私の修行をチェックしてください
仏教の修行において師との対話が大切だと思ったので、私の修行をチェックしていただこうと思い投稿することにしました。
座禅を組み「ぎゃーてぃぎゃーてぃ」と呪文を唱え頭を空にし、
歯磨きなどの行為の間も頭を空にしました。
一日中この修行をしていると、心が水のようになり、世界が静かになりました。
さらに頭もすっきりとして、座禅を組まなくてもこの状態が続き、
あらゆる事柄も自分も、まるで他人ごとのように流れとして感じるようになりました。
この状態は修業が良い方向に進んでいることを示していますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
とりあえずOKです。ですが「その時だけ」ではイカンです
こんにちは。日本仏教に悟りをトリモロス会の幹事長ジョー・悟りアーニです。
最近の出来事ですか?ハイ。月9の坊さんドラマを観ていましたら5歳の息子が山pの弟、寺の次男役に「なんでトッキュージャー1号が悪者なの?」にうまく回答できませんでした。
それはさておき、大変結構なことです。
さらに進めていてください。
ですが、今ぶっちゃけどうですか?
単なるトランス状態で無いことを祈ります。
マインドフルネス業界のカリスマ、ジョン・カバッドジン。講義を5000円も払って受けに行きました。講義を終えた後の質問タイム「あなたは今マインドフルネス状態ですか?」という質問者に対して「NO!」と言い放ったことが興味深かったです。眠かった私はガバッと目が覚めマインドフルネス以上の明晰性を養いました。あべし!(お金返して!)
そんなカモにならない為にも以下を参考にして、正しい悟りアーニ(覚者)になって下さい。
時は20XX年。世界はエゴの炎に包まれた!
人々は悟りを求め仏道修行に励むのであった。
これは世紀末(末法)の世にありて、仏道修行をしたものの道を外した悲しい修行者たちの真実の物語である。
①「お前の坐禅は何だったんだ」
北斗の県在住の山田サウザーさん(仮名)は坐禅歴10年以上。僧堂で坐禅指導の役職にも就いていましたが若い子をこき使いイジメで問題を起こし僧堂の指導役を首になりました。あべし!
イタタタタ!
②「何しに行ったんだ」
おなじく北斗の県在住の山田ケンシロウさん(仮名)はお遍路さんに3か月行って帰って来たその晩に夫婦ゲンカをしたそうです。たわば!
「何しに行ったの…?」「何しに行ったのだろう」 痛たたたた!
③「お前の筆は泣いている」
サイタマ県在住の山田ハート様(仮名)は写経を終え清らかな気持ちでいました。茶を持ってきてくれた人がうっかりハート様の写経用紙の上にお茶をこぼし温厚な気持ちはどこへやら。ブチキレたそうです。「痛えよ~~~!!」
仏のハートで仏の字を書いてもアクシデント一つでダウン。 ひでぶ!!
『世紀末痛い修行者たち列伝』より
そうです。日常こそ大事なのです。
それをやっている時だけ悟りアーニでも意味がありません。
坐禅でない時も、静かな心で居られるようになったというのはかなりいい感じの進歩です。
以上の点を踏まえてさらに精進してください。あたたたた!
人間くささの中
泣いて笑って喧嘩して
そんな人間くささの中に悟りがあるので
あなたがどこに向かっているのかはわかりませんが、もしも、成仏を目標としているのでしたら、他人事のようになるのではなく、人の心に寄り添って一緒に一喜一憂できる人間になってください。
すべてが他人事だなんてちょっとさみしい思いになりました。
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仏様はこの世の中の人々はことごとく皆我が子なりと法華経譬喩品でお説きです。
私達の目標が成仏ならばこの金言のように
世の中のすべてに関し我が子と思って接する、愛しさをもって接する、厳父のように接するということが進むべき方向だと思います。
良いのでは
私は他人の心を読めるわけではありませんが、心が世界が静かになる、静かにできるというのは、良いことではないでしょうか。
私は、仏教は、
悩み苦しみの原因(欲・怒り・怠け・プライドなど)を制御したり消したりして、
悩み苦しみを制御したり消したりするのを目指す教えだと思っています。
ですから、修行するときも、煩悩を制御する、煩悩を克服する、という方向からそれないように注意すべきでしょう。
修行の成果について「オレはすごい」「オレは才能がある」とかいう余計なプライドが出るとまずいのです。
自分の愚かさを知る、自分の煩悩を知る、ということが大事ではないでしょうか。
そして、他人への慈しみ(誰でも見捨てない仏様のような心)も忘れない方が良いでしょう。
静かな心と穏やかな心をキープできると良いですね。
それはなにより
わたくし自身が人を評価するに値しないとは、思いますが、修行をす住めていく中で心穏やかに過ごすことができるということは、なによりのことだと存じます。
必ず当たる壁としては、これで本当にいいのかと探ることです。うまくいっているのかどうか眺める自分の存在があるはずです。
本来は眺めたり観察する必要もなく、全ての現象がそこにあるということのみです。
頭から離れちゃうのです。
質問者からのお礼
丹下 覚元様
面白くためになる教えに感謝します。
北斗の拳世代なので非常に面白かったです。
効果は今のところ持続しています。
ですがやはり、まだまだ先があるような気がします。
もっと心を深く、それでいて広くできるような気がします。
さらには、自分と世界が接続した感じるなるのではないかという気がします。
心が静かな感触はあるのですが、あくまでも修行をする前と比べての事なのでもっと精進せねばと思います。
油断せずに頑張ります。
邦元様
ご指導ありがとうございます。
少し自分を客観視できるようになりましたが、まだそこまでの境地に達していません。
より上の境地を知り、俄然やる気が出てきました。
願誉浄史様
的確な忠告有難うございます。
下手なプライドが出ないように厳重に注意します。
四次元 法華塔様
温かきご指導ありがとうございます。
確かにおっしゃる通りで、他人ごとになりすぎると、人間性がない冷たい人になってしまいます。
今、心が動かない反面、冷めた状態になってしまっているので、平常心を保ちつつ、温かさを持つように心がけます。
今日、いいことに気付きました。
ここ最近暗いニュースばかり見聞きして、ちょっと暗くなっていたのですが、心を静かにしていると、周りの小さな温かさに気付きました。
ニュースにならないけども、道を譲りあう、物を落とした人を手助けする、レジを譲る、といった小さな親切は意外と沢山あるのですね。
花鳥風月を美しいと思っていましたが、人込みにも美しい光景があると気付きました。
もっと修行を続けてよりよい人間になろうと思います。