拈華微笑の真意
先日、知人から鮮やかに色づいた美しいアジサイをいただいたので、花瓶に生けながら様々な事を感じていたら、自分が寂しいような哀しいような複雑な笑みを浮かべているのに気がつきました。(変なスイッチが入っていたんです。)
それはまぁいいとして、近頃ずっとhasunohaを読んでいた影響なのか、昔、疑問だった拈華微笑の話を久しぶりに思い出しました。
確か、ニッコリと微笑んだのだとか。
未だに何を表しているお話なのか分かりません。改めてネットで調べてみても、やはりサッパリです。
ニッコリ(?)微笑んだのは何故でしょうか?何が伝わったのでしょうか?
よろしくお願いします。
作為的な流れに逆らいたくなる。流行とか洗脳とか操作とか洗脳とか誘導とか洗脳とか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
実物にただ触れた様子
事実に触れたのです。
悟りとは自分の見解を一切挟まず事実にダイレクトに触れている様子です。
自分が一切無い。抜け落ちている。ものを見ても、音を聞いても、ただそれがあるだけ。見ている自分も、聞いている自分もないのです。
実際私たちの体の働きはそうなっているのです。
先程救急車が通りましたが、自分が聞いているという様子もなく、ただ、ピーポーピーポーだけがありました。
そうした様子が拈華微笑とイコールということでしょう。
花笑い鳥歌う
円通寺さんが回答されていますが、その通りだと思います。
お釈迦様の心が、花を通して摩訶迦葉尊者に伝わった瞬間です。
では何がどう伝わったか、、
・正法眼蔵…人格の本体、本質
・涅槃妙心…人格の作用
・実相無相…人格の様相
何がの部分はこの3つです。
実相無相とは、清でも汚でもない、男でも女でもない、実際の相とは相の無いというところです。
その相の無いところから様々な働き、無心に見、無心に聞くところが涅槃妙心です。
正法眼蔵とは正しい真理を見る眼を蔵していること。見る眼と見られる世界、主観と客観が一つになったところです。
お釈迦様が花を通して、仏心を表したところ摩訶迦葉尊者がお釈迦様と同じ心を自覚した。
伝えようとしても伝えられない事をお互い同じく自覚した。どう伝わったかではなく、迦葉尊者の自覚だったんですね。それを笑顔で表したのです。
花は満面の笑みをたたえ咲き、鳥は歓喜の声を目一杯歌う。
ゆう游さんもそのような素晴らしい世界におられるんですね。
二つの真理
ゆう游様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「拈華微笑」は、禅宗の教えこそ、真に釈尊の正法を受け継いだのだ、ということを強調するための作り話というのが実のところなのであります・・ごめんなさい・・
このことはウィキペディアにも詳しく書かれていることですので・・どうかご容赦を・・夢の無いことですみません・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/拈華微笑
まあ、しかし、釈尊の教えには、二つの真理があり、一つは、最高の真理としての「勝義諦」、そして、その「勝義諦」へと向けて説かれた方便の教えとしての「世俗諦」の二諦があり、勝義的な真実を伝えるところにおいては、「言語道断」として、言葉では表せないところを扱うことがございます。
そのため、「不立文字・教外別伝」を奉じる禅宗においては、その「言語道断」としての釈尊の最高真理の教えを、摩訶迦葉尊者が理解されたということを、「拈華微笑」のお話として強調されたかったのであるのではないだろうかと考えられます。
もちろん、摩訶迦葉尊者は、釈尊の最高真理の教えを他の尊者と共に理解されていたのは確かなことであったかとは存じます。
とにかく、ひとまず難しい話はさておき、紫陽花、拙寺でも咲き始めました。紫陽花を紫陽花のまま愛でたいと存じます。
川口英俊 合掌
実物にただ触れた様子
事実に触れたのです。
悟りとは自分の見解を一切挟まず事実にダイレクトに触れている様子です。
自分が一切無い。抜け落ちている。ものを見ても、音を聞いても、ただそれがあるだけ。見ている自分も、聞いている自分もないのです。
実際私たちの体の働きはそうなっているのです。
先程救急車が通りましたが、自分が聞いているという様子もなく、ただ、ピーポーピーポーだけがありました。
そうした様子が拈華微笑とイコールということでしょう。
質問者からのお礼
邦元さん
ご回答、ありがとうございます。
花をひねることに意味があったのではなく、花そのものに触れる、まさしく「今、ここ」ということでしょうか?
私のように頭をひねっていたら伝わらない。「今、ここ」にそのまま触れなさいと。
そういうことでしょうか?だとしたらなるほど感嘆!
ずっと諸行無常のことを表していると思っていたんです。手に持たれた花にどんな救いを見てニッコリしたのだろうと。
今回の質問で解決しました。
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香泉玄祐さん
ご回答、ありがとうございます。
尊敬する人と言葉を超えて心で通じ合った瞬間のニッコリ微笑、ステキですね。
闇があるから光が美しく輝くように、花も鳥も寒い時期を耐えてこそ生を全身で喜ぶ。私もそんな世界はとても素晴らしいと思います。
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川口英俊さん
ご回答、ありがとうございます。
物事を論じる時、角度を変えてみるというのは大事ですよね。勇気あるご意見に感謝します。(笑)
ですから、謝らないでください。
「サンタクロースはトナカイのソリに乗ってお空を飛んでくるんだからぁ!」なんて言わない程には大人になりましたから。(笑)
ちなみに、サンタクロースの精神は現代にも息づいていますね。余談飛躍失礼しました。
具体的な仏教の話になると、やはり難しいです。これ以上深追いすると迷子になる予感がするので、今の限界を見極めながら、ちょうど良い加減を意識するようにしています。
今回は、おっしゃるように「紫陽花を紫陽花のまま愛でる」ですね。私もそうします。