相撲業界の不祥事

最近相撲業界で起きた暴行事件のニュースを見るたび、いったいこれのどこが神事かと思います。
過去に表彰の為土俵に上がろうとした女性知事を「女が土俵に上がると穢れる」という理由で断りました。
しかし彼らは八百長、暴行、派閥争いなど等、神聖とは言い難い行為を繰り返しています。
そもそも女に生理があるのは子供を生むための準備であって好きでなっているわけではないですし、出産だって男が女で性欲を発散するから起こることでしょう。
自分たちだって母親に命がけで生んでもらっておいて、女を穢れとみなすことのどこが差別ではないのでしょうか?
子孫繁栄を掲げながら女を穢れとするのは勝手過ぎます。
神を理由に差別を正当化するというのなら、神を理由に異教徒等を迫害する某宗教の過激派と同じではありませんか。
なんでこんなおかしなことが日本で正当化されているのか、本当に悔しくてテレビで相撲(球場が女人禁制の甲子園も)が出るたび涙があふれます。
これらを喜んで見ている人々もいい加減目を覚ましてほしいです。
お坊様は仏教徒ですが、こういった差別を正当化する宗教をどのようにお考えですか?

世の中・自然
有り難し 76
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

差別は組織全体としてではなく一部の「箇所」で行われる

まず宝塚で男差別だという人はいません。
男には男だけでやっている世界があり、女には女だけでやっている世界があるものです。
それに女性は別に汚れていません。
汚れているという「考え」を起こして広めた人の頭の中こそが一番汚れていると思います。
だから、あなたも女性は汚れているだなんて思うと、そういう意見を認めたことになってしまいますから、そんなこと思いもしないことです。
出産だって男が女で性欲を発散する「それだけの為に」するわけではないでしょう。
そういう悲しい考えに陥ってしまっているあなたを助けたいと思います。
一休さんも女性ほどめでたいものは他にないといっています。
お釈迦様も達磨さんも産んでくれたからです。
男子は男子が輝ける場があるというだけ。
女子は女史が輝ける場があるというだけです。
私がAKBに入りたくてもそれは完全にペケです。 (入りたいのかい)
差別を正当化する宗教は宗教としてアウトです。
仏教にもかつて差別があったといっても、厳密には仏教が仏教全体として差別したのではなく、その一個人がそういう行為をしたのでしょう。
相撲業界だって誰もがみんな暴力力士ではないはずです。
時代背景や当時の思想が深く関わってそれが当たり前になっていたことが、この現代において問題になっているという面もあると思います。
仏教が差別をしてきたのではなく、一部の仏教ということを誤解している人間たちがそういう差別的なことをしたという歴史はあるでしょう。
いずれにせよ、差別は良くないことです。
宗教で差別があるのであれば、それは宗教行為ではなく、差別行為です。
本当の宗教性ではありません。
誰かが誰かを傷つける行為を無くすためには、心の中で自分や他者を傷つけることを無くしていく必要があります。
差別やいじめ、暴力のない世の中を一緒に作ってまいりましょう。

24日前
回答僧

一乗寺

真慧

仏教もごめんなさい、です。

大相撲については既に良く知られた答えがあります。
「男尊女卑と穢れを正当化するのは、大相撲が神事だから」です。

ただ、もとを辿れば相撲は神事などではなく、いわゆる興行でお祭りなどの見世物でした。
それが天皇の神格化の時代と共に虚飾を重ねていった結果、神事、国技などとされています。

むしろ、神事などとヘタな恰好を付けるから暴力事件をもみ消そうとする体質が変わらないのでしょう。純粋なスポーツとして脱皮すべきと思うのは、私の個人的な意見です。

ところで、仏教の僧侶は女性差別などキッパリと否定するとお考えのようですが、ぜんぜん違いますよ。たしかに一応、教義では差別はイケナイと言いますが、伝統仏教は色んな矛盾に満ち満ちています。もちろん、誰もが差別はキライだと言いますが、多くの伝統宗教が今日の差別的社会構造のなかで息づいてきたのは紛れもない事実です。

わたしが属する浄土真宗に限っても、現実に僧侶間の女性蔑視や、信じられないような差別的体質があちらこちらにゴロゴロしています。

他の宗旨宗派の事情がどうであるかは、詳しく存じ上げませんので申しません。

それでいて、現状を黙認しながらわが身が聖人君子を気取るつもりはありませんし、「本来の仏教は差別しない!」などと白々しく強弁するつもりもありません。

どうしたらいいか、やっぱり考え改めなければと思っているところですが、なかなか行動に移せない怠惰なわたしにも、ひとつだけ仏さまの教えから知らされたことがあります。

それは「現実からの出発」です。もう少し宗教的に言うと「今ここでの救い」であり、浄土真宗の用語で言えば「現生正定聚」(げんしょうしょうじょうじゅ)と言われる教えです。

現実から出発するのですから、求められるのはまず、痛みや苦しみに耳を傾け、現実に向き合うこと。次に、その痛みや苦しみを理解せず、見て見ぬふりをしてきたことに謝罪すること。そして、その気づきを出発点として、私はあなたと共に課題解決にあゆんでいきたいと願うこと。だと考えます。

だから、わたしはあなたに伝えたいです。
何も知らなかったわたしに気づかせて下さって有難う。辛い思いをさせてごめんなさい。わたしはもう、あなたを邪険にしたくない。共にあゆんでいきたいのです。

26日前

相撲を美化しすぎても

 特定の民族特定の氏族特定の地域の人を対象としている宗教が少なからずあります。一般には民俗宗教と言われています。この手の宗教の場合、排他的な部分があります。

 例えば、ユダヤ教に選民思想あることは、よく知られています。ユダヤ人だけが神に選ばれし民であるという考え方です。この考え方の根底には、他民族や異教徒に対する差別があります。ユダヤ教に限らず、一神教の宗教には選民思想があると言えるでしょう。
 じゃあ多神教なら差別が無いかというと、そうとも言えません。ヒンドウー教とカースト制は一体となっております。基本的に、神を信じ崇拝する者に恩恵を与え、それ以外の者を罰するという構図があります。仏教には、そういう差別を正当化する教えはありません。(教理を歪めて差別を正当化した残念な事例はありますが)

 日本の土着宗教の基本構造は、ハレとケガレであると言われております。人は基本的にはケガレており、そのケガレを払い浄めることでハレの場で立てるのです。土俵は聖なる空間と考えられました。その土俵で行われる「すもう」とは、1つには天候や作物の豊凶占う手段で有り、2つには神を敬い奉納するために儀式でもありました。聖なる空間で神事としての相撲を取るのは、誰でもが成れるものではなかったのです。選ばれし者だけが土俵にあがれたのです。「選ばれし者」の条件は時代や地域や神事の事情によって多少の違いはあったと思いますが、ケガレが有る者を忌み嫌ってきたと思います。死穢や血穢がもっとも忌み嫌われてきましたので、女性が土俵にあがることを排除する理由付けとなってきたと思います。
 無論、過去に女性相撲の興行が行われていたことが有りますし、現在スポーツとしてのアマチュア相撲では女性の部もあります。相撲という競技そのものから、女性を排除している訳では無いと思います。

 平安時代ごろには、相撲節会といって七夕の節句に行われる宮中の年中行事となっていました。しかし、相撲が庶民化する過程で、格闘技であると同時に、客を集めての興行の面が強くなってきました。現在の大相撲は、日本相撲協会の主催する格闘技の興行です。神事としての相撲ではありません。「相撲は国技」と言われていますが、これは日本相撲協会が自称しているだけです。大相撲の現状は、格闘技の興行に神事的な色付けにしているに過ぎません。字数制限の関係上、以上。

26日前
回答僧

鳳林寺

光禪

不染汚

現在の仏教では差別を正当化していません。
また「穢れ」については概念もありませんのでお答えのしようがありません。キリスト教の牧師さんに悟りについて問うているようなものです。
相撲協会や甲子園にお問い合わせください。
尚この場では規約上、他宗教の是非は書きません。

24日前

質問者からの有り難し - お礼

丹下様へ
男の世界と女の世界があることは否定していません。
女を穢れ扱いしていることを指摘しているのです。
しかも子供を生め増やせと言いながらその根元たる生理や出産を穢れ扱い。
女という生き物を根本から否定する考えではないでしょうか。
宝塚もAKBも男性を穢れとしてません、あくまで女だけの集団です。

光禪へ
お答えのしようがないと仰りながらわざわざ回答して下さりありがとうございます。
しかもさりげなく他の回答が規約にふれることも指摘してくださるなんて本当に親切な方なんですね。

吉田様へ
多宗教のことまで詳しく教えて下さりありがとうございます。
どの宗教も選民思想とは切っても切り離せないものなのですね。
国技が教会が自称しているだけだとは驚きました。
少なくとも大相撲は女性を差別していると思いますし、それを喜んで見ている人も現実を見ていない様に思います。

真慧様
共にあゆむ、だなんて素晴らしい言葉を貰えてとても嬉しいです。
言い訳もせず、かといって開き直らず、宗教を冷静な目で見ておられるのですね。
あなたは凄いと思います。

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