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和顔愛語

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こんにちは。今3冊の仏教本を少しずつ読んでいて、今日は「ブッダ いのちの言葉(永岡書店)」の和顔愛語についてお訊きしたいと思います。災害のため今は特に深刻な相談が増えていると思うので、その後でお暇な時にお手すきの先生が教えてくださるとありがたいです。

愛語は慈悲を種子とする愛の心から起こるということですが、その逆 - 最初に慈悲の種子がなくても笑顔(和顔)と優しい言葉(愛語)で人に接していればいつかは愛の心が生まれる - はあるでしょうか。

和顔愛語の実践で心が行動に近づいていくかもしれないと思って、実践しています。優しい言葉を使うので表向きは環境が和やかになるのですが、実際に愛の心があるかというと、だめです....いまだに何も感じられません。
それでも優しくふるまって周りとうまくいってそれでよしならいいのだけど、実は、最近適性検査というテストを受けてある部分に極端に悪い結果が出てしまいました。内面がちゃんとわかってしまう場ではごまかしは効かなくて、愛の心(思いやり?)は学んで身に着けるものではないのかもしれません。私はないものを生まれさせようとしているのかな、と限界を感じます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心が行動に近づく。いいですね^^

人間が幸せを感じる瞬間とは

人から愛された
人から褒められた
人の役に立った
人から必要とされた

この4つにあります。

人は周囲の人たちとの関係性の中で生きています、自分だけが得をする生き方をしても、真の幸福感は得られないと仏教では説きます。
本当に幸せな生き方を望むなら、自分が得することばかりを考えずに、自分以外の誰かを幸せすするために生きることも必要なのです。
自利利他。ですね。

ただし、自分の利ばかりでもダメ、利他ばかりでもダメです。
どちらか一方にかたよることなく、バランス良く生きる。
これを「中道」と言います。
和願愛語は、そういう生き方を実践するためのひとつの教えです。

日常生活の中でそれを実践するのに、嘘か誠かはあまり関係ないように、私には思えます。
結局はあなたの心の中のことだから、誰にも解らないし、そもそも何を基準に境界線を引くのでしょう。
演技のの和願、演技の愛語、それでも、誰かを笑顔に出来たのなら、尊い行いだと言えるのでは?

LMさん自身のなかで心の葛藤があっても構わないんです。
そういった思いを抱えたままでもいいじゃないですか、人間、そんな完璧に割り切って生きている人なんていませんよきっと。

大切なのは、自分が行動したこと、しなかったことを、きちんと見つめて、考える時間をもつこと。
ひょっとすると「偽善だ」みたいに言う人も居るかもしれません。
けれど他人の意見はあまり気にしない方が良いです、参考程度に留めておけば。

禅の修行道場でも、日常底のあらゆる場面で細々と動作が決められていて、とにかく最初は理由もわからずそれらの動作をたたき込まれます。
毎日々々怒鳴られ続けて嫌になります(笑)
でも、1年、2年経つうちに、だんだんその動作の意味するところがわかってくるんですよ。
修行とは、動きの中で自ら気づくものなんですねw

LMさんの場合も同じ事ではないかな。
何が嘘で何が誠か、あまり難しく考えずに、あいまいなままでとりあえず実践を続けていれば、そのうちなにかが見えてくるかもしれませんよ。

あせることはありません、あいまいなまま、和願愛語な生き方を♪
そのうち心が行動に近づいてくることでしょう。

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おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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是の如く我聞けり

コレっすね、コレコレ!
https://hasunoha.jp/questions/20885

この和顔愛語の場合は愛の心(意識)を調えたいなら、まず和顔(身体)と愛語(言葉)を調えましょうということです。やっぱり鶏と卵形式で心が先に有ればあったなりに、無ければ無いなりにどちらも成り立つものでしょう。

例えばお坊さんは毎朝仏様に礼拝し、姿勢を正して座って読経します。やっぱり若いうちはとてもおっくうです。でも長いこと続けていると、だんだんやらない日があるとムズムズすると言いますか、何か足りないような感じで心が穏やかでいられなくなります。
でも風邪をこじらせたりしてしばらくやらないでいると、またおっくうになります。そんな感じです。

和顔愛語を続けていると、いずれまわりの人々が愛おしくてたまらなく心が湧いてくる…みたいに捉えると期待しすぎだろうと思います。私の感覚ではちょっとアヤシイ宗教っぽいです(笑)
でも少なくとも誰かに優しく接しなかった時にムズムズしたり、後になって反省するようになるでしょう。
その時、自覚するとしないとに関わらず、優しくふるまう癖があなたに付いているのです。

まぁ、いずれにせよ習慣とか癖の話ですからね。時間をかけてじっくりコトコト煮込みましょう。
成果主義にすれば良いってモンでもありませんし。

ところで、前回のご質問へ追伸でお気遣いいただきありがとうございます。隣県のお寺からウチの県に応援が来てくださることになりましたし、できる範囲でぼちぼちやっていきます。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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慈悲の瞑想をやってみては

日本テーラワーダ仏教協会のホームページに、慈悲の瞑想のやり方が載っています。
慈悲に関する言葉を心の中で念じる(口で唱えてもよい)瞑想法です。
やってみてはどうでしょうか。
今までよりは少し、慈悲に関する理解が深まるかもしれません。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

林 造道先生、ありがとうございます。おかげさまで気が楽になりました。

実は、テストですべての質問に本心と全然違うことを答えていると結果に出てしまって、書面にされるとさすがに気に留めないではいられなくなって今回深く考えてしまったんです – 嘘を見抜く質問を隠してところどころにちりばめてるほうがむしろ腹黒だと思うんだけど(笑)

でも、もう大丈夫です。 あまり大いに悲しんだり同情したりする気持ちになることがなくて、でもそういう場面ではそれらしく振舞ってきたのですが、何だか疲れたというかこれでいいのかなあ....と時々思っていました。今すぐ本当にそう思うようになれなくてもいいんだと思えば気が楽です。
愛語の実践で周りの人達が良い雰囲気になったのは確かだし、形から入って気持ちが後でついていくということもあると思います。とりあえず、実践続けてみますね。

大慈先生、いつもありがとうございます。

形から入るというのは仏教以外のお話で聞いたことだから、今回の場合でも適用されるかよくわからないでやっていたけれど、効くのですね。愛語を始めたら少なくとも周りが和むようになったし、これが習慣のようになって私の心のあり様も整っていくといいと思います。

学生時代の大慈先生の鬱経験の記事から、先生は投げ出せない性質のようだから被災地でも無理をなさっていないか少し心配でした。応援が来てくれるのなら、よかったです。

追伸
図解ブッダの教え、本当に図解でわかりやすいですね。良い本を紹介してくださってありがとうございます。

願誉浄史先生、ありがとうございます。

最初は私の幸せを祈って、それから私の親しい存在、最後には生き物全体の幸せを願うように広げていきます。
慈悲は仏教の最大の特徴だと思います。本を読んで深く考えてきましたが、実際に経験してみないとなかなかわからないものですね。

前に帰省した時に、台所が狭くて私は流し場のへりにまな板を乗せて野菜を切っていたのですが、その時弟も実家に帰っていて「お姉ちゃん、それ危ないよ。俺前にそうやっててまな板ひっくり返して指切ったことあるから」と言って周りを片付けてまな板を置く場所を作ってくれました。今まで周りには人を傷つける為に画びょうを仕掛けておくような日本人達がたくさんあって思いやりといってもぴんとこなかったけれど、けがをしたら痛いだろうなと思って忠告してくれた弟の気持ち - 家族に対するものだから小さな規模の慈悲かな – が思いやりなんだな、と気がつきました。私もそんな心を持てるといいと思います。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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