嬉しいような…複雑な気持ちです
前回とても早くお返事をいただきまして、嬉しかったです
今回も相談させて頂きたいのですが。
当方、田舎のお寺のため近所の檀家様から、自分のところで作られたお野菜を頂く事が 多いのですが、そのおうちの方が ご高齢なのもあり、「悪いけど取りに来てんか?」とおっしゃるので、ありがたく頂戴しに行くんですが、最近、あらかじめこちらに御電話を頂き、そして取りに行くケースが増えました
その御電話も、住職夫妻がとると切られ また後日かかってきて、わたしか主人(副住職)が取れば用件をおっしゃられます
電話を切られる住職夫妻としては、疑問に思いますよね
ある方は「誰かがみんなで食べて欲しくて渡したイチゴが、若夫婦にまわってない」と聞いたから住職夫妻が出たら 切るんだとおっしゃってました
この微妙な 檀家さんとのやり取りは 良い方に考えてよいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おっしゃる通りです
檀家さんに可愛がられている証拠です。
これはひとえに妻であるあなたの力なんですよ。
別にあなたに喜んでもらおうとか僕の人気取りのために言うのではありません。
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お寺の夫婦とは檀家さんに夫婦の有り様を示す責任があり、檀家さんもそれを見たいと思っています。
そこで妻の美徳がものをいうのです。
男の仕事は女の仕業です。
副住職がお坊さんらしくなれるのも
妻のはからい、あなたの功の賜。
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檀家さんは、そんなあなた方ご夫婦に好感を持たずにはいられなかったということだと思います。
誤解無く 聴き 誤解無く つたえるべき
あなたの口からそれを住職夫妻に伝えればオヨメ様のお立場上、カドが立ちます。
頂いたものでも、住職夫妻に「これこれこういうわけだから」
ということで副住職さんを通して持って行ったらどうでしょう。
もともと誰のものでもありません。
もしくは頂くときに「住職にお渡ししておきます」と一声添えればよろしぃのでは?
その人が住職さんに渡したくないのであれば「いやいや、これはアンタたちにだよ。ヒソヒソ」と言われれば、あなた達で頂けばよいのです。
モノの生き私が誰から誰屁なのか不透明のままにせずにハッキリさせることで問題はなくなります。
実際の見えない所で、どういう真意であるのかがわからない中で、自分の中の思いやストーリーを膨らますことが問題の根源です。(^<^)それを無くすように心掛けてみてください。実物と真実の情報だけを相手にしていればよいとうことです。そうすれば頂いたキューリがたとえ曲がっていようがまっすぐな真実、泥がついていようが汚れなきキレイな真実。ズレがありません。そういうものの見方こそが仏教的モノの見方と言えましょう。無明、想念、個人的思惑を離れているからです。
とても大切にされているのですね
質問者からのお礼
けんしょう様 ありがとうございます 当然ながら、私は新参者なので嫁いですぐは『おはよう』すら言ってもらえませんでした。 しかしこの数年で投稿のような関係を築くことができました。 良い意味でさらに檀家様方と 距離を縮められたらと思います。
丹下覚元様 ありがとうございます。 どちらかと言えば住職夫妻に渡したくない方の方が大半です。 『私らがあげても、そん時は言うても 数日たって顔見てもありがとうもいわない(※) いくら法要でありがたい話をされても、耳に入ってない』 ※京都の一部地域では 何かしていただいたら三回はお礼を言うのが 暗黙のマナーです
住職夫妻もまだまだ若いですので、うまいこと過ごせるように頑張ります。
邦元様 ありがとうございます。寺で挙式をさせて頂いた以上は、ご近所さんでもある檀家さん達とうまくやっていきたいですので、それまで寺族の誰も顔を出さなかった、寺の清掃日にも私だけでも出てよかったと思っています。檀家さんのお名前とお顔を覚えられる、絶好の機会ですのでつわり時を除いては 全て出ていました。寺庭はその時常に夢の中でしたが・・・