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相撲業界の不祥事

回答数回答 4
有り難し有り難し 101

最近相撲業界で起きた暴行事件のニュースを見るたび、いったいこれのどこが神事かと思います。
過去に表彰の為土俵に上がろうとした女性知事を「女が土俵に上がると穢れる」という理由で断りました。
しかし彼らは八百長、暴行、派閥争いなど等、神聖とは言い難い行為を繰り返しています。
そもそも女に生理があるのは子供を生むための準備であって好きでなっているわけではないですし、出産だって男が女で性欲を発散するから起こることでしょう。
自分たちだって母親に命がけで生んでもらっておいて、女を穢れとみなすことのどこが差別ではないのでしょうか?
子孫繁栄を掲げながら女を穢れとするのは勝手過ぎます。
神を理由に差別を正当化するというのなら、神を理由に異教徒等を迫害する某宗教の過激派と同じではありませんか。
なんでこんなおかしなことが日本で正当化されているのか、本当に悔しくてテレビで相撲(球場が女人禁制の甲子園も)が出るたび涙があふれます。
これらを喜んで見ている人々もいい加減目を覚ましてほしいです。
お坊様は仏教徒ですが、こういった差別を正当化する宗教をどのようにお考えですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

差別は組織全体としてではなく一部の「箇所」で行われる

まず宝塚で男差別だという人はいません。
男には男だけでやっている世界があり、女には女だけでやっている世界があるものです。
それに女性は別に汚れていません。
汚れているという「考え」を起こして広めた人の頭の中こそが一番汚れていると思います。
だから、あなたも女性は汚れているだなんて思うと、そういう意見を認めたことになってしまいますから、そんなこと思いもしないことです。
出産だって男が女で性欲を発散する「それだけの為に」するわけではないでしょう。
そういう悲しい考えに陥ってしまっているあなたを助けたいと思います。
一休さんも女性ほどめでたいものは他にないといっています。
お釈迦様も達磨さんも産んでくれたからです。
男子は男子が輝ける場があるというだけ。
女子は女史が輝ける場があるというだけです。
私がAKBに入りたくてもそれは完全にペケです。 (入りたいのかい)
差別を正当化する宗教は宗教としてアウトです。
仏教にもかつて差別があったといっても、厳密には仏教が仏教全体として差別したのではなく、その一個人がそういう行為をしたのでしょう。
相撲業界だって誰もがみんな暴力力士ではないはずです。
時代背景や当時の思想が深く関わってそれが当たり前になっていたことが、この現代において問題になっているという面もあると思います。
仏教が差別をしてきたのではなく、一部の仏教ということを誤解している人間たちがそういう差別的なことをしたという歴史はあるでしょう。
いずれにせよ、差別は良くないことです。
宗教で差別があるのであれば、それは宗教行為ではなく、差別行為です。
本当の宗教性ではありません。
誰かが誰かを傷つける行為を無くすためには、心の中で自分や他者を傷つけることを無くしていく必要があります。
差別やいじめ、暴力のない世の中を一緒に作ってまいりましょう。

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有り難し
おきもち

仏教もごめんなさい、です。

大相撲については既に良く知られた答えがあります。
「男尊女卑と穢れを正当化するのは、大相撲が神事だから」です。

ただ、もとを辿れば相撲は神事などではなく、いわゆる興行でお祭りなどの見世物でした。
それが天皇の神格化の時代と共に虚飾を重ねていった結果、神事、国技などとされています。

むしろ、神事などとヘタな恰好を付けるから暴力事件をもみ消そうとする体質が変わらないのでしょう。純粋なスポーツとして脱皮すべきと思うのは、私の個人的な意見です。

ところで、仏教の僧侶は女性差別などキッパリと否定するとお考えのようですが、ぜんぜん違いますよ。たしかに一応、教義では差別はイケナイと言いますが、伝統仏教は色んな矛盾に満ち満ちています。もちろん、誰もが差別はキライだと言いますが、多くの伝統宗教が今日の差別的社会構造のなかで息づいてきたのは紛れもない事実です。

わたしが属する浄土真宗に限っても、現実に僧侶間の女性蔑視や、信じられないような差別的体質があちらこちらにゴロゴロしています。

他の宗旨宗派の事情がどうであるかは、詳しく存じ上げませんので申しません。

それでいて、現状を黙認しながらわが身が聖人君子を気取るつもりはありませんし、「本来の仏教は差別しない!」などと白々しく強弁するつもりもありません。

どうしたらいいか、やっぱり考え改めなければと思っているところですが、なかなか行動に移せない怠惰なわたしにも、ひとつだけ仏さまの教えから知らされたことがあります。

それは「現実からの出発」です。もう少し宗教的に言うと「今ここでの救い」であり、浄土真宗の用語で言えば「現生正定聚」(げんしょうしょうじょうじゅ)と言われる教えです。

現実から出発するのですから、求められるのはまず、痛みや苦しみに耳を傾け、現実に向き合うこと。次に、その痛みや苦しみを理解せず、見て見ぬふりをしてきたことに謝罪すること。そして、その気づきを出発点として、私はあなたと共に課題解決にあゆんでいきたいと願うこと。だと考えます。

だから、わたしはあなたに伝えたいです。
何も知らなかったわたしに気づかせて下さって有難う。辛い思いをさせてごめんなさい。わたしはもう、あなたを邪険にしたくない。共にあゆんでいきたいのです。

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有り難し
おきもち

北海道の内陸にある浄土真宗の寺院を預かっています。法名(仏弟子の名前)、釋...
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相撲を美化しすぎても

 特定の民族特定の氏族特定の地域の人を対象としている宗教が少なからずあります。一般には民俗宗教と言われています。この手の宗教の場合、排他的な部分があります。

 例えば、ユダヤ教に選民思想あることは、よく知られています。ユダヤ人だけが神に選ばれし民であるという考え方です。この考え方の根底には、他民族や異教徒に対する差別があります。ユダヤ教に限らず、一神教の宗教には選民思想があると言えるでしょう。
 じゃあ多神教なら差別が無いかというと、そうとも言えません。ヒンドウー教とカースト制は一体となっております。基本的に、神を信じ崇拝する者に恩恵を与え、それ以外の者を罰するという構図があります。仏教には、そういう差別を正当化する教えはありません。(教理を歪めて差別を正当化した残念な事例はありますが)

 日本の土着宗教の基本構造は、ハレとケガレであると言われております。人は基本的にはケガレており、そのケガレを払い浄めることでハレの場で立てるのです。土俵は聖なる空間と考えられました。その土俵で行われる「すもう」とは、1つには天候や作物の豊凶占う手段で有り、2つには神を敬い奉納するために儀式でもありました。聖なる空間で神事としての相撲を取るのは、誰でもが成れるものではなかったのです。選ばれし者だけが土俵にあがれたのです。「選ばれし者」の条件は時代や地域や神事の事情によって多少の違いはあったと思いますが、ケガレが有る者を忌み嫌ってきたと思います。死穢や血穢がもっとも忌み嫌われてきましたので、女性が土俵にあがることを排除する理由付けとなってきたと思います。
 無論、過去に女性相撲の興行が行われていたことが有りますし、現在スポーツとしてのアマチュア相撲では女性の部もあります。相撲という競技そのものから、女性を排除している訳では無いと思います。

 平安時代ごろには、相撲節会といって七夕の節句に行われる宮中の年中行事となっていました。しかし、相撲が庶民化する過程で、格闘技であると同時に、客を集めての興行の面が強くなってきました。現在の大相撲は、日本相撲協会の主催する格闘技の興行です。神事としての相撲ではありません。「相撲は国技」と言われていますが、これは日本相撲協会が自称しているだけです。大相撲の現状は、格闘技の興行に神事的な色付けにしているに過ぎません。字数制限の関係上、以上。

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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不染汚

現在の仏教では差別を正当化していません。
また「穢れ」については概念もありませんのでお答えのしようがありません。キリスト教の牧師さんに悟りについて問うているようなものです。
相撲協会や甲子園にお問い合わせください。
尚この場では規約上、他宗教の是非は書きません。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

丹下様へ
男の世界と女の世界があることは否定していません。
女を穢れ扱いしていることを指摘しているのです。
しかも子供を生め増やせと言いながらその根元たる生理や出産を穢れ扱い。
女という生き物を根本から否定する考えではないでしょうか。
宝塚もAKBも男性を穢れとしてません、あくまで女だけの集団です。

光禪へ
お答えのしようがないと仰りながらわざわざ回答して下さりありがとうございます。
しかもさりげなく他の回答が規約にふれることも指摘してくださるなんて本当に親切な方なんですね。

吉田様へ
多宗教のことまで詳しく教えて下さりありがとうございます。
どの宗教も選民思想とは切っても切り離せないものなのですね。
国技が教会が自称しているだけだとは驚きました。
少なくとも大相撲は女性を差別していると思いますし、それを喜んで見ている人も現実を見ていない様に思います。

真慧様
共にあゆむ、だなんて素晴らしい言葉を貰えてとても嬉しいです。
言い訳もせず、かといって開き直らず、宗教を冷静な目で見ておられるのですね。
あなたは凄いと思います。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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