お坊さんからの回答 4件
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【根治】根本から完全に治ること
たとえば、お医者さんは治療を始める前に、
まず、患者の症状はどういうものなのかをしっかり把握します。
次に、検査をするなど、その症状の原因をつきとめます。
次に、どんな薬が効くのかを検討し、治療方針を定めます。
最後に、患者に薬を処方し、用法や用量を指導します。
正しい服薬、正しい養生の末、患者はついに回復します。
これを仏教では【四諦八正道】といい、【解脱】つまり”苦しみの抜けた状態”に至るまでの道筋です。
”自分はまだ苦しんでいるのかいないのか、よく分かりません”
そうでしょうね。
実際の病気と一緒で、自覚症状がないのが一番怖ろしいものです。だから、時々健康診断をして早期発見・早期治療を目指すわけです。人生もこれと一緒で、痛くも痒くもない状態の時ほど、じつは崖っぷちに立たされているという自覚は湧きません。これはある意味、どれだけ苦しいのかわからないほど苦しんでいるとも言えます。
だから日頃から教えに自分を照らし当てて、人生の上で取り返しのつかない大失敗をせぬよう早期発見・早期治療に心がけるのがよろしいかと思います。
こんにちは。
まず仏教でいう「苦」とは、「思い通りにならない事」をいいます。生まれも老いも病気も死も、自分で思い通りにいかないもんね。その苦からは「抜ける」事はできません。仏教は、「苦」を「滅」する教えです。「滅」とは消し去る事ではなく、コントロールする事をいいます。
思い通りにならない事に対し、気持ちにどう決着をつけ、自分の制御下におくか、という事だと思います。どう?できてそう?それをうまくやる近道が仏教の教えです。
「三苦」
とうふ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「苦しみ」には、大きく分けて三つあり、「苦苦」、「壊苦」、「行苦」として、
「苦苦」は、主には、外的な要素による五感における苦しみ。
「壊苦」は、私たちにとって好ましい、楽しい、楽なモノゴトもやがては壊れてゆくことによっての苦しみ。
「行苦」は、上記二苦の根本的な苦しみとして、全てが無常によって変化してゆくことが受け入れられないことによる苦しみとして、実体(自性)として成立しているものが何らとしてないことを受け入れられていないことによる苦しみとも言えます。
これら三苦は、「無明」(根本的な無知)を原因として生ずるところとなっているため、苦しみの親分であるその「無明」を、仏道(智慧と福徳の二資糧の集積)により対治することで、解脱(悟り)を目指したいものとなります。
川口英俊 合掌
毎日が幸せ
私は、悟ってるわけでも、煩悩(悩み苦しみの原因)を滅し尽くしたわけでもないですが、
普通に暮らしている毎日が、幸せです。
仏教のおかげで、自分の煩悩に気付くのは、他人よりは速いかもしれません。
煩悩に気付くと煩悩の働きが弱まります。
たとえば、怒りに気付くと怒りは弱まりますから、ストレスが数秒で減ります。
そのような仏教的なコツとかもありますが、
とにかく毎日が、不思議なくらい幸せです。
何気ない日常に、幸せを感じましょう。