仏教思想と歴史学
はじまして。
仏教思想にある『過去を考えるな』という思想から見ると、歴史学の『過去を分析して、未来の不安を取り除く』という思想は、やはり仏教としては受け入れ難い物になるのでしょうか?
仏教思想として、過去を考える事は一切許されない事になるのか気になります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
個人的感情的過去と歴史的事実
歴史的事実を記録し考察することは、仏教では推奨しています。「歴史がない」と言われるほど何も記録していないインド文化の中で、仏教だけが「事象とその背景」つまり歴史的事実を正確に記録していました。インド古代の歴史が曲がりなりにもわかるのは、仏教の記録と仏教の遺跡のおかげです。
「過去を考えるな」とは、たぶん「個人の過去の過ちを悔いるな」という意味だと思います。反省して次に向上するのはよいのですが、人は往々にして過去に捕らわれて「後悔」します。「後悔」はそれ自体が心による悪業です。過去の過ち?などはもう済んだことで、そのうえ、それを思い出してさらに悪業を積むのはばかげているという意味でしょう。
過去も、現在も、未来も「縁起にして空なるもの」
K19様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「過去を考える事」は仏教では否定されないものとして、むしろ、今の状況は過去の因縁(原因と条件)によるものであるとして、これからの善い結果へと向けて、過去の因縁も含めて、これからの因縁をどう調えていくべきであるのかを考える上で、過去の事を考えるのは大切なことにもなります。
まあ、過去も、現在も、未来も、「縁起にして空なるもの」として、実体視して囚われてしまうことはいけませんが、因縁は因縁としてございますので、そこは無視できるものではないものと考えます。
これからの善い結果へ向けて、過去の因縁も参考として、これからの因縁をより善いものに調えて参りたいところでございます。
川口英俊 合掌
拝読させて頂きました。
過去を考えるな→過去にとらわれるな、執着するな
という観点かと思います。
人として生まれたことは私達はその歴史を学ぶ必要があります。
あなたがおっしゃる、過去を分析して未来の不安を取り除くとは
過去のあやまちを繰り返すことなく正しく生きていくことではないでしょうか。
同時に何かにとらわれたり偏見を持たずにあるがままを受け入れて冷静な正しい判断をしていくことが大事なことでしょうね。
いかがでしょうか?
あなたもよくよくお考えなさってみて下さいね。
あなたが正しい智慧を体得なさっていかれますようにと心よりご祈念申し上げます。合掌
質問者からのお礼
遅くなりましたが、ご教示ありがとうございます。
インドへ行ったことがきっかけで、仏教について興味を持ち色々と勉強しようとしている身ですが、自分はまだまだ半人前です。
今後ともよろしくお願いします。