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娘の死、その後

回答数回答 6
有り難し有り難し 77

お世話になります。じゅんちです。

15歳の娘の突然の死から8ヶ月が過ぎました。まだまだ涙が乾く日はありません。
月命日には友達が相変わらず来てくれて賑やかにしてくれます。

寂しい、会いたい、いろんな気持ちにもちろんなります、二女が姉の服を着たり同じような仕草をしたり、行事があるたびに思いだし二女の姿を見ながら同じような事が起きやしないかとたまらなく不安になったりの繰り返しです。

私自身が楽しい時間を過ごすことに罪悪感を覚えます。
友達に会ったり、笑う時間もありますがそれがふとたまらなくなるのです。
長女にも楽しい時間がたくさんあったはずだと。

長女は空から私が笑ってるのを見たいはずだよねと思うのですが、気持ちが頭がバラバラです。
どんな思いでいたらいいのか整理がつかず辛いです。

お言葉をいただきたいです。宜しくお願い致します。

2013年11月21日 22:36

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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのお気持ちを、どなたかに吐露されましたか?

本当にお辛いですね。頭で理解していることに心が追いつかないことは、当たり前のことだと思います。

そのようなお気持ちは誰かに聴いてもらうことで少しは楽になります。私も広島ですが、拙寺でお子さんを亡くされた方々の分かちあいの集いを開いております。同じ立場の方にならお話できるのではないでしょうか。いつでもご連絡ください。

⇒ http://www.namuamidabutsu.com/tsudoi.php

2013年11月22日 6:33
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有り難し
おきもち

和田隆恩
 1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱...

全部あなたがやっていること

子供を思うのもあなたの思い。
他の子を観てうらやましいと思うのもあなたの思い。
申し訳ないと思うのもあなたの思い。
会いたい、でも会えない、寂しいつらいと思うのもあなたの内側でやっておられることではありませんか。
そうです。人間は一生、見えたり聞こえたりの他に、思えたり、考えたり、自分が自分の中でおこなわれていることだけを相手にしているのです。
ですから、あなたが今お嬢さんのことを思うにしても、それはお嬢さんではなく、あなたの思い。アナタが、お嬢さんの影を観るのも、それはあなたの観ている、現実ではない、あなたの作った思い。
全部、全部、あなたがやっていることなのです。
そのために供養がある。
だからこそ、まず、亡くなったお子さんをいつまでも「わたくし」するべきではありません。
現実が見えなくなるからです。
行かせてあげることです。
わたしの、わたしの、わたしの「娘」の 「の」という所有意識を捨てましょう。自由にしてあげてください。アナタがお嬢さんを縛ろうとすることで、あなた自身を縛り付けているから苦しいのです。
あなたは知らなかったかもしれませんが、葬儀の際には懺悔といい、生前のあらゆるいさかいごとを互いに許しあう儀式もしているのです。
ですが、あなたは葬儀の主催者側の人間で、ゆっくり個人としてお嬢さんとお別れができていなかったのであろうと思います。
他人に遠慮せず、もう一度お子さんと赦しあってください。
赦し合うとは、互いに緩め合うということです。。
互いに自分が自分を、相手を縛っている。
本当に縛っているのは自分自身なのです。
その真実に気づくまで、徹底して自分の心を観察なさってください。

2013年11月23日 3:51
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

いつも、共にあります。

じゅんちさん、こんにちは。
娘さんを亡くされた、ということでとても心が痛む思いです。

 ある先生から聞いた話をします。
その先生は、夏休み前に一ヶ月、夏休み後に一ヶ月ほど学校を休まれました。そして、復帰なさった日に、事情をお話して下さいました。実は、夏休み前に一人、夏休み後にもう一人のお子様を亡くされたのだそうです。何事も出来ないほど落ち込まれたそうです。
 お経に「倶会一処」という言葉があります。人は死を迎えたとき、阿弥陀如来のはたらきで、極楽浄土へ往き「ともに同じ所につどう」という意味です。先生は、死後に会えると言われても遅い。今、我が子に会いたい。死まで待つなんて残酷だと思われたそうです。
 そういう思いの中で、日々お経を読み「倶会一処」という言葉に触れるのですが、あるとき、より深い仏様のお心に気づかれたそうです。「倶会一処」は、仏となった我が子から、私に掛けられた言葉であると。
 私達、生きた人間は、極楽浄土を見ることが出来ません。しかし、仏様から見れば、この世もあの世もありません。ですから、極楽浄土で仏となった我が子は、今、既に私と共にあり、私を包み込んでくれている。そして、会いたい会いたいと願う私に、「必ず会えるよ。大丈夫だよ。」と声を掛けてくれていると。そのメッセージが自分の口から「南無阿弥陀仏」の声となって現れ、自分の耳に届いていると。「南無阿弥陀仏」は、インドの言葉で、「いつでもどこでも包み込んでるよ。安心だよ。」という意味です。これは、仏様から私達へのメッセージです。
 浄土真宗の教えの話をしましたが、宗教は関係ありません。亡くなった方はいつも共にあるというのは、間違えのないことです。その証拠がじゅんちさんの悲しみです。人間は、心と心の対話の中で存在しています。娘さんは、じゅんちさんの心に、今は悲しみとなって現れています。今後、心の対話が変化して、「娘さんのお陰で今の私がある」という感謝や安心となることを願っています。
 その為にも、今は、娘さんとの対話=悲しみを大切にしてほしいと思います。

お答えになりましたでしょうか。
また、お会いしましょう。

2013年11月22日 2:16
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おきもち

39歳独身 嫁さん募集中   (このネタで笑いが取れるうちは独身でも良...

お久しぶりです

じゅんちさま、お久しぶりです。なごみ庵の浦上です。
確か前回は4ヶ月というところで問いを頂いていましたね。
それからさらに4ヶ月、いかがお過ごしでしたでしょうか。きっとお辛い日々を送られていたことと思います。

楽しい時間を過ごすと罪悪感を覚え、もうひとりの娘に同じことが起きないか不安で不安で仕方がない。母親とは、なんと辛いものなのでしょうか。
知人の女性僧侶が、「母親の道は修羅の道です」とおっしゃっていたことを思い出します。我が子のためなら、母親は修羅にでも鬼にでもなってしまう、ということなのだと思います。

これはひとつの提案で、是非やりなさいということではありませんが、朝にお経を読まれてみてはいかがでしょう。お付き合いのお寺で、頂けると思います。

今でもきっと、毎日のように仏壇や遺影に手を合わせ、ご飯やお水をお供えしていらっしゃると思います。朝の時間は忙しいかと思いますので、短いお経で結構です。亡き人を思い合掌し経を読む。その積み重ねはじゅんちさんにとってマイナスにならないと考えます。

よろしかったら、いかがでしょうか。

2013年11月21日 23:02
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

「地蔵和讃」

じゅんち様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

15歳の娘さんを亡くされて、8ヶ月・・いまだ癒えないお苦しみ、お辛いお気持ち、誠にお察し申し上げます・・

「地蔵和讃」というお経がございます。15歳のお子様を水子さんと致すのには異論もあろうかとは存じますが、流産や早産、死産で亡くされた方はもちろん、お子様を若くして亡くされた親御さんにとりましても、非常に深く染み入る内容があるかと存じております。

拙生も「地蔵和讃」を読む度に、涙が溢れて溢れて止まりません・・

「地蔵和讃」は、地方によっても、宗派によって少し内容が異なるところもございますが、下記が最も参考になるかとは存じております。

「地蔵和讃」
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/jizouwasan.htm

この「地蔵和讃」を小さな頃から地蔵盆にて祖母のご詠歌に併せて共に読んでおりましたが、どうして水子さんたちは、地獄の鬼にいじめられてしまうのかと、ある時から誠に疑問でした。水子さんの心は純真無垢なはず・・いまだ何も悪いこともしていない、罪もないはずなのに・・

なぜ水子さんたちは苦患を受けるのか・・「地蔵和讃」においては、その原因が実は「親の嘆き悲しみ」にあると説いてございます・・非常に厳しいことではございますが・・

もちろん、頭では理解できたとしても簡単なことではないことは分かります。でも、あまりに嘆き悲しむことで、娘さんがいまだに苦患を受けることになってしまっていてもいけませんし・・

どうか、やがては娘さんのことを仏様、菩薩様に御任せをして下さいませ。じゅんち様の思いも受け止めて、その大慈大悲の御心で迎えて頂けるかと存じております。

そして、無事にこれからも娘さんが悟りへと導かれますようにとして、ご供養のお勤めを賜れましたらと存じております。

川口英俊 合掌

2013年12月4日 14:58
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有り難し
おきもち

それでいいじゃん。

 優しい言葉は他の僧侶の方に任せておいて。厳しいことを言わせていただきます。
 坐禅で雑念が起きたらどうするか。雑念を消すのではなくそのままにしておくのがいいと教わりその通り行ったら、いつの間にか坐禅中のみ雑念が気にならなくなりました。
 今じゅんちさんが思っている感情は極々当たり前のことで変える必要あるのと思ってしまいます。「気持ちが頭がバラバラです。」は私にもありますし、どんな人でも些細な事でも起きているのでこの気持ちはじゅんちさんだけが経験しているのではありません。
 自分だけ自分だけという思いが強くて特別扱いしてませんか。後ろ髪引かれているのも今年まで。私はこのままの状態でいいと思っています。時間が経てば解るのでたまには坐禅しましょう。参考にするかしないかはあなた次第です。

2013年11月21日 23:46
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おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

病気の治療を拒み亡くなった元夫の気持ち

元夫はアルコール依存症、うつ病で、最後は肝臓が機能しなくなり亡くなりました。私が関わったのは亡くなる2ヶ月前からでしたが、もうすでに身体は弱っていました。何年も肝臓を患っていたようですが、うつ病もあり治療はしなかったようです。 亡くなる2ヶ月ほど前にはなんとか病院まで連れて行きましたが、絶対に病院には行きたくないという本人の強い拒否があり受診にはいたりませんでした。 うつ病なので、死にたいと言うこともありましたが、やはり子供もいることですからきちんと治療をしてほしかったです。 元夫ですが、やはりまだ何かしてあげられたのではないかと思ったり、どうして命をもっと大事にできないかという怒りがこみ上げたり、また、これから子供に関する相談はできる人が居なくなってしまったという喪失感があったりで、私自身とても混乱しています。 せめてもの救いは亡くなった後の柔らかい表情でした。全てから解放された安堵の表情をしていました。 元夫なのにこれほど喪失感が強くなるとは自分自身も思っていませんでした。 本人が希望しなかったとはいえもう少し体を大事にして子供のためにも長生きしてほしかったです。 私が少しでも楽になるにはどういう風に思考を変えれば良いか。これからどんなふうに元夫が亡くなったことを自分で納得していけばいいのか。 助言していただきたく相談しました。 また、亡くなった元夫の気持ちというか、今どんなふうに残された私たちに言いたいのか、教えていただきたいです

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

父に話しかけて受け入れてくれるかな

いつも回答ありがとうございます。大変参考になります。 以前にも申しましたが、今年1月に父が亡くなりました。 私は父の事があまり好きでなく、自ら進んで会話しませんでした。話し掛けられても「うん?」とか「ハイハイ」と言った程度の返事しかせず、ろくに目も合わせませんでした。挨拶もろくにせず、一言二言でした。 去年末母が「お父さん、長生きようせんかもしれん。優しくせんと、後悔するよ」と言い、その約3時間後に父の容態が悪くなり、緊急入院となり、その40日後に帰らぬ人になりました。 今私は、父に毎日線香をあげ、「お早う」や「行ってきます」「お休みなさい」と言った挨拶をしています。 そして「今日こんな事があったよ」とか、「ほら、今日のご飯持って来たよ」等々話し掛けています。 然し私は父の生きている間、殆ど言葉を交わさなかった親不孝者。こんな私が写真に向かって色々話し掛けて、父は受け入れてくれるか不安です。 私の話を「そうか、そうか」と聞いてくれたら良いんですが、もしかしたら「何を今さら」と怒っているのでは無いかと感じてしまいます。「こっちが話しても、ろくに返事もせんかったやないか」と思われているのではと思います。 私としては、父を大事に出来なかった分、母と仲良くして、その姿を父に見て貰い、今の日常の色々な事を報告したいと、色々話し掛けていますが、父には不快感を与えているのでは?と思います。 実際の所、どうなのか判りませんが、父が私の話を怒らずに聞いてくれたら嬉しいなと思います。 「今更話しても遅い」と、思われている場合、私は父に色々話しかけるのをやめるべきでしょうか?

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

死にたいと思い続けています。

こんばんは。 私は19年前に、長女を不慮の事故で亡くしました。主人とお風呂に入っていて、目を離したのか、その一瞬で溺れてしまったのです。1歳になったばかりのとても可愛い時期でした。 私は娘の死を受け止められずらにいました。お葬式の日に泣いてばかりいました。そんな私に主人の親戚達が言いました。 泣いていたら、主人を責めてるみたい。 誰も悪くない、事故なんだ。運命なんだ。 泣くのはやめなさいと。 運命?こんな可愛い小さなこの子が死んでしまうのが運命?私は泣き喚いて叫びたかったのですが、できませんでした。 暗く閉ざした部屋で、泣きながら死にたいと思っていましたが、私には4歳の長男も亡くした長女と双子の次男もいて、この子達の為にも頑張る、頑張らなきゃと前を向いたつもりでした。 次男の1歳半検診の日に話しをした、保健婦さんに「ちょっと心が疲れているようだし、頑張り過ぎてるみたい。気持ちを押し込めてるでしょ?」と言われ、専門医に主人と行くといいとアドバイスをして頂きました。 私は、勇気を出して長女を亡くした日から自分の心が辛いって叫んでいる。無理して頑張っている。本当は、あなたのせいで、あなたが目を離したからって責めている。何であの子が死んで私が生きているのかわかない。私も本当は死にたいの。 今後の為にも一緒に受診して欲しいって話しました。答えは無理でした。そんな時間はないと言われました。行きたいなら1人で行ってと。それから、19年間私は心の奥底で主人を責めているのです。そんな自分が嫌で嫌で、その更に上から自分を責めて貶しているのです。死にたい気持ちで心が溢れているのです。時々、そんな自分が崩れて、過呼吸を起こしたり、死にたいと口にしたりするのです。そんな私を主人や子供達は面倒くさそうに、遠くからみているのです。 生きるってなんだろう?19年も経つのに、心が前に向かない私は家族が思うように面倒な人間なんでしょうか?死にたい気持ちが消える日は来るのでしょうか?

有り難し有り難し 16
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悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

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父親の死と子供の心のケア

初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。 ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか? 私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 16
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最後の課題にアドバイスをください

尊敬する大好きな恩師が亡くなって2年。 病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで夢を語っていた恩師。半年後に亡くなりました。この現実を受け入れることは出来ません。人はいつか死ぬと分かっていたし、元々敏感な方でした。でも、病気と余命宣告を同時にされる3ヶ月前まで恩師は夢を語っていました。なのに3ヶ月後には夢を諦め死に備えて身辺整理。恩師は自ら余命を聞き、身辺整理をし弁護士に遺言の立ち上げを頼みました。そしてもし自分が死んだらあなに貰った手紙を棺に入れるよう息子に頼んでいいかと聞かれました。妊娠中の私は、促進剤を入れる前に恩師に会いに行ってから出産しました。恩師の危ない状況を聞き、2日退院を早め、その足で恩師の元へ行きました。意識が朦朧としていたけど、頷いてくれました。そしてその日に亡くなりました。産後2日目のことで、痛みを抑えながらお葬式へ行き、自分の手で手紙を入れました。それからは子育ての日々。衝撃的な事で、受け入れる時間もなく今日まできました。あんなに夢を語っていた恩師が亡くなったことで、人の死は無条件に突然訪れるものなんだと初めて強く実感しました。普段は忘れているけどいつも死と隣り合わせなんだと。それから生きるのが怖くて、家族を失うのではないかと不安です。だから後悔しないために、常に最悪の状態を考えています。今車が突っ込んできたらこの位置は危ないとか、もしあの看板が落ちてきたら危ないから走ろうとか。父の癌を早期発見したのも私で私が家族の命を守りたいという気持ちに苛まれています。もし家族の誰かが倒れたら誰に119番を頼んでAEDを誰にどこから持ってきてもらうかなど常に頭でシュミレーションしています。それでも人は死ぬのでこの行動が全て結果になるとは思いません。もっと楽しく生きれる人が生まれたらよかったのに。死の恐怖に潰されるくらいなら最初から無でよかったのにと考えてしまいます。でも、恩師とこの世で出会えた事、恩師と過ごした時間は私にとって最高の宝物です。今までもこれからもずっと私の大切なかけがえのない時間です。恩師が亡くなってから悩んだりしても、自己解決できるようになりました。恩師の教えがあるからです。でも恩師が亡くなったことや受け入れられないこと死の恐怖に関しては悩んだままです。きっと恩師の死は私に与えてくれた最後の課題なのです。どうかアドバイスいただけませんか。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

死に目にも会えず、苦しくて仕方ありません

お恥ずかしい話なのですが、私は10年ほどお付き合いをしていた、不倫関係の相手がおりました。 私は独身で、相手に家庭がございました。 その彼が先月、55歳という若さで突然病死し、既にお骨になった後、私の耳にその事実が届きました。 奥さまとは長年家庭内別居状態で、私達が付き合い始めた頃に傾き始めた会社も5年前には倒産し、50過ぎで新しい職に就くプレッシャーや強い責任感などから、自分の身体を後回しにした結果でした。 私も貞操観念の欠如と言われるのは承知の上で、自死された彼のお父様と同じことにならぬ様、 彼に寄り添い支え続けた10年でした。 彼は22歳の若さで、会計事務所の所長さんの強い勧めで、5歳年上のお得意様のお嬢さんと訳も分からぬまま結婚し、 私は私で、彼と出会うまでお付き合いをしたことが有りませんでした。 ですから、私達は初めて本当に心から愛し合える相手同士でした。 私達の間柄を知る周りの方々も、 私と付き合う前から、彼の口から奥さまについての苦悩を聞かされており、 世間では、ただただ愛人の側が悪いと言われるけれど、不倫不貞で片付けられない、お互いでないとダメだった強い絆で結ばれていた二人と感じて下さっていた様で、 皆さんがご焼香に行かれるとき、彼の家の中には勿論入れないが、家の外から手を合わせたらどうかと連れていって下さいました。 私には余命宣告を受けている母が一人いるだけですので、彼を亡くした今、この先路頭に迷う人生を思うと恐怖しか有りません。 また、こんな50過ぎのおばさんに、いつも沢山の愛情と安心を与え、大切にしてくれた彼を亡くし絶望で胸が苦しくなります。 誰にでも公平に思いやりを掛ける慈悲深い人でしたから、もうこの世で修行をする必要がないと、 神様が早々に連れていったのかも知れません。 私には霊感が無いため、彼がそばにいる気配すら感じません。 それにホーキング博士が唱える様に、魂もあの世も無いなら、死んでも会えないということになります。 もう死んでも会えないのかと思うと、母に心配を掛けたくないのに、泣けて泣けて、どうしようもなくなります。 人の道に外れた自業自得の人間が、助けを願うのはお門違いと思われるでしょうが、どうかお助けください。苦しくて苦しくて仕方ありません。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

弟が亡くなり混乱しています

昨年11月に弟が57歳で急逝しました。リウマチの痛みとの闘い、胃潰瘍、十二指腸潰瘍も患っており、死因は胃からの出血性ショックでした。私達夫婦の隣室で倒れる音に気づき、様子を見に行ったところ既に焦点が定まらず、救急搬送しましたが心肺停止の状態で、一時、心臓蘇生したものの二時間頑張り、息をひきとりました。弟は人との交わりを好まず、私達夫婦と息子ふたり、叔父、従兄で葬儀を営み見送りました。私達姉弟は、小学生の時に父を亡くしました、祖母と母との家庭で成長、私は結婚で実家を離れ、弟は祖母亡きあとも母と暮らしておりましたが葛藤を抱えた暮らしでした。怜悧で感受性が強く、優しいところもありながら社会のなかでよき部分を発揮することがなかなかできず、職場でも人間関係がうまく結べずしんどいながらも一回の転職で仕事を続けており、仕事に誇りも抱いていたようですが、10年前、母が亡くなったころ、事実上解雇のうなかたちで退職、その後起きた東日本大震災で傷んだ古い実家を畳み、私の家の一室で暮らすようになりました。シニカルなところがあり、私の中の家族とはざっくばらんとはいかないながらそれなりの距離感で過ごしていましたが、感覚の違い(特に私の夫)や、お酒を飲むと不穏な表情を現すことなど私にとっては正直、心痛むこともありました。 また、年数を重ねるほど、実家を処分したお金も目減りしていた様子で、なくなる半年ほどは困窮していたといってもおかしくありませんでした。プライドが高いところがあるので、援助も様子をみながら、障害者年金を数年前から勧め、拒んでいたのをようやく手続きはじめた矢先ありました。いなくなり、私自身、弟のことをかなり気にかけていたことに改めて気づきました。なんとか支えていこう、と思うことがある意味、支えだったのかもしれません。でも、亡くなるまでの期間、苦しい思いをさせていたのでは?拒まれてももっとはっきりとした例えば経済的な支援をしていれば、と悔やまれますし、ただただ寂しくてならず、気持ちが不安定で夫に対して感情を爆発させて怒らせてしまいました。でも、どう気持ちをおさめてよいのかわからないでいます。自分でも困惑しています。どうか、指針をいただけたらと思いご相談しました。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

おじいちゃんの死

4日前に大好きなおじいちゃんが亡くなりました。91才でした。 いつも笑顔で本当に優しかったおじいちゃん。 もう会えないことが寂しくて仕方ありません。 亡くなる前日病院に会いに行ったときはまだしっかり意識はあり、最後に見たのは私が病院から帰る時 「またの またこいのう」という優しい言葉と笑顔でした。その時直感で、これが最期かなという気がしたした。 悲しくて寂しくてふいに涙が溢れます。 そこで、いくつか教えて頂きたいことがあり、お応え頂けたら幸いです。 おじいちゃんの息子(私の伯父)は28才という若さで自死をしてしまいました。 優しい伯父でしたが、きっと色々なことがあり鬱から抜け出すことができなかったのだと思います。 母の弟なのですが詳しいことは聞けませんが、幼い子を残し旅立ちました。 私の伯父も天国にいるのでしょうか? そしておじいちゃんは伯父に会えますか? 私もこれから生き抜き、生涯を終えた時、またおじいちゃんに会えますか? 会えるのは一瞬ですか?一緒に過ごせたりしますか? 残された高齢のおばあちゃん一人の為に私が出来ることは何でしょうか? おじいちゃんが私へ伝えたいメッセージがあれば知りたいです。 沢山質問してごめんなさい。ひとつでも知りたくて、おじいちゃんとの繋がりを確信したいのです。 よろしくお願いします

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

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