもそもこだわりを捨てることもお釈迦様の教えですから、間違っていないと思いますよ。
私も浄土宗でありながら阿含経典も法華経も好んで読んでいますし、機会があれば坐禅やヨガも教わりたいなと内心思っていたりします。

浄土宗の信者が信仰することで大切なことは、やはり命が尽きた後に極楽浄土に連れていってもらえる、ということだと思います。
念仏を唱えるのもその為ですよね。
ですから、そのことに関しては阿弥陀仏を信仰するのがいいでしょう。

そのほかのこと、例えば生きる上での知恵など、お釈迦様の教えは大変参考になると思います。
また、日本人ならたくさんの八百万の神様に現世利益を祈ることも習慣としてありますよね。
そのように多くの神仏を信仰してもいいと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「菩提心」

kentarou様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

宗派は後付けのことであって、もともと宗派などは無かったのですから、釈尊の教えを学び、そして、修していくということで基本的には構わないのではないだろうかと存じます。

実際に釈尊の善巧方便の中での、どれが自分に合うのかは、正直、一つ一つあたりをつけていかなければ分からないこともございますし、更には、段階的に受容できていけるものもあるのではないだろうかと存じます。

実際、拙生もある時期までは密教に対して否定的な考え方がございましたが、いまや、チベット密教における無上瑜伽タントラの実践修行を毎日なにより熱心に努めている次第でございます。

とにかく、一番に大切として頂きたいのは、「菩提心」でございます。

やがて皆を救えるようになるために悟りを得たいという強い志である「菩提心」を持って、日々、仏道に励み努めて参りたいものであります。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お坊様がた
懇切丁寧なご教示、恐縮です。
一つの宗派にこだわり過ぎ無い信仰はお坊様がたも支持、あるいは実践しておられると聞き、勇気づけられました。
私の一族は先祖代々、浄土宗の信徒でして、このご縁は大切にしたいと思っています。そして何より私自身がどうしよう無い煩悩まみれのド凡夫で、そんな私も見捨てないと言う阿弥陀様の教えにも惹かれております。
それでいてお不動様や密教にも惹かれ、こちらはあくまで個人的信仰として実践しております。
引き続き、信仰をしながら勉強をして行きたいと思っております。
ありがとうございました。

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