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死について漠然とした不安があります

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有り難し有り難し 13

 またまた質問よろしくお願いします。
死について漠然とした不安があります。

最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。
ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。
ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。

ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。
同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。

両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。
東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。
自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。

外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。
妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。

今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。
これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。
死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。

これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。

別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。
それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。
と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。

自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。
死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか?

20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死の不安抱えたまんまでも大丈夫なんですよ…

 どうあっても死は避けられません。皆が死にます…究極の平等です。あなただけが死ぬのではありません…だからまず安心なさって下さい。
 死は怖がっていても、必ず自分に訪れます。
 だから死ぬときには死ぬしかない…死ぬのがよいのです(そのように良寛和尚さまがおっしゃっています)。死を受け入れるということです。
 死を受け入れる為に大切なことは、「生ききる」ということです。生ききったら死にきれるのです。思い残すことなくなれば、死んでいけるのです…もちろんそれでも、自ら死を迎える場ではさらに生きたい思いはあるでしょうが、生き切っていない、やり残したことだらけよりはずっと落ち着いて死を迎えられることでしょう。そんなふうに、頂いた今の命を精一杯生ききりましょう。やることをちゃんと毎日致しましょう…結局そのことに尽きるのです。
 でも、まだ不安だ。ちゃんと生ききる自信がない…ならば、どうぞ仏様を頼みとなさって下さい。
 浄土真宗の阿弥陀という仏様は、私を必ず仏と仕上げてくださるのです。
 そのことをしっかり頂けたなら、この身は死で終わらないのだと受け取れるのです。永遠のいのちの仏に、悩み苦しみ無い悟りの仏のいのちを頂くのだと味わえます。
 そうしたら我がいのちにとって死は最後の最後、終着点でなく、仏のいのちとならせて頂く通過点であり、入口となっていきます。自分にとっての死の意味が変わってくるのです。
 どうか、既にあなたの不安を見抜いた上で、あなたを必ず仏と成らしめるとお誓いくださっていらっしゃる仏様が存在していることを頂いて下さい。
 あなたの死の不安はなくならなくても良いのです…不安を抱えたまんまのあなたを抱きとり、支え続けてくださる仏様が今あなたに御一緒下さっています。 
 

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有り難し
おきもち

生まれることと変わりない

人は生まれたときのことはわかりません。いつ自分が生まれたのか。生命の誕生はいったいいつなのか。死ぬってそんなことなんでしょう。生まれたことがわからないように、死んだ後に死んだとはわからないのでしょう。
死ぬのが怖いと言っている人は、死ぬ前に苦しむことではないでしょうか。苦しみたくないと思っている。それだけでしょう。

「生まれてきて死ななかった人はいません」このことを私は小学生の時に師匠から聞かされ、とてもショックを受けました。しかし、ショックなことではなく当たり前のことだと今は思っています。いつ死んでもおかしくないのが人生。生命とはそういうものなのでしょう。だからこそ生きているうちに真理を見極め、苦しみからの解脱をしたいと願うのでしょう。

あの世とかいうことは私にはわかりません。死んでませんから。死んで戻ってきた人もいませんし。ただ間違えなくいえることは、もっと大きな命の働きの中で、私たちは法によって生きているのです。仏道修行を通して、自分の存在を見極めてください。
あ。こんなことか。想像の世界とは全く違うとってもリアルなことなんだ。と気づくはずです。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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