hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死ぬのが怖い

回答数回答 4
有り難し有り難し 54

死ぬのが怖いです。

死んで無になってしまったら(心は脳の電気信号の産物だと思っているので)、今まではなんだったのか、「私」とはなんだったのか、と思い途方にくれています。
無理とわかっていても、どうしても死にたくないです

今をがんばって生きたいのに、その事ばかりが頭をぐるぐる回って、集中できない、体に力が入らない、お腹がいたい、寝付きが悪いなどの症状に苦しんでいます。

ちょっとしたパニックになっていて、もうどうしていいかわかりません。

どうしたらよいでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いろんな意見を聞かれてみれば。

死んで無になるなら楽です。
でも、そうではないとなれば、どのように考えますか。

どのように今、生きるかが大切で、亡くなって(肉体が消滅して)からのことは考えなくてもいいのはないでしょうか。
ごんさんの言われる「私」の存在は、残るか残らないかも、今、心配しても仕方ないと思います。だってごんさんは死んだら無になると言われているのですから。

でも、様々な意見があってもいいと思いますので、私は死んで無になるとは思っていません。
だから、そのような生き方もあると生きています。

{{count}}
有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
このお坊さんを応援する

自分の生き方として、死をどうとらえていくか

こんばんは。亀山純史と申します。
死後の世界について、科学的には解明され得ないものだと思います。世の中には生まれ変わりの話がありますが、みんなが生まれ変わっているのかどうかは、誰にも分りません。臨死体験の報告も数多くなされていますが、臨死体験は字のごとく、死に臨んだ体験であって、死そのものを体験したわけではないのです。ですので、科学的に解明されることは難しいことではないかと思っています。しかし、万一、科学的に解明される時が来たとしても、私たちがどう死を迎えるべきか、ということは、科学で解決されるものではありません。これは今、私たちがこの世でどう生きていくか、ということに関して、それを担ってくれるのは宗教や哲学であって、科学ではないのと同じです。したがって、「どう生きていくべきか」という宗教や哲学の領域において、「どう死をとらえていくか」ということが大切なのでしょう。参考までに、私自身のとらえ方を簡単に書いておきます。

この世には私を救ってくれる大きな働きがあり、仏教ではそれを仏さまと呼んでいます。その仏さまの働きはこの世だけに限定されるものではありません。その働きはあの世にも及んでいます。ですので、あの世でも、仏さまと一緒にいることが出来ると思っています。

以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

死ねば無になるのか

質問読ませていただきました。

死とは誰にでも平等に訪れますが、やはり怖いモノです・・・

さて、仏教的には死んでも無になりません。
自分が仮に受けた、人間の形をした器は自然に戻り無くなりますが、魂は消えません。
自分が人間の姿でやったしこ、次の世で新たな命を受けるのです。

過去世(前世)があって、それが原因で現世(今の命)があり、現世の行いで来世(次の命)が決まるというのが、仏教の基本的な考え方です。

ですので、来世に良い命を受けるためには、今を頑張らなければなりません。
逆に、今何もできないのであれば、来世でどのような命を受けるかは想像に難くないでしょう。

まずは、死というモノを無条件に恐れるのではなく、死ぬとはどういうことか、死んだらどうなるのか、これを一度じっくり考えてみてもいいのではないでしょうか?

さらに、世間的な観点から申し上げたいと思います。
死んだ人に意味を与えるのは、残された者の意思だと私は思っています。
残された者が「あの人は素晴らしかった」と思ってくれるなら、その人の人生にはたくさんの意味があったのではないでしょうか。

死んだら形としては失われます。しかし、形無きモノとして残っていくのです。

その点から考えても、死ぬのが怖いから何もできないのであれば、残された者はごんさんのことを覚えていないかもしれません。

今を頑張った人が、たくさんの方の記憶に残っていくのだと私は思っています。

死を恐れるのではなく、死と前向きに向き合って下さい。
そして、その上で自分は今何をすべきかを見つけていければ、ごんさんの人生は必ず輝いたものになると信じております!

{{count}}
有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
このお坊さんを応援する

不安ですよねぇ

 御質問頂き有難うございます。やはり死という事はお坊さんにとっても避ける事は出来ないものです。死の事を考えるよりも、生きている中で、少しでも役立つ事を考えて生活を送る様にすると心が変わるのではないでしょうか。お寺に足を運ばれて話しを聴く事も良いかと思います。
合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

【鈴木海祥さま】
コメントありがとうございます。
少し頭の靄が晴れたような気がします。
死後のことはできるだけ考えないようにしたいと思います。
アドバイス頂いたように色々なひとのはなしを聞いてみます

【亀山純史さま】
こんばんは。コメントありがとうございます。
たしかにおっしゃるように、死に対しての姿勢は科学的に解決するものではありませんよね。人間が認知できるものには限界がある。コメントを拝見して、知りもしない死後について悲観的になりすぎたかもしれない、と思い直しました。
思い詰めすぎて、体に不調を来していたので、もっといきることに集中したいと思います。

【堅田正樹さま】
ご回答ありがとうございます。
おっしゃるように、今生きているの先に未来があるのだから今を大事にするべきですよね。
今がおざなりになっていたので、現在と自分をもっと大事にしたいな、と思いました。
ありがとうございます。

【誠海さま】
ご回答ありがとうございます。
コメントをいただいてから、色々と考えました。来世があるにせよ今生一度きりしかないにせよ思いっきり生きた方がいいなぁと思いました。
まだまだ体調は回復せずほぼ寝たきりですが、頑張りたいなぁと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ