マニ車が日本で普及していないのはなぜですか?
こんにちは。
某芸術大学で学生をしているものです。
卒業研究で般若心経を彫ったマニ車を製作しようと考えているのですが、作るにあたって何故日本ではマニ車が普及していないどころか名前すら知られていないのか疑問に思いました。
これは僕の解釈が間違っているかもしれませんが、回しただけで経を読んだ功徳が得られるというマニ車は現代の忙しい日本人にぴったりだと思うのですが、そもそも時間短縮という名目で使用するのは間違っているのでしょうか?
また、こう行った話を近所のお寺に聞きに行っても大丈夫なのでしょうか?
長くなりましたが、どなたかご回答していただけたら非常に助かります。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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こんにちは。
確かに一周回すだけで1回お経を読んだ事になる、というのは魅力的なのに、あまり普及していないですね。
一方で、お坊さんがお経の本をパラパラとめくることで読んだ事になるとされる「大般若転読」という法要は、今も多くのお寺さんで行われています。
また、東京の浅草寺は、7月9日10日にお参りに行けば、4万6千日お参りに行ったのと等しいとされます。
私の勝手な想像ですが、「車輪を一周回すだけ」というのが、あまりにも簡単すぎて、「御利益」があるような気がしないのかもしれませんね。日本人はちょっと大変な思いをした方が有り難いと感じる傾向にあるのかもしれません。
現代の日本人は識字率が高いので、誰でもお経を読むことができますから、マニ車を回して読んだことにするなど簡略化しなくてもいいのではないかと思います。
また、お釈迦様の教えを転法輪といい、法輪(教え)を転ずるという事ですから、マニ車(教え)を回す(転ずる)ことがお釈迦様の教えを世に広めることに通じる、という意味もあるのかもしれませんね。
ちなみに京都の知恩院には輪蔵というマニ車の大きいバージョンがあり、時々公開しているので機会があれば回してみてくださいね。
マニ車よりさらに簡単なものが普及しているから
マニ車を回すのは簡単ですが、一つ欠点があります。
それは、マニ車がないと回せないことです。
日本では、南無阿弥陀仏と口て念仏を称(とな)えるだけでよいとか、南無妙法蓮華経とお題目を唱えるだけでよいとか、身体ひとつで実践できて素晴らしい功徳があると言われる修行方法が普及していますので、マニ車の需要がないのかもしれません。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
なるほど、そういう背景があってマニ車が普及したのですね。
とても納得のいく回答をありがとうございます。
そちらの方にも出向いてみようと思います。
ご回答ありがとうございます。
苦労することが美徳と捉えられる日本の悪習によるものがあるかもしれないということですね。
大変参考になりました。