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「縁」ってなんですか?

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有り難し有り難し 58

 いつもお世話になっております。
「縁」「縁起の法」とはいかなるものなんでしょうか?
仏教においてはかなり重要な教えだと聞いて、自分でも調べては
いるのですがイマイチわかりません。
 「こればっかりは縁だから仕方ない」
「縁は思わぬところに転がっている」ともよく聞きます。

 たとえば私の場合、お寺へ行けば変なおっさんが寄ってきて
しつこくからまれたり犯罪に巻き込まれそうになる時、
 普段もなぜか知らない人から目をつけられジーッと顔や持ち物
を見つめられたりする時があります。何で!?と嘆いていたら
「縁だからしかたない」と一蹴されました。

 犯罪に巻き込まれても泣き寝入りしろ、お前はイジメられて
ナンボだ!!という事でしょうか。
 色々なお坊様の関連回答を拝読しても、理解できません。
 
 因(原因)縁(条件)果(結果)、
因果は目に見える、縁は目に見えない…なんのこっちゃ?

「縁」って何ですか?
お知恵をお貸しいただきたく存じます。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁とは「現象と現象のつながり」

確かに、縁というのはとても難しく、そしてわかりにくいもの。しかるに説明も難しいものです。
できるだけわかりやすく説明をさせていただきます。

そもそも、因・縁・果というものを分けて考えてしまうと、その本質がわからなくなってしまいます。
実は、因・縁・果というのは、私たち人間が「事後」に勝手に判断しているだけで、本来はそこに差が無いんです。

私が修行中師僧に教えていただいた「因縁」のたとえ話を。

私がにんじんの「種」を植えます。これに肥料を与え、太陽や雨の恵みいただいて発芽し、丁寧に育ててやるといずれ立派なにんじんになります。そしてそのにんじんを食べ、私が生かされる。私、種、土、肥料、太陽、雨、そのどれか一つでもかけていればにんじんはうまれてきませんでした。

これは、主体によって因・縁・果が全く変わってきます。
「種」を主体にすると、種そのものが因となり、肥料や雨・太陽の恵みが縁となってにんじんという果になります。
「私」を主体にすると、種を植える行為が因となり、肥料や雨・太陽の恵みがによってにんじんができるまでが縁であり、それを食することで生かされるということが果になります。
しかし「生かされる」という結果が、そのまま「私」という人間のすべての因となります。
また、雨を主体にすれば、雨降るという現象が「雲ができたから雨が降った」という果にもなりますし、また「水たまりができた」という現象の因にもなります。

世の中のすべては、こうした現象の関わり合いによって刹那に存在していて、生まれては滅する一瞬の連続です。永遠だと思ったり、不変だと思うことも、実は宇宙レベルで言えばごく一瞬で、縁によって一瞬発生した阿波のような存在なのです。すべての存在が互いに依存し合いながらぎりぎりの状態で存在している。

だからお釈迦様は「目の前のものに執着するな」と説いたんですね

その「現象と現象が交差している状態」こそが「縁」です。

縁とは、運命論でも呪術でもありません。この世界そのものが縁によって成り立っているんです。

ただ、その縁はある程度コントロール出来ます。悪いことばかりしていると悪人と仲良くなってしまうように、人は縁を引き寄せてしまうことがあります。
そうならないためにも、よりよい行いをして、良い縁に巡り会い、よい結果を導くことが出来れば幸せですね。

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おきもち

たぶんそこは突き詰めても仕方ないかな

縁起説の「縁って起きる」の「縁」と、『縁は思わぬところに転がっている』の『縁』って別物だと思った方が良いですよ。

「縁」は無我です。長くなっちゃいますがこんな感じ↓
https://hasunoha.jp/questions/3160

逆に『縁』は自分がイイ感じになるために都合のイイ他者です。婚活とかご縁ご縁言われてるのは漏れ無くコレでしょう。

自他の分別を取っ払う「縁」と自他の分別が大前提にある『縁』をごっちゃにすると訳ワカメちゃんになります。

ちょっと話は飛びますが、お釈迦さまは「悪友とつるむな」とおっしゃっていますが、同時に「我慢しろ」ともおっしゃっています。

>「忍辱(しのぶこと)こそ最上の行(ぎょう)
くるしさをたえ忍ぶこそ
この上もなき涅槃(ねはん)なり」
諸仏(しょぶつ)はかく言いたまえり
まこと 出家にして
人をそこなうものなく
沙門(みちのひと)にして
他(ひと)をなやますことなし
(友松円諦『発句経』184)

>射られたる箭(や)を忍ぶ
戦場の象のごとく
われはひとの
そしりを忍ばん
大衆(よのひと)はげに
戒(いましめ)をもたざればなり
(同320)

お坊さんも好奇の目で見られます。この間なんか子供の健診に行き、ドア開けて会場に入ったら奥様方が全員1人残らずこっちガン見でしたよ…
別件で昔、「お坊さんって和を大切にするからユースホステル好きでしょう?」って言われたので「もう集団生活はお腹いっぱいっス」って答えたら「あぁ、つまらない坊主ね」って言われました。当時はありませんでしたが、最近は良い言葉ができましたね。ありゃモラハラっス。
もうね、行く店行く店、顔を覚えられますし。
外のベンチで弁当食ってたら、高校生くらいの子に勝手にケータイで写真撮られ「おい、止めとけよ…」「え?だって変な人じゃん」とか言われたことありますし。そんなにお坊さんが珍しいか?お前らホントに日本人か?

でもね、怨憎会苦ってのは、どうにもならんのです。

だからって犯罪に遭っても泣き寝入りするなという意味ではありませんよ。対策は大切ですけど、同時に腹をくくらんと生きていきようがないんです。どうしても怨憎会苦というものは有る…そこで忍辱(にんにく)する腹を決めねばならない。もっと言えば、馴れてしまった方が楽なんです。残念ながらね。そういう腹づもりも大切ですよ。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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縁とは、依他起性(えたきせい)

依他起性(えたきせい)という言葉があります。
他によって起きるという性質。
つまり、自分以外の物・人の影響を受けるということ。
ということは、自分の思いどおりにならないことがあって当たり前だ、ということです。
自分の思いどおりにならないのが当たり前、自分にとって嫌な結果になるのも当たり前。
たまに、自分の期待どおりうまくいけば、これは有り難い、ラッキーなこと。
そう思った方が、人生のストレスは減り、喜びは増えます。
「縁」と言われたときは、
自分の思いどおりにいかないことも多いよ、それが真実だよ、
という意味に理解してはどうでしょうか。

「泣き寝入り」とは、嫌なことに対して泣く(怒る)ことですよね?
縁、依他起性を理解している人は、自分の思いどおりにいかなくても「それが普通」と思っているので、べつに泣く必要はないのです。
最初から泣かない(怒らない)なら、泣き寝入りにはなりません。
平気へっちゃらで笑って暮らすのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

【不悪口院 恵成 先生】
 ご回答ありがとうございます。先生お久しぶりです!!私、あれから「件の寺」から
オサラバしたんですよ!今はいい祈願寺を見つけて、そこに通ってます。
みなさん私のことを覚えてくれてとても可愛がってくださって…
 それが原動力になっていいことがたくさんあり、私も元気になりました!
先生のご一喝のおかげです、ほんとうにありがとうございました。
 さて……縁のコントロール、どれか一つが欠落してもにんじんにはならない…
 たとえば、私のお寺でのセクハラ被害をとると、私が逆に黙り込まなくて、
「ぎぃいやぁぁぁあああああ!だぁすげでぇぇえええええ!!」とかその場で叫んだら
今みたいに穏やかには済まず、別な状態になっていた。とかですかね…?

【大慈 先生】
 ご回答ありがとうございます。
 というか先生、高校生のくだりフツーに犯罪ですよ。親と学校仕事しろ。
 悪友とつるむな、それから対極ともとれる、我慢しなさい…
 つまり、やばい奴だと最初からわかっている奴には近づくな。
 道端で通りすがりの奴に吐き捨てられたクソみてぇな言葉くらいはスルースキル磨いて
なんとかしろ、どうしても仕事とかで会わなきゃならん奴もどうせ仕事の間だけだから
そんくらいはスルーすべき。という解釈でいいでしょうか?
 泣き寝入りせず、かつ腹を括るというのも、
「なんかあったらそいつからは離れて、まだ粘着してくるようなら通報すりゃいいや」
というような意気でということだと解釈しましたが…どうですか?

【願誉 浄史 先生】
 ご回答ありがとうございます。そうですね…変な奴がいたら警察に飛び込めばいい。
その後はヘラヘラ笑ってざまーwっつって職場で笑い話にでもすりゃいい。
 じつは前回の質問で、祈願寺境内で違法スカウトに待ち伏せされて声かけられて怖くなって
なんであたしなのよー!って興奮して愚痴っちゃったんです…
 実はこの時かかりつけの病院に風邪ひいて行かれなくて強制的に3週間ほど薬を断つ羽目に
なり、それでひどい双極性(躁うつ状態)が起きてしまい…
 通常だったらちょっとしただけのことに興奮してしまうのも私が持たされて生まれてきた、
「依他起性」ってやつなんですかね…そのために手帳まで頂いて、病院に通わせてもらって。
薬を飲んで…「ありがたいこと」ですね……

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