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仏教

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本当の意味で仏教に出会う人はとても少なく、出会わない方のほうが多いのはなぜですか?
又、仮に出会えたとしても
「魚の子は多けれども、魚となるは少し」という言葉のように、
本当に信心を持って仏教に触れ合うことができる方は極めて少ないのはなぜですか?
仏教が必要でない人たちばかりだということですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【時節到来】【時機純熟】待ってました!?

”本当の意味で仏教に出会う人はとても少なく”
そもそも仏教は【仏道】とも申します。日本の仏教は大乗仏教の系統なので、【菩薩道】なんて言ったりもします。柔道、剣道、合気道、空手道、書道、華道、茶道…そして仏道。全部『道』なんです。ある意味、ゴールはありません。どこまでもどこまでも進んでいくべき方向であり、技や理解がいよいよ深まっていくという事があっても、極めたという事はないのかもしれません。誰かと比べて圧倒的に卓越していても、やっぱりどこか未完成。それが『道』なのではなでしょうか。そう教えるのが仏の教え、つまり【仏教】なのだと私は思います。

”出会わない方のほうが多いのはなぜですか? ”
【無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇】『開経偈』

コップ一杯の単なる水道水も、砂漠のど真ん中で干からびそうになっている人にとっては金銀財宝よりも価値があるように、せっかく目の前に仏教が転がっていたとしても、それなりに【機が熟す】という事がなければその価値に気がつくのは無理な話でしょう。
つまり、みんなはまだ出会っていないだけで、全員いつかは出会えると考えます。でも、できれば、この身、今生で出会っておきたいものです。今期を逃せば、次はいつ人の身で生まれてくることができるのやら…。

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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その気持ちをずっともっていて下さい。

おはようございます。望月と申します。

質問拝見させて頂きました。

まず仏教は必要な方には必要ですし、不要な方には不要なのかなと思います。

例えば、綿棒みたいなものです。綿棒は耳のゴミをきれいするためにあり、「汚れ」を落としたい人が使います。

しかし、もちろん、綿棒を要らないと考える人もいます。綿棒がないからといって、人は死なないですし、綿棒が煩いと感じる人もいるでしょう。

このように、仏教で心の「汚れ」を落としたいと思えれば、その人は仏教を信仰すべきでしょうし、

僕には、特に必要ないな と思えばそれまでなのです。

そして。この不必要な人が多いがのは、時代が末法だからです。

例えば、ミスチルという開祖がいて、ミスチルファンがいたとします。親が子に語り継ぐように、100年、200年はある程度のファンがいるでしょう。

しかし、2600年後はどうでしょう? おそらくミスチルの曲も聞いたことないし、見たこともないという人がほとんどではないでしょうか?
そうすると、そういった方に信仰は生まれやすいのでしょうか?

仏教は約2600年前に伝えられました。今のような現状があるのは、ある意味必然であるのです。

しかし、こういった時代だからこそ仏教が必要だ と思わなくてはない、そうおしゃったのがなつさんも引用されている日蓮上人です。

なつさんが仏教を必要だとしたのは、必要だったからでしょう。

その気持ちを忘れずに、是非とも、自分が仏教を学ぶと同時に、周りにも伝えていって頂ければ幸いです。

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おきもち

こんにちは。望月亮徳と申します。 宗派は日蓮宗です。なぜハスノハを...
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伝える側、受ける側

そうかもしれませんね。聞く耳がない方にはいくら説いても伝わりません。ただ、今日わからなくても、明日はストンと落ちる事もあります。伝える側は仏教を解き続けることしかないでしょう。

そして、僧侶の中にもそちらの方に意識を向けている人が少ないのも事実です。お経屋さんになってしまっている方、ビジネスになってしまっている方も多いと思います。伝える側の数も少ないし、そこを大事だと思ってくれる人もなぜか少ないのです。

世界共通で誰にとっても大切な事でありますのに、わかっていただけないのは残念です。

なつさんのようにそこに気づかれている方が、仏道を歩まれている中で、必要な時に共に声にしていただけると救われる方も増えていくのだと思います。個人のためだけの仏道にはしてはいけないのですね。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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「無明」

なつ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

それは、「無明」というものが、相当に強烈な邪魔者であるからであります。

近くに仏法と出逢う縁があったとしても、出逢えなくさせられてしまう、隠されてしまうのであります。

また、仏法を理解して実践できる境遇(有暇具足)に生まれられるのも、本当に稀有なること、ましてや、仏法の無い世界に生まれること、全く余裕のない存在に生まれることも往々にしてありますゆえ。

しかし、いつまでも無明のいいようにさせていてはいけません。このままでは、無明と悪い業により、輪廻の迷い苦しみの中をずっと彷徨うことになりますから。

輪廻から脱するための教え、仏教と出逢えた今こそ、仏縁を強固にし、しっかりと修習に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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