誘われたいのに誘われません
私はそれなりにママ友と呼ばれるような子供を介しての知り合いはいますが、何でも話せたり特別に仲がいいという友達がいません。
誰かの中の一人です。
いつも公園などの遊びに誘うのは自分。誘えば来てもらえますが誘われません。
おうちにも遊びに来てもらいますがお家に誘われません。
子供も最近気づいたらしく、いつも家ばっかりだねなんて話したりします。
仲良くなりたいなって思う人がいたら私から話しかけたり連絡先を聞いたりします。
でも、聞かれたことはありません。
自分に魅力がないからなのかと落ち込みます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分からだけでいい
それは見返りを求めて行動しているからでは?
ギブアンドテイクは思想です。
その思想のもとやろうとするから、帰ってこなかった時に不満が残るのです。
人生やりっぱなし、さしあげっぱなしでいいのです。
それよりもそこで何をしているでしょうか。
それよりもそこで行われる人間同士の本当の分かち合いをこそ、供養と言うべきです。
供養とは亡くなった人に対してだけのものではありません。むしろ生きているへにこそするべきことなのです。
なぜならお釈迦さまは、悟り、安らぎ、苦しみからの救済という最高のものを惜しげもなく、見返りもなく、誰にでも供養しました。
それでいいのです。
私もなにか見返りは期待していません。頂けるものなら頂きますが(笑)
くれた人は、特にいません。
この回答で1434人目のようですが、それでも私の尊敬する師僧がたや、お釈迦様の偉業には到底及びません。
何かのために、というセカンドを求めて人と合うこと自体がすでに、その時、その人を見失っていたのだと思いましょう。人生は一期一会。お招きして、来てくださった方と、その後があろうが無かろうが、そこで向き合って、一生に一度っきりの語らいをすればよいのです。
子育てしているお母さんは忙しい
多くのお母さんは、日常の掃除洗濯、ご飯の準備子供の送り迎えなどなど忙しく、誰かを招待しようとか、遊びに誘おうというゆとりが持てないでいると思います。あなたが誘ってくれることで、チャンスが生まれ喜んでいるかもしれませんよ。
言葉は悪いですが、あんまりガツガツせず、友達なんかいなくてもいいぐらいのゆとりをもって、接しているほうが気が楽だと思いますよ。友達は作るというより、自然と求めていたらできるものでしょう。
相手に求めすぎるのは、よくありません。重たくなりますし、何より自分で自分を苦しめるだけです。
周りを自分の理想に当てはめて物事を見るのではなく、押し付けや偏見でなく人をそのまま素直に見ることが必要だと思います。
既視感あります?
お早うございます。「一方的な関係になっている」と感じるのですね。もしかして、今までの人生でも、同じような事が過去にありましたか?「いつも…」という。あなたの親御さんとの関係。あなたと旦那さん(彼氏)との関係。独身時代のお友達。先輩後輩、上司部下。心当たりがありますか?
つまり、「一方的な人間関係」に、あなた自身が慣れている、あるいは求めていたのかしら?と感じるのです。具体的には、「親と喧嘩した事がない、親離れできていないのかも」「デートはいつも誘ってもらわないと嫌だった」「どちらがオシャレか、など順位付けが好き」とか?
という事で、過去にあなたが(なんらかのメリットがあるゆえに)一方的な人間関係の中にいたから、そこが気になる、のかも知れません。
あるいは、若しかして本当に「イヤな方ね」と思われているかも知れません。それは、この「問い」の文章からは分かりません。
さて、以上は私の当てずっぽうです。勝手な、マイストーリーです。人間は「どうして?どうして?」を問いたがるので、取り敢えず「こんな事あり得るかな?」と。
でもね。親として公園へ行ったりするのならば、
子どもが楽しそうに遊べて、健やかに育っているのならそれでいいんじゃないでしょうか?「このママ、ここがイヤなのよね〜」が、お互い多少はあったとしても。
まだしばらくの時期は、あなたが主役ではないと思っていたほうが、楽になります。「私がドーコー」と言っているよりも、「子どもにとって、何が大切なのか?」を優先した方が。
つまり、子どもがしゃんと育つ、育てる事ができれば、その後改めて「子育てをやり切った人間」として、自分の人生の主役に戻れるという意味で。
「いつもウチばっかりだね、と子どもが言う」のが、今回の問いのキッカケであろうと思います。それに対して真剣に応えようとしている姿は、お母さんとして良い事と思います。
でも実は、子どもの行動って試行錯誤。 当てずっぽうです。自分が薄々感じている事を言われると、「ガビーン!やっぱりそうなんだー(エコーあり)」と動揺してしまうでしょうが、そんな時は改めて自分に問います。「大事なのは、楽しく遊べてるか、じゃないの?」 お子さんや、周りのお母さん方の表情、如何ですか?子どもがどんな表情で遊んでいるか、周りの子はどうか。それを見過ごさないでね。
誘って、来てくれるのなら大丈夫じゃないですか?
少なくとも、嫌われているわけではないですから。
世の中は縁でつながっていますので、
誰でも、「誰かの中のひとり」です。
「誰かの中のひとり」同士で、何かについて語り合い、
「自分」というものを、「理解」して欲しい!という欲求が生まれたときに、
その人と、特別な仲間になるのだと思います。
つまり、友人になるのだと。
その時には、その人も自分のことを、あなたに「理解」して欲しい!と思っていると思います。
何でも話せる友人は、そう簡単にできるものではありませんが、
目の前の幸せを噛みしめながら、焦らず過ごしていれば、
いつの間にか、共に時間を過ごすことが増えているような友人ができていると思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
おっしゃって頂いたことに心当たりがあります。
でも、いままで気づかなかったというか…気にしてませんでした。
なんでなんで…なんで私ばっかり…だったので自分を中心に考えてばっかりいたこともハッとさせられました。
子供の為にお友達を…と思っていましたが私の為だったのかなとも思います。
上手く書けませんが周りを気にする事にとらわれていた自分を解放して、まずは子供の表情をゆっくり見ていきたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
何度も読み返してはうなずき、言葉が体に染みてきます。
反省すべき点がわかった今気持ちが楽になりました。
ほんとに不思議なぐらいです。
今目の前の子供が元気で私に笑って話しかけてくれることがどれほど幸せなことなのか。
目の前の幸せを自分て曇らせていた気がします。
このようなサイトがある事や、私のつぶやきに耳を傾けて時間をさいてくださったお二方様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。
追記になります…
お返事ありがとうございます。
みんな誰かの中の一人なんですね。
そんなこと考えもしませんでした。
なんだか…自分のペースでやっていけそうな気がしてきました。
久々に今日の午後は心穏やかに過ごせました。
子供ともゆっくり向き合えました。
また気が沈むときが来るとしても
皆様のお言葉を御守りにして、
時には読み返して前を向いて進んでいけそうです。
まずは子供との時間を大切に日々を過ごして行きます。
ありがとうございました。