hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きる意味ってなんでしょうか

回答数回答 4
有り難し有り難し 60

お坊さん

生きる意味が分からないひとは多くいると思いますが、それでも生きてる理由はなんでしょうか。美味しいものが食べられる、とか好きな友達と遊ぶ、とか趣味が好きで好きでたまらないとか、なにもない場合のひとはどうしたら生きる意味を見いだせるのでしょうか。

人生は長く、とても走りきる自信がありません。なにかをするよりも、なにもしないでいるのが楽です。でもなにもしないでいるのが好きという訳でなく、この世に生きていなくちゃならないなら、なにもしないでいるのが良いというだけです。

他のひとにもこうした時期はあるとしたら、どうやって克服したのでしょうか。死ぬ以外の選択を、どのように見つけたのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の泥を泥水で洗っても綺麗にはならない

楽しいことがないなら、本当のことを求めるべきです。
アナタのように、迷って苦しんだ人はみんな仏教にちゃんとした答えを見出しました。
「言葉や理由は事実の後からつけるもの」
生きるとは、考えではなくリアルな、ダイレクトな、生き血の通った暖かい真実を実感することです。生きる理由なんぞは、生きていれば後からいくらでもつけられるもの。
それよりも理由付けの前に、今もこうして生きているでしょう?
あなたが呼吸することに何か、理由が必要でしょうか。
自分の考えやはからいを超えたところで、命は呼吸して、心臓が動いていますでしょう?
理由を付け加える前に、それがダイレクトな真実。
たった今も理由なしに「生きている」という真実があるでしょう?
「人は何の為に生きている」→「しあわせになるため」「生きがいを見つけるため」「そのこたえをみつけるため」etc… ←失礼ですがこういう理由で本当に納得できますか?
どんなにかっこいい理由をつけようがつけまいが、現に今、生きているじゃないですか。
理由付けという世界は、どこまで行ってもリクツに過ぎない、二の次であるということが、あなたの心臓、呼吸が実証してくれている。
あるところに、「死にたい、死にたい」と言っていた人が、ガスを部屋に充満させて、最後に煙草を一本つけようとしたのだそうです。ドカーン!!!
彼が救急車の中で口にした言葉は「…死ぬかと思った」だそうです。
死のうと思ってたことなんか吹っ飛んで、頭はチリチリでドリフ状態、救急車の中です。
彼は死にたかったはずですが、そんな理屈が吹っ飛んでしまうくらいの事実に出会って、理屈じゃない世界でピーポーピーポーです。
人は先に理由を求めようとするから、迷うのです。
私も、学生時代は、理由ばっかり求めていました。
しかし、どんな理由付けも、表現も、その時、その場所、その状況下だけしか機能しない空虚なものでしかなかった。ですから私は哲学することや、考えることの実の無さを痛感して禅に真実を求めました。
おかげで現にこうして、ぴんぴんして毎日楽しく生きています。
マァ、理屈はもういいでしょう。
あなたには誰かに聞いてもらいたいことがあるはずです。
私も直接、お伝えしたいことがありますので坐禅会でぶつけてみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

焦らず、けれど懸命に

すもももさま。
質問が続いていますが、それだけ悩みが深いということでしょうか。

ほぼ同じタイトルの質問が過去にありました。よろしかったら、まずはご一読下さい。
「人間は何のために生きるのか」
http://hasunoha.jp/questions/36

美味しいものを食べるとか、友達と遊ぶとか、趣味とか、それも大事なことですが、人生の大切な目的としては不十分な気がします。

私は、仏教が好きです。そして自分が好きな仏教を人に伝えたいと思っています。
お坊さんの道に進み始めたのは、今のすもももさんと同じ25歳ぐらいでした。そして上記のような気持ちになれたのは30歳ぐらいの頃だったと思います。
これは私にとって幸運なことで、お坊さんになっていなかったら自分にはこれほど打ち込める道が見つかっていたか、自信がありません。

すもももさん。自分の進む道が10代で見つかる幸せな方もいます。でも50代でも60代でも70代でも、それを見つけることが出来ると思うのです。
早く見出したいという気持ちが強いでしょうが、焦らないで下さい。

そして真逆のことを言いますが、仏教では無常を説きます。「人生は長く」と書かれていますが、すもももさんが平成26年を迎える保証も、明日目覚める保証もありません。そう思えば、1日1日を大切に懸命に過ごせるのではないでしょうか。

きっと道は見つかります。焦らずに、でもその日のために懸命に、日々をお過ごし下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

みんな悩んで大きくなった。

こんばんは。
悩みは尽きませんね…。
私とて同じですよ。
自問自答の繰り返し、僧籍に入ったことも、
本当に良かったのかどうか、
この歳になっても立ち止まってしまうことがあります。

もう40年近く前、私がまだ小学生だった頃、
サントリーウイスキーのCMでこんなのがありました。
作家の野坂昭如さんが歌ってました。

   ニンニンニーチェかサルトルか
   ソッソッソクラテスかプラトンか
   みーんな悩んで大きくなった

   大きいよ~
   大物よ~

   俺もお前も大物だーッ!

なんか、ふざけた歌なんですけど、クラスで流行ってて、
意味も分からず男子は歌ってました。
私もその一人です(笑)

この歌の文句の中に、釈尊も挿入してみると、
うん、全然違和感がないですね。

生きる意味とは、生きていること自体に意味がある、
ということだと思います。
25歳の貴女にはまだまだ先が長い。
だから走りきる自信がない…と思ってしまうし立ち止まってしまう。

立ち止まってしまうと焦り出す。
こんなことで良いのだろうか…と。

いいのです。
焦る必要もありません。
何故かというと、先が長いからです。
ちょっとくらい、時間の無駄遣いしたってバチは当たりませんよ(^^)。

四十路も後半の私でさえ、スローモードです。
家人はそこにイライラするみたいですが(苦笑)。

「WALKING TOUR」ってご存知ですか?
私、8年くらい前に見つけたのですが、今も時々眺めています。
BGMがとても心地よかったりする。
人の一生って?ということを考えさせてくれます。
ちょっと覗いてみて下さい♪♪

http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6468

我が親鸞がこんな言葉も言ってます。

  酒はこれ忘憂の名あり、
  これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし。
  
  酒には“憂いを忘れる”という別名がある。
  これを少しばかり酌み交わして、互いに笑えば慰めにもなろう…

こんな感じの意味合いですが、だいぶこの言葉には救われたなあ…(´ー`)
くれぐれも深酒はいけませんが(笑)。

http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/60806985.html

如何ですか?(^_^)
気楽に参りましょう…。

{{count}}
有り難し
おきもち

モットー 「寺は心に溜まったゴミを捨てに来る所」。回答数は決して多くありま...
このお坊さんを応援する

「縁」を大切に

すももも様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生きる意味」・・これまでも下記のように13問答におきまして拙生もお答えをさせて頂いて参りました。

http://hasunoha.jp/questions?tag=生きる意味

正直に申しますと難題であり、また、多様な答えがあって当然で、更には、これが絶対に正しいと言えるような答えの出せない質問でございます。

ただ、問い「生きていく意味」 http://hasunoha.jp/questions/93 にても「もし、生きる意味があるならば、生きる意味がない」として拙回答させて頂いておりますが、とにかく「生きる意味」も「縁」によって色々と生じるものです。ですので、意味は「有る」と言えばあります。

いいですか、一応「有る」のです。「無い」わけではありません。しかし、それもまた様々な「縁」によって変化していくものでしかなく、捉えて、執着できるようなものではありません。つまり、永久永遠なる「実体」としては無いのであります。「実体」は「無い」と言っても、「全く無い」というのではありません。一応「有る」のはあります。

さて、すももも様も一人で生きているわけではなくて、無数の「縁」によって生かされて存在することができています。その無数の「縁」を大切にする中で、きっと自分に相応しい「生きる意味」がそのうちにおぼろげながらにでも見つかる、分かってくるのではないかとは存じます。あまり真剣に躍起になって探そう、見つけようとして考えて見い出せるものではないかとも存じております。

あまり、「生きる意味」が有るのか無いのかと悩むよりも、日々の「縁」をいかに大切にしていくことができるかをお考え賜れましたら良いのではないかとは存じます。

「何もしたくない」という時期は拙生にもございました。真剣に「無帰論」なる論立てを行って標榜していた時期がございました。しかし、仏教を更に深く学び進める中で、これは明らかな間違いであると気付くことができました。

もし宜しければ、少しずつでもこの機会から仏教を学ばれていくことで、抜け出せていけることもあるかとは存じております。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

たくさんのお答えを頂き、ひとつひとつをしっかりと受け取り、励みにして参ります。本日たまたま、お世話になった人と会う機会があり、これから何を大事にして生きていくのか、数年後どうなっていたいかを聞かれましたが、すぐに答えられませんでした。お坊さんのおっしゃるように、ロジックに生きるのではなく、もっと感覚的な世界を知ったほうが良いのではないかとも指摘を受けました。これまでの生き方を変えることも、違うかも知れないと思いながら続けることもそれぞれに覚悟がいりますが、理屈だけに囚われず、かといって安易に答えを出そうとせず、もう少し、生きることについてちゃんと向き合っていきたいと思います。また関連した質問をするかもしれません。どうもありがとうございました。

「生きる意味」問答一覧

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

行き着くところは皆同じ

ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。 生きることは愛である。と教えてもらいました。 その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。 話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。 この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。 行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。 たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。 まだうまく理解はできていないのですが、 生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。 そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。 天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。 でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。 恩師の言葉で印象に残っているのは、 この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。 人によって考え方は違いますし、 今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。 皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。 源とは何でしょうか。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

何のために生きるのか?

度々の質問失礼致します。 過去の質問でも記載した通り、小さなことではありますが自分の中で苦しいことが重なってしまい、生きる意味がよくわからなくなってしまいました。 これまで26年間、成功ばかりではありませんでしたが、与えられたものは淡々とこなし、人道に外れたことはせず、自分自身に恥じない生き方や選択をしてきたつもりです。 苦しい時期もありましたが、それも「いつかは終わる」と信じ、その時その時の楽しみ方を見出して生きてきました。 ですが、最近猛烈な虚無感に襲われます。 新年早々、大きな災害がありました。一生懸命生きていても、どれだけ頑張っても、無情にも失われる命があります。 努力して生きていても報われる保障はない。自分が誰かを愛しても傷つくことばかりだし、大事にしている人間関係もいつなくなるかわからない。お金だって貯めた方がいいという人もいれば若いうちは経験の為に使いなさいという人もいる。 何を信じればいいんでしょうか? 私にとってはここ何年かが全て決断の連続で、怖いけれど、と思いながらも、勇気を出して飛び込んできました。ですがその結果、何もない無力な自分や、不甲斐ない自分を思い知らされるだけです。 本当は他人のアドバイスはほどほどに、何もかも自分で決めて、自分で持った軸をぶらさずに生きていければ良いのでしょうが、私はもう私を信じられません。 悩んでばかりで何も具体的に考えられない、周りの友人たちのように当たり前の毎日を大切に生きることもできません。 26歳のくせにこんなにスカスカで、やりたいことも行きたい場所も、一緒にいたい人も、生きる目的もどこにも見当たらないんです。 仕事でこうしたい、結婚したい、子供がいるなど、自分を何か縛るものがあればきっと目の前のことに集中できるのでしょうが、私にはもう何もありません。 家族も好きなことをしなさいと言ってくれます。ありがたいです。でも誰かにこう生きろと決められた方が幸せなんじゃないかとすら思います。 漠然とした不安に襲われながら毎日淡々と生きてます。 生きるのってこんなに怖いことだったのかと、この年になって気付きました。 死ぬのは怖いです。でも同じくらい先の見えない、正解のない人生が怖いです。 楽になりたいです。先人たちは皆、こんな虚しさを経験したうえで生きてるんでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ