悩みとは
年代別によって 悩みって色々変わりますが
悩みが無かった時なんてあるのかなと思います
子供時代は 震災など テレビ中継を 何となく見てましたが 大人になって 災害などで 崩れた家や 建物など 洪水などで 失われた 町の状況など 見てると
何故こんな試練ばかり 起きるのかと 見ている側も
辛くなります。 いつの時代も色々な事で 皆んなで協力して 生きる力を 養われてきたと思いますが
戦争などなく 自然災害などなく 平穏で穏やかな
日は来るのでしょうか?本当に今このIT時代になって
色々な事が便利になってますが
今この時代だからこそ 手を合わせていく事が
大事だと 気づくべきなのではと思います。
人の勝手で 戦争など 大気汚染など
人の手で 地球を 大地を破壊して きてます。 人が豊かに暮らせるようになり犠牲になってる事もあるという 実感を持って 自然を
壊し 動物を殺して生きている
それは人が生きていくうえで仕方ない事かもしれないですが
謝って生きていかないといけないとも 思うからです。
あの世があって 神様仏様がおられて この世をみてられて 皆様が 手を合わせていく そういう 心を持つ事が この悩みを無くす事に繋がる気もします。
お寺様に足を運ぶ心を持つ事が 苦しみを無くす事に
繋がってるんでしょうか? 仏様と向かい合う事が
心穏やかになる事に繋がるのでしょうか?
私の先生が 布施行の事を よく話されるのですが
私は、正直 ケチだったんですが お寺様に
護摩木を購入したり 瓦の奉納をさせて頂いた事によって 心清らかになっていると思うんです。 布施行は
心の汚れを無くす事に繋がるのでしょうか?
何せ お寺様に行く行動を起こす事が 悩みを無くす事に繋がるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩みとは心の再生内容のダーク性である。
あなたはものをみるにも聞くにも何に処するにも心の中で再生していることにダークな色付けをしているのです。
鋭い方はこの言葉で十分でしょう。
以下を読まずに今申し上げたことの意味を噛み締めれば悩みの淵から即日解放されるものです。
お寺に通うというのは何処のお寺に通えばよいというものではないです。
モノの道理を明らかにした賢者を求める旅です。
お寺言いましても住職が暴力団みたいなのもいれば、立派な仏祖・国師ほどの方もおられるものです。寺の本質はそこに居る人間でしょう。
「お前の教会は何をしてくれた」という言葉がありますが、お寺の本質は坊さん。そこの坊さんが悩める人をしてどう接してどう救ってくれて、どう導いてくれるか。
勿論相手任せじゃいけません。
あなた自身も真実のチエ・聡明さ・賢明さ=正覚・菩提・涅槃を求める意思が無ければここでこちらがいくら何を説いてもHORSEの耳にイースト・ウィンド&念仏です。
こころはあなたのディスプレイ。
あなたのディスプレイに何を思い描くかは残念ながら自己責任。
ですが、仏の教えはその心に映し出されるものの映りを最高の高品質1080HDも4kをも上回るARI-NOM- AMAビジョンにしてくれるのです。
ARI-NOM-AMAビジョンはアナ雪のアナもエルサもびっくりなありのままな世界です。
自分の私見が介入される前の一大真実だからです。
人間はいつも考えたことの方を真実だと思っています。
私の過去回答をいくつかチョイスして読んでみてください。
ものを眺めるのに思考をさしはさまずに世界を眺めることができた時、あなたは仏教のいうところの正覚・悟り・正見・やすらいということの本当の意義を会得することができましょう。
是非、自己をより良くするためにも覚者の教え・仏教を究極を求めてみてください。
※追記あり 智慧と福徳
追記
仏教は、確かに難しいのですよね…さりとて簡単に噛み砕いて述べても、逆に分かりにくくなる、あるいは誤解が生じてしまう懸念も…
丁寧に少しずつ学び続けていくのが一番良いのでもあります。
最初は理解するのが難しくても、根気強くが大切となります。
どうぞ、ご質問もご活用になられて、とにかく学びの継続を、であります。
みやこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
まず、先の別回答からの引用となりますが、
仏陀・如来は、全てを平等にご覧になられます。
正確には、一切は実体の無い清浄なる空性であると現量において、全てをご覧にならない仕方にてご覧になられます。(勝義諦)
また同時に並行して、その衆生たちのそれぞれの苦のありよう、縁起のありようも正確に把捉されます。(世俗諦)
そして、慈悲の御心から、お救いの働きかけ(善巧方便)をなさられるのであります。
しかし、現在、残念ながら、この娑婆世界には仏陀・如来は不在のため、釈尊が残された仏法、仏典を頼りとして修習に努めることが望まれるところとなります。
ここからが本題となりますが、釈尊は、悩み苦しむ私たちに対して、それを滅するための真理(四つの聖なる真理)をお説き示されておられます。
仏道を歩むことで、確実に悩み苦しみを無くすことができるとして。
そのためには、仏法を拠りどころとして(法灯明)、己自身の足で実際に仏道を歩むこと(自灯明)が望まれることになります。
悩み苦しみを無くして、悟りへ至るためには、智慧と福徳(功徳行・菩薩行)の二資糧を集積し、悟りの妨げとなり、私たちに迷い苦しみをもたらしている原因である煩悩障と、所知障の二障を断滅することが必要となります。
布施は、福徳(功徳行・菩薩行)に含まれるところとなりますが、確実な布施のためには、智慧(空性を悟る力)も欠かせないところとなります。
智慧と福徳は、車の両輪、鳥の翼の如しです。
ただ、義務的に、何となくに布施をしたり、お寺にいったりするだけで養われるところではなく、やはり本格的に仏道(在家信徒でも構いません)を歩めるように調えてゆくことも。
どうぞご検討下さいましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
丹下様ご回答ありがとうございます
凄い難しい言葉すぎて 何度も読まないと 私くしには
わからないです。すいません。:(;゙゚'ω゚'):
きっと 知識豊富なんですね。
心で再生しダークな色づけをとは、白は赤を混ぜたり
黄色を混ぜると 変化しますが 黒は何色を混ぜても
黒になります。そういう意味ですか?私は 全てを黒く
ぬり 黒で生きてるから 他の色が見えない真っ黒という
事ですか?
川口様 ご回答ありがとうございます。
仏道って 難しいですね。皆様がいかに 日々
勉強され続けているかが わかります。
皆様は本を読むんでしょうか?ネットで勉強されてるんでしょうか? 難しい言葉が沢山出てきたので
回答から私は、勉強します。ありがとうございます。
仏教用語って 難しいですね。。。お釈迦様はわかりやすい 言葉で残してくれなかったのでしょうか?
一つ調べたら 恐ろしいくらいの 文がでてきて
それを 理解しないと 次に進まない 私が知ってるのは とりあえず 天国と地獄がある事 ただあの世に
地獄があるわけじゃないきがするのは 仏様のような方が 罪を犯して生きた人が亡くなって 地獄で殺人鬼の様に苦しめるとは思えなくて もし地獄があの世にあるならば仏様は 鬼なのですか?私は、地獄はこの世だと思ってます。この世でも平等 あの世でも 平等 失礼いたしました。(^人^)
学びたいです。ただ誤解を招く事もと
自己流ではなかなか難しいという事ですね
変に知識を身につけても 正しくない事もあると言う事ですね。それをふまえて 最近よくテレビで 健康の番組ありますよね。病気の知識を身につけて病院に行って 病気の症状と もしかして この病気では?お医者さんに尋ねて 叱られた事がありました。それに
似てる気がします。