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父が怖い

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父親が怖くて、この先どう接したらお互い仲良くいられるか、距離を置くべきか、気を使い続けるべきか悩んでおります。

幼少期より父親はすぐに怒り頭に血が登りやすく恐怖の存在でした。母、妹ともに気を使って接しています。
現状、家族は当たり障りのないような距離間で日々の生活を送っています。

父は単身赴任で2週に一回程帰ってきます。その時、家族集合しなくてはいけない雰囲気となり集まります。

私も話したくないですし、集まりたくもないですが、仲良くなるよう話すようにしてます。家族も気を使って仲良くなるように父と出かけたりしています。

しかし最近、父が私たちの気を使っている態度が気に入らなく怒鳴ってきました。

父親は家族なんだから気を使うべきではないと言いますが、父親ですし気を使いますし、すぐに怒り怖いので、気を使わないとそれはそれで怒ると思います。

父親は、自分は頑張って怒らないようにしているのになんで気を使うんだ?なんでも思っていることがあるなら普段から言ってこいと怒りました。

しかし、こちらとしては怒られるから気を使って何も言えないのであって幼少期のトラウマで家族も何も言えません。

父親は自分が頑張って家族のために怒らないでいるのに、お前達の態度はなんなんだ。自分は頑張っているんだという主張です。

なんでも言ってこいと言うのにすぐに怒る性格は変わっていないため言えません。
また、お前達が変われと言っているのに、そのまで十分、自分が悪いから自分が出ていくと言ったりします。

毎回毎回怒られる気を滅入ってきたため、今後、どう接するべきか悩んでおります。以下の選択を考えました。

距離を置く、会わないと言う選択の場合、会いたくないと正直に言ったらとても怒ると思います。

このまま父親に対して態度を変えず気を使い続けるという選択の場合、家族はこれ以上仲良くなることも無く父親もこのまま変わらず怒り続けると思います。

こちらが父親の思う理想の家族のような態度を取り続けると言う選択の場合、こちらが気を使い続けて疲れてしまいます。

私もこのままの家族の関係は冷め切っていて良くないと思いますが、どうしたら父が家族と仲良くなれるか分かりません。漠然としていて申し訳ないのですが、どう変えていけば良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

戦う相手は父ではなくあなた自身、過去のトラウマに弱められたあなた自身です。
あなたはもう一人前の大人の男なのです。
ならば、父と対等に渡り合えるはずです。
体力に自信が無いなら体を鍛えてください。
大きな声が出ないなら大きな声が出るように練習してください。
自分の正当性をしっかり主張しましょう。
あなたのためだけでなく、母のためでもあり、妹さんのためでもあり、父のためでもあります。
父としては、自分と対等に渡り合えるようになってようやく一人前の男として、息子を認めることができるのですから。
正しい考え、正しい言葉、正しい行いをたもち、父の前で堂々とした態度を保ってください。
弱い犬ほどよく吠えると思って父に負けないでください。
応援してます。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

立場を信じ込まない 自分の反応や思いに騙されない

父と子供という立場を絶対視しないことです。
いい大人になったら、それぞれそれぞれ個人です。
親子であっても、あなたはあなた。
いうべきことはいうべきです。
どこの家庭でも誰かが威張っている人がいるとバランスが崩れます。
会社でもワンマン社長であると社員はピリピリします。
国でも北野将軍様や集金PAY親分が威張っていて反抗すると処刑されるような国であれば国民みんなが幸せじゃありません。その人間個人によって幸せじゃなくなるのです。
だからこそ、そういうおかしな体制は改めるべきなのです。
暴圧が認められ許されるならば、暴力的な力が強い人がすべて正義になってしまいます。
出家という言葉あるように、家というのは人間のルール・エゴ・我欲・都合の温床となる場です。世の中に出たら絶対にありえない許されないようなことも家庭においては謎ルールが存在するものです。
そういう人間ルールのシバラレから自由になって、大いに羽ばたいてください。
仏教は自分が恐れるモノから自由になれる教えです。
自分に向き合い、深く自分を見つめれば必ず自分が本当に恐れているものに出会うことができます。
あなたが恐怖するのは、お父さんではなくお父さんに対する自分の思いなのです。
お父さんに今まで起こられ続けてきたからこそ、防衛反応としてお父さんが不機嫌だったり強行的であると恐れをなしてしまうのであろうと思います。
相手が不機嫌でも平気な人は平気なものです。
あなたの友達で親しい人が怒っていてもさほど問題ではないことがあるでしょう。
よく自分に向き合い、自分が自分の負の思いを生じて、その負の主に自分が自分で恐怖している・恐怖させられているカラクリ・仕組みを見抜いてみてください。
古来より坐禅をやりぬいた人は皆偉業を成し遂げています。
坐禅は坐禅をするんではありません。
自己を見つめ自己を明らめる道であり、最上無為の人間性に目覚める道でもあります。
人間、この世に生まれて自分史上最上最高になれた人が最も自分に打ち克った人です。
あなた自身に打ち克つことでお父さんも「何でもないとーちゃん化」します。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

否定するのではなく、認めつつ

もうお父様に気を使う必要もないでしょう。父として尊敬しつつも、やはり年齢を重ね、将来の不安もあるのでしょう。
これからはあなたがお父様を支える年齢ではないでしょうか。親に面倒見てもらった分、老後は親を見てあげる。
「歳だからオヤジもしょうがねえなあ」というスタンスで、頼るところは頼りつつも、さりげなくサポートしてあげる必要はあるかもしれませんね。
もうあなたの方が大人になってしまったのかもしれません。
我を通そうとする親を大人気ないなあと思うなら、これからは、あなたが大人として大きく構え包み込んであげてください。
威張るのではなく、さりげなく立てつつも認めてあげてください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

三宅 聖章様

ご回答ありがとうございます。また、応援ありがとうございます。

母、妹のためにも頑張らないとと思っているのですが、父という事、怒られると思い、最後まで主張できていませんでした。

過去に囚われすぎて、諦めて言えない部分もあったと今になって思います。

1人の人間として自分の正当性を持って話し合いたいと思います。

ありがとうございました。

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