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恋愛と結婚。相手の選び方。

回答数回答 3
有り難し有り難し 68

今、二人の男性の間で心が揺れ動いています。
一人は同じ職場の男性。好意を持たれています。
私自身もその方に好意を持っています。
この2ヵ月ほど、正式に付き合っているというわけではないのですが、デートを重ねています。
私の返答次第で近い将来に結婚という方向へ向かっていくのだと思います。

一月ほど前、親類より縁談が持ち込まれました。
もう一人の男性です。遠い親戚筋で数年前に顔を合わせたことはあります。
ご両親とも顔見知りです。寺へ嫁ぐことになります。

お二人には大変申し訳ないことですが、誰を選ぶかを私に委ねられている状態です。
感情では職場の男性を選びたいです。将来、子どもを囲んだ家族の形が想像できます。
ただ、私は仕事を続けざるを得ないと思います。今の仕事を続けるのはしんどいです。
仕事を続けながらの子育てに不安もあります。
もう一方では、仕事を辞め、寺へ嫁ぐことに魅力を感じています。
子育ての環境としては理想だと思っています。寺族として暮らしていきたい気持ちもあります。
強くは言われませんが、父もこの縁談をすすめたいようです。

縁談が数ヶ月早ければ迷いはなかっただろうと思います。相手次第ではありますが。
理性をとるか感情をとるか、家へ嫁ぐのか人と添うのか…
考えすぎて自分がどうしたいのかよくわからなくなってしまいました。
答えは自分で出すものですが、相談にのっていただきたく…よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「自分」を離れた心であれば、好意は自然に生まれる。

どっちも一旦捨てましょう。選択肢が狭すぎだからです。
ぶっちゃけ、その前に、まず自分の都合でお寺に入ろうとしちゃいけません。(^<^)
自分が子育てが楽そうだから、という理由でお寺に入られると、バチ当たります。
お金が儲かるから大臣やる、というのと同じ理屈。
そういう姿勢でいるのは仏教的ではないでしょ?分かりますよね。
これは仏教業界側の意見ですが、お寺の奧様ポジションにふさわしい人とは、そのお寺の活動を支えたい、もっと自分の欲や都合を離れる活動を広めたいという人の方が入るのがふさわしでしょう。
いきなり厳しいですが、そこは、言っとかないとお寺を食い物にする人も増えてきていますのでツンツンしときます。仮にお寺に入ったとしても一生忘れないでください。
ちょっと違う角度から申し上げますと、別にその二人じゃなくていいと思います。
その仕事がきついなら職場も他にした方がいいです。
人はアイドルにもアーティストにも共感者に恋をします。
あなたがその人に好意を抱いている段階であるとしても、必ずまたいつか他の人にも好意を持つことはできます。
「こうだ」「こうすべきだ」という決まり自体がもともと無いことに気づいてください。
仏教とは、自分の我欲や都合を離れる道です。
自分の我欲や都合を離れる道こそが仏教であり、人生において一番大切なことです。
それが無ければ誰と結婚してもあなたが幸せになれないから申し上げるのです。
二人の心に揺れるもいいですが、まず自らが我欲・欲得の心・自分を中心とした生き方に向き合い、その心との清廉潔白な付き合いをするべきです。
厳しいようだけど、ごめんなさいね。他じゃ言っちゃくれませんよ。
こういう愛もあるという事です。( ˘ω˘ )おっと、おじょーちゃん、俺にホレちゃいけないぜ?(惚れるかっつの)結論:この問題は「あなたが自分を離れるべきこと」の重要性を教えてくれているのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

条件で選ぶのはやめたほうがいい

お寺の生活も楽ではないです。
旦那様との信頼関係が何より大切です。旦那様を心から支えたいと思えるか。旦那様のために生きていきたいと思えるかどうか。子供が生まれたら旦那様と共に子供を育てようと思えるか。
互いにそのように心から思えなければ、いくら条件が良くても、難しいでしょう。
よく考えその人自身を見て、決めてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

結婚は情に流されず、理で選ぶべきかと。

同じ職場の方を選べば、
実際の結婚生活に不安があるのですね。

また、じょーちゃん様は御実家がお寺ですから、
もう一人の僧侶との結婚生活も想像できるのですね。

条件だけで見れば、
お寺に入った方が良いのでしょうが、
そこまで御自身の気持ちが盛り上がるのかどうか?
その僧侶の方と何回かデートしてみて、
それから決めても遅くはないと思います。

ただ、どちらを選んでも、
別の方を選べば良かったと思うことはあるでしょうね。

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 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

質問者からのお礼

皆様ご回答ありがとうございました。
未だ答えは出てませんが、いつまでも引っ張れないとも思い悩んでいます。
一歩、自分から引いてみつつ、しっかり自分自身とも相手とも向き合って答えを出したいと思います。

きっとこんなモテ期は人生最初で最後。楽しみつつ、もう一方を選んでいたら・・・と思うことはあっても後悔しないようしっかり悩みたいと思います。
ありがとうございます。

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