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親戚に仲裁を頼みたいけれど。

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約4か月前に2回、親との関係修復の件で相談しました。その後の、その続きの相談になります。
その後も、手紙を出したりしましたが、返事はありません。自分でも、ここに相談させていただき回答をいただいたので、何度も読んで考えたりしました。
親には親の気持ちがあるのでしょうから、諦め時かなとも感じたりしています。しかし、最後に親戚に仲裁をお願いしたいと考えました。
ただ、親戚は迷惑かなと思い頼めないでいます。最後は、これが精いっぱいの考えで他に浮かばずです。仲裁と言うより、仲介というのかもしれません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

暴圧的感情を卒業してから

まず両親に次の手紙を書いて連絡先を記しておくこと。
①まず、「離婚をした真相」「本当の理由」をキチンと親に事細かに伝える事。
②「そういう理由」で離婚をしたのであったけど、私は元夫より上手にそれを表明できなかったことが悔やまれてならないということ。
そして元夫は、如何にも自分が正しいかのように私以上に私の家族に言葉たくみに入り込んでいったことが怖くて仕方なかったということ。
③なぜ、当時それを伝えられなかったのか、と記す。
④ご両親の中では、私一人だけが悪者になっていたが、真実を伝えられないまま私が悪者になってしまったことが悲しかった。
⑤私と二人だけで過ごしている時の夫の人格と、両親たちに社交的にふるまっている人格がまるで別物であること、夫からされたこと、怖かったこと、辛かったことを記す。親が見ている夫は、それは本当の夫の姿ではないということを分かってほしかったこと。
⑥立場や世間体ではなくて、結婚は当人同士の問題であったということ。離婚をしたのは本当に申しあ訳なかったけれど、実際に元夫との二人きりの生活を体験したことがあるのは私だけであるということ。
⑦それまでして私はなぜ離婚をしたかったのかの理由
⑧まるで受け止めてくれなかったのか。それはわが娘を守る感情よりも世間体、親の対面ばかりを気にしていて、実の娘の私の話をまるで信じてくれなかったことが悲しくてならない。
同時期に、親戚にも同じ内容手紙を送るのも良いでしょう。
だた、親御さんは身内の恥を親戚に知られたくない事もあると思います。
お寺でも仲裁をしてくれるところもありますよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

親戚の仲裁を頼むにしても、ゆっくり手順を踏んで

 前回回答させていただきました。

何回、どんな文面で手紙を出されたのかもわかりませんが、返事が無いのは寂しいですね。

前回の質問の中で

元夫のメールで、「両親は返信を出すつもりは無いと言っていました。」と書いてありました。

現時点では、御両親はまだ「こころ」さんよりもDVの元夫を信用している訳です。そういう状況の中で、元夫に「両親に手紙を出す」ことをメールで伝え手の内を曝してしまうと、DVの元夫は御両親に対して「こころ」さんが不利になるような」情報操作をしたと考えられます。御両親は手紙を受け取っても、読んでくれなかった。読んでも真に受けてくれなかったと考えられます。元夫とのメールを直ちに止める必要はありませんが、情報の流し方には注意が必要です。誠意を以て御両親に手紙を書いたとしても、まだ誠意を受け止めてもらえない状況だと言えます。

親戚の方に仲裁をお願いすることは。有効かと思います。
問題は、

1、仲裁役に適任な親戚が居るか?、
2、「こころ」さんの説明を真摯に聞いて理解してくれるか?
3、御両親に説明して、親子の絆を取り戻せるように説得してくれるか?

御両親とも8年間音信不通だった訳ですし、御親戚とは更に音信不通だったと思います。御親戚との人間関係の修復にも時間と手順が必要です。一回ですべてを理解してもらおうと思っても、御親戚はあなたが期待するように耳を傾けてはくれないかもしれません。慎重に時間をかけて説明し、理解してもらう。信頼関係を築いた上で、御両親との仲裁をお願いしてみましょう。

追記
 再度、手紙を出すにしろ、親戚に相談するにしろ、もう一度事実関係を整理してみましょう。その中で、御両親の問題点は御両親への手紙に書くとまずいですね。でも、御親戚への説明の場合には、その点は大事です。御親戚の協力を得るためにも、大事です。丹下師の回答も参考になると思います。、

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

愛情に飢えて

あなたを突き動かすものは帰巣本能。
愛情に飢えている。両親に認められたい。受け入れて欲しい。心の渇き。
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あなた、またはご両親に水子さんはいませんか?そして水子供養を怠っていませんか?
もしも怠っているようであれば
水子さんは親の愛情を催促しています。
あなたの水子なら我が子、親の水子ならあなたの兄姉弟妹です。
水子供養をなさってください。
そうすれば親子関係は修復できます。
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水子さんがいない場合、またあらためて考えますのでご質問ください。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

親戚がダメでも

できればこころさんのみかたになってくれる親戚の方がいれば、話がスムーズのような気がします。
しかし、どうしてもだめなら、第三者として頼めそうな人を探すしかないでしょう。
お世話になっているお寺さんがあればそれもいいと思います。

あなたがどれだけ苦しんできたのか、離婚の理由など、詳しく、事前に文章にまとめておくことが冷静に話を進めるためには重要かと思います。

話したいことを事前にまとめておくことが重要かと思います。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

回答していただきありがとうございます。それぞれの1文字1文字大切に読み考えていました。今日1日もう少し考えお礼のコメントを書かせていただきます。よろしくお願いいたします。

お礼が遅くなり申し訳ありません。
四次元 法華塔さま。
とても早い回答を頂きまして有り難く思っています。水子についてなのですが、自分の水子は居ないのです。
ただ、両親や親戚や遡って先祖とか考えると居るのかもしれませんね。。。。
今回、水子という言葉を聞いて思ったのは、お寺などに行くと水子の像に必ず立ち寄ったりしていました。
年に4回くらいです。

邦元さま、回答頂き有り難く思います。
当初は親戚に頼みたいとは考えていませんでした。両親は世間体を一番に考えるので、親戚に色々知られるのは嫌がると思ったからです。
しかし、第三者(市役所など公的機関)には以前から相談していたのですが間に入ることは出来ないので、親戚かなと考えました。
お寺には行きますが、厄除けや車の御守りのために行くのですが、そこまで深い関係ではないので。お願いできたらと考えたことはあります。

きちんと話を整理してまとめておこうと思います。ありがとうございました。

吉田俊英さま。今回の件でも回答を頂きましてありがとうございます。
何度も読み返させていただきました。ゆっくり手順を踏んで、これが大事ですね。
親戚に仲裁をお願いしたいときの問題点、1、2、3はその通りです。
親戚ともずっと疎遠だったわけだし、一気に解決したいと思わず、ゆっくり手順を踏んで、自分の気持ちも冷静に考えて整理して
行動しようと思いました。再度、追記も書いてくださり感謝しています。
元夫に話してしまったのも失敗したので振り返ってそれ以上大きくならないよう自分の行動も気を付けます。

丹下覚元さま。
ありがとうございます。細かいところまで心を配って手紙のことを考えてくださり感謝しています。
頭の中が整理できた気がします。何度も読んでみました。
住所のことなのですが書けないのです。住民票にロックをかけてあります。なので両親の所に元夫が出入りしている
から怖くて書けないのです。本来なら両親や親戚になら伝えられるのですが。出入りしていなければ良いのですけど。
本当なら手紙に住所を書かないのは失礼なんですが。というのが現状です。
お寺で仲裁をしてくれるようなところは、どのように探せばいいのでしょうか。

今回の回答をしてくださった皆様。本当にありがとうございました。
文章力も全く無くて言葉も上手ではありません。でも皆さんのお言葉を何度も何度も読んで読み返しました。
もう少し頑張ってみます。ありがとうございました。

訂正。
下から2行目、(私は)が抜けてしまいました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ