勤行についてのジレンマ
いつもお世話になっております。
hasunoha宗の雅子と申します、というのも、
ほぼほぼ,hasunoha問答が私の仏教の全てといっても過言ではないのです。
ほぼほぼと続きますが、問答は9割方拝読させていただいてますので完璧にhasunoha宗です。
沢山のお知恵をいただき、素晴らしい場です。
本当にありがとうございます。
さて、質問ですが、最近、仏教への向き合い方がわからなくなってしまいました。
数年、朝晩、勤行を唱えておりましたが、
朝は朝で、家事や仕事にいく用意でバタバタしながらも、行っておりました。
夜は夜で、食事を終えてからあげていました。
…が、今日ふと、こんなでいいのかなと。
今夜は般若心経もお唱えしませんでした。
時には切迫感の中で、時計と戦いながら。
気持ちが入っていない勤行は、自分自身気持ちのいいものではありません。
お坊様のご意見をお伺いしたいです。
お時間のある際にでもお答えいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
勤行か作業か?
おはようございます。
hasunoha宗の泰庵です。
ご質問ありがとうございます。
hasunoha をみる時間、トイレに行く時間はつくれるけど、勤行の時間がつくれない自分をどう整えればよいかという悩みと推察しました。
勤行が作業になっちゃ優先順位が後回しになるのは私も同じでした。
勤行のときに何を思い浮かべていたでしょうか?
その振り返りがどこかの場面でできるならルーチンワークも時間や回数の執着を減らし、より深い意味合いを持つことができるかと思います。
この機会を日常生活の振り返りと見直しの契機にできるとよいですが、難しい場合は修行の方法は礼拝、監察など、読誦以外にもあります。
ハスノハをみるときに合掌。
他の方の問答みて我が身を振り返る。
それも立派な仏縁かと思います。
素晴らしいです
毎日勤行をされているというのは、素晴らしいです。
頭が下がります。
勤行に集中できているときって、気持ちいいですよね。
般若心経がお好きなら、ギャーテイギャーテイ…の呪文(マントラ)部分だけを心に念じるだけでも良いと思います。
たとえば、目を瞑って、呼吸に合わせてゆっくり、ギャーテイ(息を吸う)ギャーテイ(息を吐く)ハーラー(息を吸う)というふうに念じるのです。
当然、呪文を邪魔するように色んな妄想雑念が心に浮かんできます。
妄想雑念が浮かんでも良いのです。
妄想雑念にはまりすぎずに、また心を呪文に戻す。
また妄想雑念が入る。
また意識(念)を呪文に戻す。
これは、ちょっとの隙間の時間にでもできる、呪文を使った瞑想です。
「時間がない」「そろそろ食事の支度をせねば」「今日は何を食べようか」「昨日あんなことがあった」など、色んな妄想雑念が浮かんできます。
それらに執着しすぎず、適当に手放す。
般若心経の「空」とは、「執着に値しない」という意味でしょう。
やってみると新たな発見があるかもしれません。
修行を楽しみましょう。
浄土宗の事だけについてお答えします。
お念仏は誰でも、いつでも、どこでも、どのようにでも唱えていいのです。
家事をしながらでも、お風呂に入っている時でも、布団の中でも、場合によってはトイレでも。
唱える回数もたった1回でもいいし、10回でもいいし、何百回でもいいのです。
心の持ちようも、気にしなくていいですからね。極楽浄土に行きますようにと思って唱えるのが一番いいのですが、時には今晩のおかずは何にしようかなと思いながら唱えても構いませんからね。
ですから、生活の中で出来る範囲でお唱えしましょうね。
なお、車の運転中に唱えると注意力が低下して危ないので控えてくださいね。停車中は構いませんが。
南無阿弥陀仏
hasunoha宗、ご開宗ありがとうございます
hasunoha宗の雅子様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
hasunoha宗、ご開宗ありがとうございます。
問答を9割方読まれて頂いているとは。。凄いです。
ちなみに拙生は、半分、いや、3割ぐらいかも・・
毎日の勤行も誠に尊く有り難いことでございます。
確かに、忙しい時、余裕のない時は、どうしても身が入らない、省いてしまいたい、ということがあるのは、拙生も同じであります。
修行僧であれば、余計な心配をすることなく、集中してできるのでしょうが、そうはいかない現代人の事情があるのはやむを得ないところでもあります。
そのため、それぞれの事情に合わせて、できるだけのことで行なえるように調えることも必要となります。
少し内容を見直されることも。余裕のない時用と余裕のある時用を分けるなど。
毎日の勤行は、できれば「不断行」が望まれるところとなります。やる日もあれば、やらない日もある、ではなくて、心相続を継続してより善くに保つためにも、できるだけ毎日行うことが大切なものとなります。
また、気持ちが入っている、入っていない、は自分の恣意的な判断であり、それは別として、勤行による功徳は功徳として積めてゆけるものであります。お経、回向、真言、念仏、題目などには、己の側の問題は別として、諸尊、諸師による有り難く尊いお加持が備わっているのであります。
是非、長く続けていけるように、少し工夫もなされて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
泰庵 様
ご回答いただき、ありがとうございます。
お礼が遅くなったことをお詫び申し上げます。
痛いところを突かれました。
朝は、あと10分の余裕を持って行動すると良いだけなのに、
通常より半時間早く起きても「余裕」が出来ていない。
仰るとおり、作業になっている時も多々ありました。
が、「あと20分で身支度して家を出なければならない時」なども
短めにしてでも勤行しなければ、どうにも気持ちが悪いのです。
土日は自然とゆったりで丁寧で気持ちよくなのですが・・・。
いただいたお答えを機会に考えます。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
三宅 聖章 様
ご回答いただき、ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。
お念仏「南無阿弥陀仏」は子供の頃からお仏壇の前と墓前ではお唱えしていました。
しかし大変恥ずかしい話なのですが、私が自分の宗派を知ったのは3年ほど前なのです。
実家は曹洞宗です。田舎なので昔から地区によって宗派が決まっているそうです。
このhasunohaを読んでいますと、いいとこ取りをするワケではないのですが、
全ての宗派の思想に感嘆し、素晴らしさ・繋がりを感じます。
難しいことは余りわからないのですが、向かうところが同じといいますか、
有難いな有難いなと。一緒だなと。
そして般若心経を読誦している時間、日本中で、この瞬間、同じようにしておられる方が沢山いらっしゃるのだろうなぁと。
話が逸れてしまい申し訳ございません・・・。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
願誉 浄史 様
ご回答をいただきありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
そうなんです、勤行に集中できている時は気持ちいいのです。
しかし非常に恐縮なタイトルをいただき、縮こまりたいです(>_<)
三宅先生にも書かせていただいたとおり、3年前に自分の宗派を知った人間で、
それから勉強させていただいている次第です。
ホント恥ずかしい限りです。
問答を拝見していても、仏教を勉強されている若い方が多いことにビックリしました。
それこそ素晴らしいことだと思います。
私は「愛」と「取」の中に長いことおりました。
無明が晴れていくにつれて、なんてことをしてしまったのだろうと。
この世が地獄とはよく言ったものだなと毎日を過ごしております。
「執着しすぎず適当に手放す」で勤行を続けてまいります。
お忙しい中、ご回答いただき本当にありがとうございました。
川口 英俊 様
ご回答をいただき、ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
勝手にプチ開祖になってしまいました・・・<(_ _)>
でもそのような方、沢山いらっしゃると思います。
設問しなくともこの場では沢山の方々が救われていると私は感じます。
「拝読問答9割方」と書いてしまいましたが、正しくは、hasunohaに出逢ってからです。
今やもう3万件以上。凄いですね。
ただ、今も仏教関係の問答に関しましてはバックナンバーを辿っています。
勤行に関しましては気持ちが入っている・いないは、「わたくしの方」の問題だったのですね。
今までいろんな人に迷惑をかけてしまったので、私の勤行は「衆生みんなに少しずつ功徳がありますように」とお釈迦様にお渡ししている感じです。
そして自分も少しずつ降り注いでもらっている感じです。
気持ちにばかり囚われることなく不断行を大切にしていきます。
お忙しい中、ご回答いただき、本当にありがとうございました。
願誉 浄史 様(※途中で途切れてました、すみません)
ご回答をいただきありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
そうなんです、勤行に集中できている時は気持ちいいのです。
しかし非常に恐縮なタイトルをいただき、縮こまりたいです(>_<)
三宅先生にも書かせていただいたとおり、3年前に自分の宗派を知った人間で、
それから勉強させていただいている次第です。
ホント恥ずかしい限りです。
問答を拝見していても、仏教を勉強されている若い方が多いことにビックリしました。
それこそ素晴らしいことだと思います。
私は「愛」と「取」の中に長いことおりました。
無明が晴れていくにつれて、なんてことをしてしまったのだろうと。
この世が地獄とはよく言ったものだなと毎日を過ごしております。
「執着しすぎず適当に手放す」で勤行を続けてまいります。
お忙しい中、ご回答いただき本当にありがとうございました。