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戦争で亡くなった人達

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いつもありがとうございます。

戦争のことについて質問させて下さい。

今は平和な日本ですが、戦争中は多くの方が亡くなられました。

特に若い兵士さん達のことを思うといつも胸が苦しくなります。

もっと生きたかっただろうし、ひもじい思いをたくさんしたと思います。

戦争で亡くなった方々はもしかしたら成仏されていないかもしれません。

私に今できることはなんなのか日々考えます。

戦争で犠牲になった方々を忘れないことも大切ですが、私に何かできることはあるのでしょうか?

すごく変な質問ですみません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

戦争の根源を知り、それを広め、戦争を起こさない。

戦争とは世界の一握りの人がおカネを儲けたり、恐怖心を無くす為に行われるものです。
みんな自分の身が大事なので、自分を攻撃する奴は嫌いなんでしょう。
個人対個人であれば悪口、陰口から始まる。
だんだん手が出る。
怒り、感情的になる。
殺したくなる。
そんでもってそれが国同士であれば戦争。
巻き込まれた関係ない兵士さんたちにも家族はありました。
そんなことに付きあわされた人たちは本当にたまったもんじゃありません。
「殴り合え」と言われても殴り合わない意志の強さを持つ。
その前に人が人を憎んだり、恐れたり、争う気持ちを無くすために、自分に向き合って心をおさめる。
世の不正や悪いことを無くす。
心も平和になり、外の世界も平和になる。
そうすることで争いの炎は静まるのです。
その争いの炎の静まった心をもって、世界の人と協力共存していけばよいのです。

坊さんの世界でもきれいごとを言う人は多いですが、私はSNSでチベットやウイグルの事を記事にするとみんなが貝のように黙ってしまいます。
不思議なことです。
それが人間という生き物の保身なのであろうと思います。
戦争をやっている国がどこであるかみんな知ってはいる。
戦争がいけないと知ってはいる。
でもやめさせようという活動をしても誰も応援はしないし、関わりたくはない。
そういうのが人間の本音だと思います。
それでもいざ戦争となればみんな駆り出されて戦火で死ぬことになる。
本当に身を守る気がある人であれば、本当に戦火の火の根源を鎮める活動をなさるでしょう。
以前、憲法九条を守る系の集まりに出ましたが、彼らは平和のために戦う感じだったので矛盾を感じ、二度と関わるまいと思ってしまいました。
本当の平和とは、世間のお互いの誤解や思い込み(顛倒夢想)が無くなり、互いに協力リスペクトし合い、寄生も搾取もなく、それぞれの国がそれぞれの国として自営できて各人各人の人間性が高まることです。心の平安と明晰な心。教養を広めることによって実現されるものであろうと思います。
争わない、も大切ですが、正しく人間を理解することがもっと大事なのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

戦争を起こさない心を持つこと

あかさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

あかさんは戦争中に若い兵士がたくさん亡くなり、まだ成仏していないのではないかと気になるのですね。

特攻隊員が最後に日本を飛び立った知覧に知覧特攻平和会館があります。
私が数年前まで秋の彼岸に戦没者慰霊祭で法話をさせてもらったときに集めた資料の中にあった言葉です。

「おれたちが行くのは戦争を止めるためだ」

自分たちが特攻隊として命を散らす目的は、二度と戦争をしてはいけないと後世に伝えるためであったと思います。ですから、私たちは「戦争を起こさない心」を持つことで、若い兵士たちに供養の心を捧げたいと思っています。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

戦争を繰り返さないことだと思います。
戦争でお亡くなりになられた方もそれを願っているのではないでしょうか。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

ありがとうございます。

戦争を起こさないこと、繰り返さないことが大切ですね。

その心を忘れずに生きていきたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ