hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「私」を構成するものについて

回答数回答 4
有り難し有り難し 33

五蘊という言葉を聞いたことがあります。
これらの要素が「私」を構成しているものだとしても、これらを「私のもの」としてリンクさせる力はどこから来るのでしょうか?
例えば「私の思考」「私の感覚」「私の体」というように、なんでも個人的にしてしまう力です。
もちろん人間の発達した脳のせい、とも言えると思います。
では、脳に損傷を負ってしまった人や、痴呆が進んで自分のことがわからなくなってしまった人は、いわば悟りに近い状態ということ?
自分のことがわからない「自分」、が残るので、違うんじゃないかと思いますが、皆さまはどう捉えますでしょうか?

科学的なことはさっぱり分かりませんが、脳の仕組みとはまた別に「経験を個人的に所有する力」について、仏教の視点からご教授いただきたいです。
よろしくお願いいたします。

2015年11月11日 11:53

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「煩悩障と所知障」について

有未様

五蘊は、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、それら五蘊が因縁(原因と条件)によって仮に集合していること(五蘊仮和合)によって私たちの存在は成り立っています。

しかし、五蘊のどれが一体、自分なのか、どこが自分なのかは、これであると指し示して言えるものはどこにもなく、「自分」とは実体として成り立っていない「空」なるものとなります。

「「私のもの」としてリンクさせる力」・・

私、あるいは私のものということは、「我執」のことになりますが、その我執の根本的な原因は、願誉浄史様も既におっしゃられていますように、「無明」となります。

簡単な例えとしては、無明を癌細胞として、癌細胞(無明)が色々と臓器の働きを痛めてしまい、様々な苦痛となる症状(煩悩)が出てしまうことになります。しかし、その根本となっている癌細胞を直接に手術(仏道修行)により、取り除ければ、様々な苦痛となる症状(煩悩)も出なくなります。しかし、その癌細胞(無明)をまた再発、増殖させてしまう原因も何とかしないことには、また癌に侵されてしまうことになってしまいます。例えば、悪い生活習慣(食生活や喫煙、ストレス等)などとなります。その癌細胞の原因となっている根本的な要因をも改善させること(更なる修行)で、もはや癌にならなくなり、安心して過ごせることになります。

この例えの場合、癌細胞を「煩悩障」とすれば、悪い生活習慣などの根本的な要因が「所知障」というものとなります。

「経験を個人的に所有する力」・・

経験、仏教的には、行いによる業・カルマとなりますが、心相続(心の連続体)上において、一応は所有するものと言えるのではないかと存じます。

しかし、この業・カルマも、様々な行いにおける業・カルマの複雑な因縁により相続していくものとして、実体としてあるものではなく、「縁起」にて成り立っている「空」なるものとなります。

痴呆症・認知症の方、あるいは赤ちゃんの状態は、「無分別」であり、それを「悟り」のような状態と言う見解は、拙生は全く支持しません。その場合はただ脳の働きに問題があるだけで、深いところの心相続上の問題としての煩悩障、所知障を断滅させない限りには、「悟り」と言える状態にはならないと考えております。

川口英俊 合掌

2015年11月11日 14:58
{{count}}
有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

煩悩の最終ボス「無明」

無明(むみょう)という煩悩があるから、自己の存在に執着してしまうのではないでしょうか。
脳が発達していない虫などにも煩悩はあり、生きようとします。
生きていたいという渇愛は下等生物にもあります。
ですから、脳が損傷したから悟った(煩悩が消えた)わけではないと思います。

2015年11月11日 13:01
{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

私のものがないと思えばいいのです

私のものなど何一つありゃしませんのです。(^

2015年11月15日 0:57
{{count}}
有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 坐禅会 法話・提唱会 毎週...

自分を知りたいなら

世のため人のためにお働きなさい。

2015年11月26日 17:59
{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...

質問者からのお礼

川口さま
いつもありがとうございます。感謝いたします。
だんだんと私が勉強するべきワードが見えてきた感じがあります!
がん細胞の例えは非常にわかりやすかったです。
なんとなく、全体像からすると仏教は、救済の面からしてセラピーやカウンセリングに近いところがありますよね?
全然違うということであれば申し訳ございません。
この前お答えいただきたい不二一元論の思想も合わせて勉強したいと思いました。

願誉浄史さま
ご回答いただきありがとうございました。
虫などにも煩悩はあるのですね!
ちょっとまだ煩悩という理解が深まっていないかもしれないので、勉強させていただきます。
無明というのも初めて聞きました!

丹下さま
いつも素晴らしい回答をありがとうございます!
そうですね、その働きも無我である、とまさしくそれであります。

ははは!音は音として、聞く経験と分けることができませんね。
これは本当に腑に落ちたら認識が大きく変化しそうです。事象はもちろん何も変わらず、最初からあるがまま^_^

「仏教全般」問答一覧

仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 38
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 41
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る