介護職について
はじめまして。よろしくお願いいたします。
わたしは30代独身で、二年前から介護職についています。
人手不足から夜勤がとても多く、1回の夜勤が終わった後、身体の回復が間に合わないまま次の夜勤に入る、そんな生活をしています。
ぼろぼろになりながらも必死に利用者様をお世話していますが、どんなにお世話しても近い将来看取らなくてはいけないという事実がとても重く、介護という仕事に夢を持つことが出来ないでいます。
私はまだお一人しか看取っておりませんが、そのお一人を看取るのも非常に辛く、立ち直れないのではないかと思うぐらいでした。その方はお元気な時から認知症が強く出ていて、職員みな大変な思いでお世話していました。看取りの期間に入って、出来る限り元気な時のまま生活してもらいつつ、出来る限り安楽にを心がけお世話して行きました。思い入れが大きい方だったので看取り後はとても喪失感がありました。
ベテランの介護職や看護職員はみな「慣れるから」というのですが、人の死に慣れるとはどうゆうことなんだろう?慣れたりして、そんな軽はずみなものでいいのだろうか?と疑問に感じてしまいます。
これから介護職を続ける限り、この喪失感を何度も何度も経験しなければならないのがとても辛いです。
あまり考えたくないのですが、身体をぼろぼろにしながら、近い未来に旅立たれる方々をお世話しているこの介護という仕事は、意味がない仕事なんじゃないか、わたしの努力は無駄なんじゃないかと思ってしまうことが多々あります。
幸か不幸か、会社や同僚はわたしの仕事を認めてくださり、役職をつけてくださっています。その期待に応えるには、上の資格の取得を目指したり、後進への指導もしていかなければなりません。
このように看取りを怖がってる私が本当に介護職に向いてるのか、上を目指すべきなのでしょうか?
初投稿で、つたない文章で申し訳ありません。
回答いただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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疑問をもって現場に還元出来る得難い人材
拝読させていただきました。
みかん水さんのお優しいお心が伝わり、悩ましくもあり心温まる思いがしました。介護職に就かれて2年ということですが、貴方のお心を尽くされたケアは利用者様のQOLを高め、真摯な勤務姿勢が雇用者側から買われているのでしょう。
私もリハビリ科の技師として長く勤務しておりましたし、お寺に戻ってからも5年ほど老人福祉施設で機能訓練指導員として勤めておりました。その間、時にはみかん水さんのように、喪失感や、もっと悪い言葉で言えば徒労感に苛まれた時期もありました。
先ず、貴方の誠心誠意を尽くしたケアが「意味がない」なんてことはありませんね。それは、貴方も十分にご存じのはずです。与えられた持ち場で、貴方は十二分に業務の本分を尽くされていると私は感じていますし、貴方のように業務の本分以外のところで、利用者様を思い、悩み、そして疑問をもって現場に還元出来る得難い人材だと私は思います。
問題は、「人手不足から夜勤がとても多く、1回の夜勤が終わった後、身体の回復が間に合わないまま次の夜勤に入る」という現場にあるのです。「この介護という仕事は、意味がない仕事なんじゃないか、わたしの努力は無駄なんじゃないか」と、ネガティヴにならざるを得ない職場環境にあるのです。
介護保険が施行されて数年で、施設サービスでの人手不足がプライオリティ上位の懸案事項になりました。私が勤めていた施設もスタッフの入れ替わりが頻繁で、スタッフ募集が常態化していました。補充されても、任せられるまでの間に手間が増え、落ち着いた頃にまた誰かが辞めてしまう。
そのような状況下では、スタッフは淡々と業務をこなさなければ、自分の心身状態をも危うくなります。特定の利用者様への依存度が増すと、個人の負担は増大し、業務全般に支障を来たす恐れもありますね。付かず離れずで、心をリセットしていかなければとても続かない。同僚が仰る「慣れる」という言葉には、そんな意味も含んだ思いがあるんじゃないでしょうか。
福祉の場において、貴方のような優しいお気持ちを持ったスタッフは必須ですし、間違いのない仕事を機械的に積んでくれるスタッフも貴重。
今後、葛藤しながらも信念を貫いて現場に身を埋めるも道、思い描く環境作りを目指して、管理職にまで昇って現場を創意工夫してみようと考えるのも道なのではないでしょうか。
介護職は菩薩行(ぼさつぎょう)です
みかん水さん、はじめまして。質問を拝読しました。
みかん水さんは、二年前から介護職についており、利用者さまの看取りが重いことを気にしておられるのですね。そして、介護という職に希望が持てずにいるのですね。
私は僧侶として亡くなった後に葬儀や法事という供養をさせてもらっています。私が葬儀で読経しても故人が生き返ることはありません。みかん水さんと同じように無力感に苛まれたこともあります。
しかし、ここで考え方を変えてみましょう。
みかん水さんは、故人の看取りをすることが職務なのではなく、故人が安らかに旅立って行くための準備期間をお手伝いしていると考えてみてください。看取りは旅立ちの日です。故人はこの世での思い出をいっぱい抱えて次の世界へと旅立っていくのです。みかん水さんは、故人にとってお別れの手を振ってくれる最後の人となることができるのです。
看取りまでの間、故人が思い残すことがないように、みかん水さんに見守ってほしいものです。