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ブッダの生き方について

回答数回答 5
有り難し有り難し 94

知識がないのでもし勘違いがあれば訂正して下さい。また仏教に悪意があるわけでもなく単純な疑問なので教えてください。

仏教の開祖であるブッダはある時妻子を捨てて、真理を探究する旅に出て苦難の末悟りを開いたのだと思いますが、出家して出て行ったブッダには妻や子がいたかと思います。現代的にはある意味妻子を放り出して勝手に出て行った感じだと思うのですが、そう言う方を開祖とする仏教という宗教が、「家族や祖先や人との縁を大事にしなさい」言うのになんとなくもやっとします。簡単に言うとやってることと言ってること違う?みたいな感じです。

仏教の教えを学んだお坊さまはそのようなことを疑問に思ったりしませんでしたか?それとも家族である妻子を放り出しても良いくらいの価値がある教えを見つけた人だからそれくらいは許されるとお思いでしょうか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ただのドラマです

おっしゃる通りです。そもそもブッダ伝がアヤシイんです。
例えば息子のラーフラ。ブッダが「出家の障碍」という意味でつけたと言われますね。でも経典によっては「釈迦族の守り神である龍神(ナーガ)」にちなむ名で、その名付けを聞いてブッダの父王が喜んだと書かれているそうです

個人的には「農耕にちなむ名前」だと考えています。父王の名前はシュッドーダナで「浄飯王」。ブッダの俗名はゴータマ・シッダールタで「最も優れた牛」。どちらも農耕に関わる名前です。
その流れでラーフラを読むと、龍神は川を象徴します。つまり灌漑に関わる名であり、やはり農耕由来と読めます。太古の身分は農業と関わりが強いですから説得力ありますでしょう?

これだけでブッダ伝がアヤシイことがお分かりいただけると思います。まぁ、色んな話があるという話で、嘘だというわけではありませんけどね。

よく言われるブッダ伝では家族を捨てたことだけクローズアップされていますが、悟ってから家族のところに戻って一族ゴッソリ弟子にしたことはほぼスルーです。もちろん妻も子も養母も弟子にしています。
実は原始仏教だけでなく今の南方の上座部仏教でも、出家しても『家族と縁は切らない』んです。

むしろ妻や母、娘が施主となって出家を支援するのが南方では通例です。スキンシップはありませんが会話できます。ある程度修行が進んでからは家族に法話をすることが最大の名誉でさえあります。その際に家に招かれて食事の供養を受けるのもオッケーです。

なのに日本人は『出家修行=家族と縁を切ること』と思い込んでいる。その発想はただの『家族差別』です。「一切衆生を救う」と言いつつ家族だけ近付いたらいけないのは頭悪いです。たぶん某漫画の読みすぎ由来です。
もっとさかのぼれば日本の仏教学が仏教を正確に理解するためではなく、「我が国にもキリスト教と同じような宗教がありますよ!文明国ですよ!」とアピールするために生まれた点に要注意です。武士道⇆騎士道と同じです。だからキリスト教の修道院や騎士団のような禁欲主義でデフォルメしちゃったんですね。実際、お釈迦さまは子がいたのに「お坊さんは童貞or処女じゃないとナマグサ!」と思っている日本人がそこそこの割合でいます。

字数制限で書ききれませんが『四住期』の制度上問題ない出家でしたし、実際は単身赴任くらいの感覚だったろうと思っています。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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王家の跡取りを生んだから出家できた

当時のインドの価値観と現代日本の価値観を単純に比較はできないでしょう。
もしかしたら、当時は、老後に出家したり修行するのは、普通だったのかもしれません。
お釈迦様は少々「老後」が早かった(早期退職)のですが。
お釈迦様は、王家の跡取りを生むという最低限の責務を果たしたから、出家に踏み切れたのかもしれません。
まぁ、結果的にはその息子も出家しちゃうんですが。
結果論ですが、ブッダは家族と和解していますから、ハッピーエンドです。
また、お釈迦様は出家したと言っても、父王が派遣した5人の出家仲間が一緒だったので、消息不明になっていたわけではありません。
家族(お城の人々)は、お釈迦様がどこで修行しているかを把握されていたのではないでしょうか。
また、王家なので、お釈迦様が出家しても妻子の生活に支障はなかったのです。

お釈迦様は、世俗の生活(娯楽、結婚、子供)を一通り経験されています。
だからこそ、お釈迦様の教えには説得力があるのかもしれません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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悟りを開いて気づかれた

お釈迦様は、自分の悩み疑問を抱えたままでは家族を幸せにできないと思ったのでしょう。自分が救われることは人を救うことになる。
お釈迦様は悟りを開かれて、初めから妻子を捨てる必要すらなかったことにも気づかれたのでしょう。

自他がないから自分だけという考えでなく、躊躇なく人のため、家族のためにも慈しみの心で接することができるのです。そこに家族とかいう境も作らなかったから、多くの人々に救いの道を示されたのでしょう。

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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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お釈迦様は、出家して悟ったのです。

こんばんは。亀山純史と申します。

私の個人的な見解ですが、回答させていただきます。(まぁ、hasunohaへの回答はいつも個人的な回答であり、今回に限ったことではないのですが…)

お釈迦様は出家をして悟ることが出来たのです。出家しなければ、お釈迦様は私たちにこの世の真理をお示しになることは出来なかったのです。はじめからお釈迦様に真理が示されていたわけではないのです。つまり、真理がお釈迦様の出家に先立って示されており、それに向かってお釈迦様は突き進もうとしたのではない、ということです。このようなことは、私たちも経験することではないでしょうか。たとえば、親元から離れて生活をしたいと思い家を出て初めて、親の有り難味がわかる、といった経験ですね。親の有り難味がはじめからわかっていて、それを実感するために家を出て生活をするわけではないのです。あるいは、薬物中毒者だった人が、薬物の恐ろしさを訴え、講演会等を行っている場合などですね。もしも、やってることと言っていることが違う、となれば、薬物の恐ろしさを訴えているのに、なんで薬物なんかやったんだ、ということになってしまうわけです。

以上が私からの回答になります。ご参考になれば幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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悟りを得るには

拝読させて頂きました。
なるほど、あなたのおっしゃることよくわかりますね。そうですね。家族を捨てて自分の求めることをすることは一見ひとでなしですからね。我欲のワガママな行いですからね。あなたのご意見私もそう思うところもあります。

とはいえお釈迦様が自分の持っているもの心や体以外の全てをなげうって王国や社会を捨てて道や真理を求めなければお釈迦様は悟りの境地に至ることはできなかったのではないでしょうか?
今ある安定した生活や環境や条件を捨てなければ本当に大切なものは見えなかったのかもしれません。

私はお釈迦様や仏様ではありませんからあくまで想像でしか言えませんけれども、様々な要素や余計なものがまとわりついていると真っ直ぐに純粋にものごとを見つめて考えることはなかなか出来ないのではないかと思います。

人は与えられている財力や権力があるとそのことにとらわれてしまって正しい見方ができなくなってしまうのではないでしょうか?
或いはとらわれることによって逆に自分自身を見失ってしまうこともあるのではないでしょうか?
この世の中にあるものはお釈迦様のおっしゃる通りあくまで仮の姿であり常に移り変わりゆくものばかりですからね。

そうした場合やはりものごとにとらわれず執着せずにありのままを見て聞いて受け入れていく為にはあらゆるものを捨て去ることは正しい道なのかとも思います。

ですから出家つまり世捨て人という生き方があるのですからね。

そう思うと私達僧侶つまり出家者の今のあり方生き方について考えさせられますね。

自分が本当に出家者つまり世捨て人かと言うとそうではないと思うことしきりですね。

やはり初心に戻って仏様のみおしえを求める出家者の生き方を志していきたいと思います。

あなたのこのようなご質問心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

あなたに御仏のご縁が恵まれて正しいみおしえがもたらされて心豊かにご生活なさってくださいますようにと心より仏様にお祈り申し上げます。
至心合掌

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご回答をいただいましたみなさま、つまらない質問にこんなにたくさんの真摯に丁寧なお返事をいただけたことを本当にありがたく思っております。日々迷いながら生きて行く私たちに寄り添ってお答えいただけけることを本当にありがたく思っております。どうかこれからもこのハスノハ様が続きますように微力ながらお気持ちなどで応援させて下さい。よろしくお願いいたします。

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