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仏教における悪魔的なもの

回答数回答 3
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西洋的な思想には、サタン、悪魔がありますが、
仏教には、そういう存在はいないのでしょうか?
いない場合はなぜいないのかの考察もいただけると有難いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの好きなカタチで現れるアイツ。

他化自在天かなぁ。またの名を第六天魔王。

仏教でいう「魔」とは、誘惑するものという意味です。

本当に鬼悪魔は、恐ろしい姿をしていません。
あなたの好きなカタチで現れます。

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「マーラ」

たにし様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教における悪魔的なものとして、お釈迦様がお悟りを開かれるのを邪魔した「マーラ」が有名であります。

ただ、それは各々の心のうちにおける煩悩や無明(根本的な無知)の現れとしての存在であるともされます。

仏教における最大の敵は、己が心の煩悩・無明であるとして、確かな仏道を歩むことにより、しっかりと対治して参りたいものであります。

補足・・あとは例えば、修行の妨げとして「五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔」の四魔もございます。天魔にその存在に近いものがあると言えます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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仏教では悪魔は目に見えません。
しかし心の中に存在します。
あなたの中にも、私の中にも。
お釈迦様の中にもいましたから。
もし、あなたがやるべきことをせず、言うべきことを言わず、思うべきことを思わなければ、それはあなたが悪魔に敗北している状態です。
反対に、あなたがやるべきことをやり、言うべきことを言い、思うべきことを思うなら、あなたが悪魔に勝利している状態なのです。
お釈迦様はいつも悪魔をやっつけていました。私たちも悪魔に負けないように生きていきましょうね。

追記
お釈迦様は善、マーラが悪という対立関係ではありません。
お釈迦様は私達と同じ普通の人間であり、中立であり、その心の中にマーラという悪魔がいて、さらに、ブラフマンという神もいたのです。
マーラとは元は「死」という意味であり、そこから「悪しき者」という意味となりました。また、それを中国語に訳す時に近い発音の「魔」という字を当てました。その後、意訳と音訳を合わせて「悪魔」と言うようになりました。
つまり、マーラが悪ではなく、死に導く悪しき者をマーラと呼んだのです。
そして、お釈迦様は心の中で度々マーラやブラフマンと討論していたのです。討論の結果はいつもお釈迦様がマーラを言い負かせていました。
また、ブラフマンの意見にも盲目的に従うのではなく、あくまで参考にするという立場でした。なぜなら、神よりもお釈迦様の方が悟りの境地に達しており優れていたからです。
また、お釈迦様は弟子たちに度々マーラに気をつけろと言っています。
肉体に、感覚に、表象に、意思に、意識に、マーラが潜んでいる。そのことをしっかり観察しなさい。観察することによって貪りから離れる事ができる。貪りから離れることによって解脱することができる、と言われたのです。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
お釈迦様は善、他化自在天、マーラなどは悪とすることは、果たして正しいのでしょうか?

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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