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元旦が四十九日

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有り難し有り難し 43

49日が元旦の場合に、その日は厳かに1日1人ですごすべきですか? 私の家には彼のお骨も位牌もお仏壇もありません。私がまだ知らなかった頃の昔の写真や、彼が亡くなってから彼の家から持ち帰ったへその緒、名刺入れやネクタイと、使っていたであろう眼鏡を置いている所にお水を置いて、ご飯を炊いた日はご飯など置いていました。
49日まではこちらに居て、そしてあっちに行くって聞きます。私は49日が過ぎれば居なくなってしまうからイヤでした。でも私ももうあの人を裏切りました。それに、あんなに愛してたのに、いえ今でも本気で愛してるのに、何も言ってくれずあんなに早く逝ってしまったのと、亡くなってから前妻が物を言わない彼や周りに対し、奥さん面したり都合が悪くなれば友人面したりで、私は自分の気持ちだけを信じよう彼を信じよう、誰に何をされても気にしてはダメだと泣きながらふんばってました。でもダメでした。薄情で弱すぎる。
彼と仲良くなるまでズルズルと一緒にずっと居てくれた元彼に連絡をして会っています。彼の事も話しました友達としてでもいいから、たまにそばに一緒に居て欲しいと言いました。元彼は痩せた私に話してくれてありがとう、大丈夫、大丈夫って言ってくれました。今年まで何年もそうだったように、多分このお正月休みは一緒に居てくれると思います。
バカです。アホです。寂しくて情けなくて腹がたって1人ではいられなかった。
彼はそんな私を見ていてもう私の側になんか居てくれてないだろうと思ってます。 それでも呆れられるかもしれないけど、愛してるから49日にお別れなんかしたくない。何をどうやってももう会えないならこの辛さごと全部忘れてしまいたいけど、そんなことは多分できそうにありません。生きて行かないといけない私に元彼に精神的にたよってしまう事をどうか許して欲しい。
話がまとまらず、読んでくださった方に申し訳ないです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の中で物語を想定し過ぎない

愛している人は亡くなった。でも独りでいるのが寂しいから元カレと居る。
でも元カレは亡くなった前カレじゃない。
元カレを代わりにしていきますか?それとも好きになれますか?まだ、わからない。
「確証の無いことをいつの間にか自分の中で物語として想定し、その物語どおりであってほしいと期待しでもダメだった、でも今後はきっとそうなるであろう、という事を想定して自分に溺れている状態」が今のあなたです。
あなたは今、実質元カレさんと一緒に居ようとしているわけですよね?
それでも彼が好き。うーん。
彼が生きていたら二股、不誠実になるワケでしょ?(._. )
だったらもう、その物語を捨てましょう。
元カレと一緒にいること自体、前カレさんとの別れの区切りとするべきターニングポイントです。
現実の世界で、元カレさんと一生に居る。
あなたの頭の中では亡くなった彼と生活している。(かのように思い込んでいる)。
49日は新しい一歩を踏み出す日とすべきです。
亡くなった人の遺品なども彼のご実家にお返しする。
持っていても執着にしかならない。
あなたはもう現実の結果以前の、自分の中だけのプレ物語の世界に生きるのではなく、
実際の現在の真実を今後リアル物語として生きていくべきです。
よって元カレさんか新しい彼と生活されればよいでしょう。
亡くなった彼への愛の物語を完結されたければ一生独りで居ればよかった訳です。
ですが、あなたにはそれが出来ない。
それが答えなのですよ。
人間、刻々、自分のしたいことを選択しながら行動している生き物です。
あなたが彼が好きだったという割には、今は元カレさんと居ようとしている真実がある。
だから、もう自分の中の物語を手放したらどうでしょうか。手放すべきはあなた自身。
人間は相手が好きであると言いながらそんな「自分が好き」であったりするものです。
厳しいですが、愛に生きんとする美しき物語であるように思われていても、それは単にあなたの中の作られた物語に住んでいる場合が本当にあるのです。
想定された物語を捨て、現実を軸に生きましょう。
彼を引きずりながら元カレと居れば、元カレにも前の彼にも不誠実。
「愛している」と言う割に元カレと居ながら遺品を持ち続けているなら、彼や彼の実家の人たちへの不誠実。彼と彼への物語への不誠実であるように私は思います。

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自分に酔いしれているだけ

まったく自分勝手。
以上。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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遠くには、いきません


遠くにいくのではなく、仏様になり、今度は護ってくれる様になられます。

悩むのも、苦しむのも、泣くのも、叫ぶのも 寂しい事も すべてが解ってくれるから、大丈夫です。

そして、必ずいつの日にか、また、再会出来ます、だから、大丈夫です。

近くにいて、くれているから 大丈夫です。

あなたが、彼にしてあげられる事は、忘れないでいてあげる事 そして、彼が、好きだったあなたの笑顔を早く取り戻す事。

形はどうであれ、あなたに、笑顔が戻る事を、見守っていて下さっているから大丈夫です。

でも、寂しいですね、あなたも、今日まで、良くがんばってきましたね。

たまには、肩の力を抜いてみてください。

大丈夫です。

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おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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亡くなった彼はもういません

生きていた時のように、会うことも話すことも感じることもできません。
あなたの記憶の中に居るだけです。
あなたは、これからどうするのでしょう。
あなたの事を大切にしてくれる、元彼をたより、寂しさを紛らわせながら生きていくのか。

49日の間に、残されたひとは少しずつ心の整理をし、新しい人生を歩んでいく準備をしていくのです。
あなたは、今後どうしていきたいのか、よく考え、その場の感情に流されないように、冷静になってください。後悔しないような決断をしてください。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

長谷さん優しい言葉をありがとうございます。
まわりの知り合いや友達にもかなり話を聞いてもらいました。でもやっぱり皆んなも自分で生きるのに精一杯だし毎度毎度、彼氏の話を泣きながらされたら迷惑とおもって、もうなるべく自分だけの心で考えようと思ってたんですが、もう亡くなって何をどうしようもないのに不安で寂しくてここへ来ます。
誰かに話しを聞いてもらえて言葉までもらえていて本当に少し心が救われるんです。
1人の人を愛するってこんなにも辛い事なんですね。 今まで過去にも辛い失恋ばかりでした。今度こそ穏やかな幸せができそうな気がしていたし、彼の側にいて少しでも幸せにしてあげたかったんです。
クリスマスもお正月も一緒に居ると約束をしました。
今日は彼がやっていたバーへ行っていつものように飲みます。一緒に居てくれるかな。
お正月は49日もあるけど、お花と御線香をして、私は元彼が居てくれるのが裏切りとは思ってないし、ごめんなさい寂しいからとゆうのが本音だと自分でもわかっています。イヤならイヤだと言いに来てほしい。 1人ではおかしくなりそうで。
また長文ですみません。
忘れたくとも忘れられない人だから、泣いて泣いて仕事をして、また疲れたら泣いて、気をはらないように頑張ります。
またここで話をつぶやかせてもらえたら助かります。。

私は一生懸命愛しました。若輩で経験も少なくて上手には伝えきれなかったけど、16歳上の彼が愛おしくて愛おしくてたまりませんでした。
私はそんなに自分勝手ですか?
酔いしれとったらいけんのんですかね?

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

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回答数回答 1

亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

有り難し有り難し 4
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僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

亡くなった母についての質問です

いつも参考になる回答ありがとうございます。 母が亡くなってから、明日で四十九日となります。四十九日に関して気になったことを質問をさせていただきます。 五七日の翌日、祖母の下へ母が来たそうなのですが、その時母が「私何か悪い事したかな」と言っていたそうです。 調べてみたところ、五七日は生まれ変わり先が決まる日だと書いてあったので、自分は勝手に「生まれ変わり先が、母にとって良くない結果だったのかな」と考えてしまいました。 お坊様は母の発言についてどのように考えますか? また、四十九日までは、母が見守っているのだと思って過ごしていたので気持ちが少し落ち着いていたのですが、四十九日経つと母の魂があの世へ旅立ってしまうということを知り、不安になってしまいました。 「すぐに生まれ変わるのか」「見守っているのか」「修行などをして過ごしているのか」など、様々なことを考えてしまいます。(そもそも四十九日や、その日までの解釈が間違っているかもしれないですが) 旅立ったあとは、何をしているのでしょうか? 色々と考えてしまいすぎて、あまり良くないと思いますが、気になってしまいます。答えられる範囲でいいので、回答いただけると幸いです。 拙い文章で長々と申し訳ございません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

父の三回忌を教会でしたいと義姉が言います

質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ