回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「苦」の根源です
仏教の目的はたったひとつ。「苦」の消滅です。
なぜ苦しむのか。煩悩によって真実が見えなくなっているからです。ものの見方が狂っているからです。
移り変わるものを永遠と信じ、欲を満たすことを幸せと考え、ありもしない「私」に執着するからです。
その煩悩、苦しみの尽きた境地を涅槃(ねはん)といいます。仏教徒が目指すゴールです。
仏教では、善と不善とを明確に区別しています。
善とは過失がなく、よい結果をもたらすもの。
不善とは過失があり、悪い結果をもたらすものです。
私たちを煩わせ、悩ませ、苦しめる不善のはたらき。それが煩悩です。
「もろもろの悪いことをなさず、もろもろの良いことを行い
自らその心を浄くすること。これが諸仏の教えです」
「煩悩=悪」にあらず
alexさん
私もWikiを見てみましたが、たしかに難しい説明ですね。
私にとって煩悩とは「本能」「欲求」と言い換えられます。
食べたい、飲みたい、寝たいという動物的な本能。
愛されたい、高級なものが欲しい、名誉を得たいという人間ならではの本能。
そして、家族が健康でありますように、受験に合格しますように、という一見良いことに思える本能。
これら全てが煩悩だと思います。
誤解してはいけないのは「煩悩=悪」という考え方です。
煩悩がなければ、科学や社会の発展も、人類の存続もありません。
人間にとって不可欠なものでもあると思います。
物事をわたくし化した時に現れる心のバイキンマンです。
世界はもともと誰のものでもありません。
あなたが生まれる前から宇宙や地球、世界はずっと人間の意思、思惑、欲望とは無関係に動き続けています。
人間だけはそれを「わたくし視線」で良い悪いを起こします。
普段の生活でもわたくし濃度が濃い人や、オレオレ意識が強い人は、普通の人に比べて怒ることや、悩みも多いです。
例えばあなたが、こうなって欲しい、と期待していた時に、それとは違うことが起こると、あなたの心の中では、小さな苦しみが生まれます。
なぜかと言えば、それは心の中で、出来事に対してわたくし視、わたくし化が行われたからなのです。
このように、自分を野放図にしていると、ついつい世界に対して「わたくし化」をしてしまうのが人間の心という首輪のないワンちゃんのようなものなのです。
その恐ろしさを知った人は、自分の心をおさめようと努力します。
煩悩という心を苦しませるバイキンマンの発生をできる限り少なくしようとします。
コレはある程度大人になってからでないと気がつかないことなのです。
どうぞ、心の悪玉菌、心の中のバイキンマンを大量に繁殖させないように、わたくし意識、わたくしオーラ、マイルールを減らし、煩悩なき幸せな生活である仏道を歩んでみてください。
心を波立たせるもの。
wikipediaをご覧になったのですね。
私も見ましたが、なかなか難しい感じです。
でも、わざわざお調べになるということは、煩悩について大きな関心を持たれているのでしょうね。
仏教の理想(三法印または四法印)の一つに「涅槃寂静」とあります。
心静かな状態といっておけばよいでしょうか。
何かに心がとらわれると、心が波立ちます。
それを煩悩と表すのではないでしょうか。
とらわれる心は「執着」です。
何かに執着すると心が静かな状態ではおられない。
そういうものを私たちは「煩悩」と言い表しているのではないでしょうか。
ほかの方々のお答えを読ませていただいて、少し付け加えたくなりましたので・・・
煩悩に対する対処としては、二通りあるといってよいでしょうか。
一つは、煩悩を消し去ること。もう一つは、煩悩がわき起こることを認め、我が身の真実であるととらえること。
浄土真宗では、後者のように煩悩に向かいます。
消し去ろうとしても煩悩は次々にわき起こる。
その煩悩わき起こる身こそが我が身の真実である。
そういう我が身が救われるのは、阿弥陀様のお力である。
私は浄土真宗の僧侶なので、このように考えておりますが、alexさんはどう思われますでしょうか。
人間は、他人の欠点や失敗には、細かく目につくものの、自分のこととなると、なかなか気付かないものです。
笑顔を作っていても、胸の中では、悲しんだり 腹を立てたり、他人の幸せを心の底から喜べず、妬みの心が湧き上がってくる自分がいるのです。
そういった苦悩(煩悩)を抱えておる私の自覚が、仏教(真実の教え)に出会う一歩に繋がることを、念じております(*^_^*)
ふわっと答えます。
要は、自分を自分と思う心です。
人間は、自分とその他のものを別物と認識し、
自分を守るのに都合の良いもの喜び、欲しがり、
自分を脅かすものを嫌がり、怒りの対象にします。
それに対して、仏教では、
「他があっての自分でしょ!」
って考えてます。
人間(肉体)が元々持って生まれた欲望です。
それを消し去ろうとしても消せないのです。
それが人間です。
いかに欲望のままに生きるのではなく
理性(精神)で押さえるのが人間です。
死ぬと肉体がなくなり精神だけが残ります。
そうすれば煩悩も消えます。
生きているうちに煩悩を消すのは
まだ私は出来ていません。
いい欲を
alex様へ
wikipediaを見させていただきましたが、なかなか難しい感じですねー
煩悩はよく「欲」で説明されます。
なかなか消すことができないのが煩悩
苦の元であります。
その煩悩、欲はいい欲と悪い欲があります。
自分をよくしよう、向上させようという欲
自分のためになにかしよう、そのためには他者を苦しめてもいいなどの欲
当然できることならば、ぜひいい欲を持ってください。合掌
質問者からのお礼
みなさまありがとうございます。
どこにも載ってないような非常にわかりやすいご回答で質問してよかったです。
自分なりに解釈すると、とても大きな宇宙の流れの中で、自分中心にものごとを考えてしまうことで起こる期待を煩悩と言い、自分中心に回るはずのない現実とのギャップに人は苦しむと理解しました。
宇宙全体で考えると自分中心に物事が動いているはずはないですね。こんなことを体系的に教えてくれる仏教(お釈迦様?)はすごいですね。
他のこともまた質問したいと思います。