hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

友人と疎遠になり寂しさを感じています。

回答数回答 6
有り難し有り難し 179

私は元々、心許せる友人と少人数で集まるとか、一人で読書等をする方が好きな方で、人の私生活に深く立ち入るのも、自分の私生活に立ち入られるのもあまり好まない所があります。
それでも、少なければ少ないなりに仲のいい友達はいていい関係だったと思いますし、夫、舅姑とも円満にやっていました。

しかし、年を重ね、友人とも物理的に離れたり、お互いの生活が違ってくると交流もままならず、話も弾みにくくなるので疎遠になる事も多くあります。女子会などが好きな方ではないので、なかなか新しい友達もできにくく、寂しさを感じています。無理して同調するのも疲れる気がしますし、つるむだけの友達ではなく、もっと深い部分で親しくなりたいと思っています。

今のところ、健康には不安がなく、生活の心配もありません。
結婚十年以上になりますが、夫、姑との関係も良好です。しかし、近くにいる友達らしい友達は1人か2人だけになりました。

もっと大変な悩みを抱えている人からしたら贅沢な悩みになるのかもしれませんが、子供もいないのでいつか一人になるような気がして不安になる事が時々あります。もっと明るく前向きに生活するにはどのように考えたらいいのでしょうか。助言を頂けたらと思います。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

友達は何のために必要か?再確認しましょう。

 くるみさん。私からは何のために友達が必要か?を考えて付き合っていく方が賢明かもしれません。実はワシも同じ悩みを持っていました。「友達100人出来るかな♫」などという歌があるもんだから、友達を作らねばならないと思って、生まれてから頑張ってきました。しかし、ある日を境に止めてしまいました。「お前友達だろ。」の一言に何度無理難題を吹っかけられたか、いじめ、無視、裏切りは日常茶飯事。自分がこれがしたいのに友達がしたくないがためにどんなに諦めてきたことか。そのうち「何だ、どんなに親切にしても私の話を聞いてくれない。自分のしたいことも出来ない。こんな友達ならいらない。まだ一人の方がどんなに楽か?」と思い、『下妻物語』を観て、一気に目が覚めました。「友達100人いらない。自分がしたいこと、行きたいところに行くぞ。」と決意し今に至っています。でもね、不思議なことに自分のしたいこと行きたいところに行っている内にそのコミュニティーごとに仲間が出来、世間一般に友達と呼べないかもしれないですが、心が通じ合える仲間が出来た気がします。相手がどう思っているのかは解りませんが・・・。
 自分勝手に生きるのとは違う気がしますが、恐らく他人から言わすと自分勝手かもしれません。嫌われ者、はぐれ者、変り者が当てはまるのかな?他の人は強い人の顔色を窺いながら関係を築いているのに私は空気読めないことばかりする。やりにくい人なのかな?嫌いな人は私の事嫌いと思いますが、それなりに関心を持っている人は行動を共にすることもあります。
 くるみさん、一人が寂しいと感じるのは友達の多さではありません。自分が何に生きがいを持っているかないかです。今自分が何をすべきか、何をしなくてはならないかということを見つけてください。友達と呼べる人は後からついてきますよ。

 

{{count}}
有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
このお坊さんを応援する

私は万人の友である

お釈迦様には、友達はいませんでした、びえーん。(ToT)
、、、とは申しません。
お釈迦様は「私は万人の友である」という尊い生き方。
「アイツはイイ奴だから友達、あいつはヤな奴だから友達じゃない」という小さなくくりではないのです。
友達がいるからって毎日、毎週べたべたするもんでもないでしょうし、あの世にゃ連れてけません。それより孤独感そのものを滅する方法。
それが、お釈迦様の「私は万人の友である」という広くフカい生き方。
主婦ならば洗い物が終わったらスポンジは手離すでしょう。ずっとつかんでいる必要はありません。ワタクシ意識というタワシをいつまでも握ってないで、思いの泡を洗って手離しの状態。持ち物の何もない余裕状態。そこにもうひとスパイス説法
・坐禅をすると世界中がゴチソーになります。
・坐禅になると一切の存在が語りかけてくれます。
・よって日々坐禅状態になると万物と友達になれます。
ここでいう坐禅に「なる」とは、坐禅をするということでなく、日常生活が坐禅の時と同じように考え事から外れたホトケ意識状態のことです。
たとえるにココロの鍋の中にボコボコと泡が出てくる原因である自我の火を消してしまう。
自然に思いの泡は出ても消えてもホットケさま。かき回さず、手をつけず、何もせずレンジで数分チン状態。
そうするとアレコレ考えを起こす以前の閑寂なこころになります。
その時、自分という雑穀意識は米粒、ひえ、あわ程もアマランサス。
自分が無いからいいのです。自分ジブンした意識が無いからこそ誰とでも、物とでも友達になれるのです。もはや、そこに孤独はありません。
あなたのお皿には孤独だ、孤独だという意識がべったりとついています。
一度一切のワタシ意識をワタシでよくこすって泡もよくあらい流してみましょう。
綺麗なお皿、プレートであれば毎日どんなものを乗せてもおいしく食べられます。
お皿をこすってキュコキュコ♪音が鳴るくらい綺麗にな心にならないと気持ちも晴れやかになりません。
洗い立てのお皿のようなアナタを取り戻すためにも一度坐禅会にお越しください。
茨城県ですと耕山寺というお寺で知人の松浦師がソウルフルな参禅会を開いています。

{{count}}
有り難し
おきもち

友だちの友だち

お昼時に人気を博している長寿テレビ番組が間もなく終了だそうですが、その番組内で繰り返されたフレーズが「友だちの友だちはみな友だちだ」というものでした。くるみさんは現在お友だちが1,2人と書かれていらっしゃいましたね。もしこれがゼロなら、友だちの友だちはいないことになってしまいますが、そうではありません。
大切なお友だちをさらに大切になさってください。いつかきっとそこから広がりが生まれてくるはずです。

もし万が一、ひとりぼっちになったとしても、同じように寂しい思いをされている方が必ずおります。
「ひとりぼっちが二人いれば、それはもう一人ぼっちじゃないんじゃないか」
これは重松清の小説『青い鳥』で先生が生徒に語る言葉です。

くるみさんが、深い部分で分かりあえる人が欲しいと願う限り、たとえ時間がかかっても必ずそのような方と巡り合えると私は信じています。

{{count}}
有り難し
おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
このお坊さんを応援する

覚悟

兼業主婦くるみさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

ご家族との仲も良く、人数は少なくても友人はいる。ご相談の文を読んで、くるみさんの心配は遠い将来のことなのではないかと感じました。

必ずしも順番通りではありませんが、親御さんが先に亡くなる可能性の方が高いです。
そして、男女の平均寿命を見れば、将来ご主人が先に、という可能性もありえます。
その時、くるみさんはお一人になります。不安で、心細いのではないですか?

実は私も子どもの縁に出逢えなかったので、同じ不安があります。考えると、とても心細くなります。友人や親しい人は今はいますが、ずっといてくれるかは分かりません。

「もっと明るく前向きに生活するには」と仰いましたね。いつかやってくる問題から目を背ければ、表面上は明るく前向きに生きられるかもしれません。でも私は、目を背けるのではなく真っ正面から見つめて、覚悟をしておく生き方のほうが、本当の意味で前向きなのではないかと思います。

私は、もし仏教に出逢っていなかったら、この覚悟は持てていないと思います。いつか辛い別れがあった時、もし私が耐えられるとしたら、それは仏の教えのお陰だと思っています。

参考までに、よろしければリンク先ご覧下さい。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/min111001.html

追伸
悩みに比較は馴染まない、という言葉があります。どんな内容であっても、悩んでいる当人にとって、それは大きなものなのですから、「贅沢な悩み」などと仰らず、ご相談下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
このお坊さんを応援する

「縁」

兼業主婦くるみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

かつて同じような悩みをお抱えの方からも下記のようにご質問を賜りました。

問い「縁を結ぶのが苦手」
http://hasunoha.jp/questions/246

この際には「ご縁」につきまして少し述べさせて頂きました。

何事も「縁」によりて成り立っている「縁起」なるありようの世界だと仏教ではご説明申し上げます。

人付き合いもこの「縁」次第となりますが、もちろん、人との縁も出会いを求めていけばいくほどに、色々と人付き合いも増えていくでしょうし、全く逆に出会いを求めなければ、人付き合いは減っていくことになります。

また、縁には、良縁もあれば、悪縁もございます。

上記の拙回答からの引用となりますが・・

「色々なご縁は確かに大切なことですが、やはり自分のしたいこと、やりたいこと、必要なことに応じて、人付き合いもうまく考えていくことが肝要となるのではないかとは存じます。また、逆に人付き合いが過度にストレスとなったり、トラブルの原因になることもありますから注意することも必要となります。とにかく、縁には、良縁があれば、もちろん悪縁もございます。それもうまく見極めながら、悪縁は素早く断ち切り、できる限りに良縁を呼び込めるように調えて行くためにも、一つには人付き合いも、あまりとらわれず、かたよらず、こだわらずのバランス関係を保つことと併せて、できるだけ相手への気遣いや思い遣りの心を養うことも必要になるかと存じます。・・」

縁を調えていくためには、「縁尋機妙 多逢聖因」と申しますように、一つは良い縁を呼び込めていけるように、良い縁を大切として、また良い縁に恵まれるように調えること、更には、良い人たちとの交わりにより、良い結果にも恵まれるように調えることが肝要となります。

良い縁を呼び込むためには、自身を調えることも必要となります。自身が暗く、元気なく、後ろ向きに暮らしていては、到底良い縁を迎えることはできません。明るく、元気に、前向きにを心掛けていくことも大切になるかと思います。

また、下記問いへの皆様のご回答も色々と参考になることがあるかと存じます。

問い「前向きに生きるには」
http://hasunoha.jp/questions/332

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

不請の友を持ちましょう

兼業主婦くらみ様、ご質問ありがとうございます。

近くにいる友達が少なくなり、いずれひとりぼっちになるのではないか?

そういう漠然とした不安を抱いている方も、たくさんおいでかもしれません。

「不請の友を持ちましょう」と書きましたが、「不請(ふしょう)の友」とは、お経に出てくる言葉です。

様々な人と進んで友となる、というくらいの意味で、「仏説無量寿経」というお経の言葉です。

じつは、これは仏様や菩薩様の働きのことをたとえています。

衆生が求めていなくても、仏や菩薩の方から、進んで友となる。

今現在、人間関係も好調とお見受けいたしますし、さしあたっての不安は見あたらないようですね。

急ぐ必要はありません。

お互いが「不請の友」として、進んで友情を交わし合う人がきっと見つかることと思います。

ただ、あなたからも「進んで」友情を示していきましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。急がず、焦らず、進んで友情を示していこうと思います。

いろんな回答をいただき感謝しています。
友人知人はいつまで傍にいてくれるかはわからない、親はたいていの場合先立つ、平均寿命から言えば夫もその可能性が高いわけですから、焦りや不安がありました。大人になると友人はなかなかできないのに、生活環境の変化などで離れていく人も多くなりやすいように思えますし。

そう云った覚悟をしつつ、友人の必要性も再確認し、自分の生活を大事にしていこうと思います。
明るく前向きに生活していくつもりで頑張ります。

「友達に嫌われた・喧嘩・無視」問答一覧

友人と仲直りすべきか決別すべきか

友人に酷い言葉を投げかけてしまいました。 お詫びはしましたが、そのあと返信がありません。 共通の友人と一緒に遊ぶ約束もしていますが不安です。 私からすべての約束をキャンセルしたほうがいいでしょうか。 相手は、半年程前に別れた元恋人です。 彼とは別れてからも友人関係を続けており、二人で遊ぶ機会も年明けまでありました。 そんな彼(Aとします)との共通の友人Bがひと月ほど前から、SNSで定期的に私に対する愚痴を投稿するようになりました。 Bとも今後遊ぶ機会がある中でどのように振舞えばいいのかわからず、また直接私に伝えてくれないことから心身ともに不調を来し、Aに相談をしました。 その際に「BのSNSを見なければいいじゃないか」と軽くあしらわれました。 当時はそれもそうだと思い彼女の投稿を非表示にし、旧年中の出来事は水に流そう。仏の顔も三度までと言うし、と新年を迎えるにあたって気持ちを切り替えたのです。 しかしながら、先日ふと確認した際に、また投稿されていました。 しかもそれがAとBが遊んだ日だったようです。 二人して私の悪口でも言っているのかと疑心暗鬼になってしまい、Aに、Bに対しての暴言を吐いてしまいました。 二人の不誠実さが許せなかったのです。 Aに対して言うべきではなかったとその後反省し、お詫びをした後にAが幹事でAとBを含めた今後の予定をキャンセルしたいと申し出ました。 この返答がありません。 他の人とは楽しく遊んでいるようです。 彼が楽しく過ごせているのなら良いとは思っていますが、今後の予定に対してどうすればいいのかわからず、手をこまねいています。 Aと一度も恋人関係にならず、友人のままこの状況を迎えたのであれば八つ当たりしなかったのだろうと思うと自分の未熟さ、勝手さに情けなさを覚えます。 イベントの日程から逆算して、返答を待つリミットは10日程かと思っています。 暫く様子見をするべきでしょうか。 それとも、イベントメンバー全体に辞退の旨を申し入れ、関連のイベントやつながりをすべて解消すべきでしょうか。 他に妙案があれば是非教えていただきたいです。 お叱りでも構いません。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

主人の友人をブロックさせてしまった

主人の長年付き合いのある友人をとあることがきっかけでブロックさせてしまった。私は間違っているのでしょうか。 【今までの経緯】 ①主人の長年付き合いのある親友に彼女が始めてできた。ですが彼女はかなりのメンヘラで過去にsnsで裸を晒してたり、パパ⚫︎をして稼いでいたので主人の親友が彼女のことを自らベラベラ喋っていました。主人が「大丈夫?」と言った。 ②それから半年後、彼女から急にディスコード(LINEのようなメッセージアプリ)から個人メッセージが届きました。省略すると「詮索するな、心配される筋合いはない」との内容でした。話した事もない、会ったこともない人に対して送る文章ではなかったですし、深夜でした。それに、私は詮索もしていないし、心配もしていません。彼女の被害妄想でした。 ③急遽、主人と主人の彼女が通話することになったのですが、私に暴言を吐き散らし、それを彼氏は止めず、肯定したのです。主人は穏便に済ませる為にただ謝り続けました。 ④また同じことが起こるかもしれないと思い、友人をブロックさせましたが、その親友を含むディスコードのグループはそのまま入ったままにしています。私は怖いのでアカウントを消去しました。 【私が何故、ブロックさせた理由】 ①彼女は通話の最後に彼氏の通話は私も全て聞いているとはなしていたので、言った言わない論争にまた巻き込まれたくない。 ②突然深夜に、会ったこともない人間に悪いと一方的に決めつけ、暴言を吐く様な人間とは関わり合いたくない。 ③長年付き合いのある友人の妻に対して、失礼なメッセージを送るのも止めず、暴言も止めなかった彼にも問題がある。 ④プライドが高く、私は一切悪くないと一方的に暴走している彼女が、自分の毒親にそっくりで拒絶している。 最後まで読んで頂きありがとうございました。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

友人と仲直りしたいです

はじめまして。 友人関係について悩んでおります。 大学時代に出会った大切な友人がいます。 ※Yと呼びます。 今年に入ってからYが仕事やプライベートで心を病んでしまい、相談を受けていました。 私はそのことを共通の友人にポロッと話してしまったのです。 話を聞いた共通の友人は、心配だからYを誘って今度ご飯へ行こうといいました。 そのとき、「Yの許可を得ず勝手に話してはまずかったのではないか」と気づきました。 隠し通せばよかったのかもしれませんが、共通の友人に話してしまったことをYに伝え謝罪しました。 Yは、「話してしまったことはしょうがない」「でも、ご飯に行く元気はないから適当な理由をいって断っといてくれ」といいました。 私はYの言うように、ご飯の誘いを断り、改めてYに謝罪しました。 それが今から3ヶ月ほど前の出来事です。 そして昨日、Yから連絡がきました。 その内容は、前述した話について「本当はずっと嫌だった」「怒りが収まらない」とのことでした。 私は、3ヶ月前に決着がついたものだと思っていたのですが、Yにとってはずっとしこりが残っていたようなのです。 そこではっきりと、「お前に対する信頼はもうない」と言われてしまいました。 私は改めて謝罪の言葉を伝えましたが、元通りの関係には戻れない、と言われました。 どうしたら、Yに許してもらえるでしょうか。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

友達を泣かせてしまいました

自分はあまり気持ちを言葉にするのが得意ではないので、何を言えばいいかわかりませんでした。その友達は学校行事のクラスリーダーをしていて色々とストレスが溜まっていたようです。 今日少し問題が起きてしまいそのことについてその友達が考えているところに私が「今日中に考えないとね」と余計なことを言ってしまいました。 それに加えて友達四人で歩いている時にその友達が知らない話題について喋ってしまい、その子が一人だけ後ろを歩くという状態を作ってしまいました。それに気づいき私はその友達を待って少しふざけた感じに「〇〇こっちだよ!早くおいで!」などふざけた言い方をしてしまいました。 そしたら急にその子が泣き出してしまい、その子から「なんで人の気持ち考えれないの!」「もう嫌だ!」って言われ私はそれに対して「本当にごめん」としか言えませんでした。私は最近自分って人のこと考えて発言できないよなーって思っていたのでグサっと心にきました。 その後なんとか謝れたんですが、多分許してはくれていません。許して欲しいとまでは思いませんが後もう少しちゃんと謝罪がしたいです。 ここは一旦時間をおいて時間が解決するのを待つか、またすぐにでもちゃんとした謝罪をするかどっちがいいでしょうか? (本当に申し訳ないし、その子の気持ちや現状をちゃんと考えてあげれてなかったのを本当に後悔しています、どうかまた仲良く話せるようになりたいです)

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

友人が豹変…縁を切りましたが虚しいです

3か月前に自分の心身を守るためにネットの友人たちと縁を切りましたが、虚しいです。 去年の春、Nさんとは趣味の創作で出会いました。 複数人で協同で小説を編むような趣味で、Nさんは私を絶賛し、また私も慇懃で知性溢れるNさんをすぐ信頼するようになりました。 Nさんを通じて10人弱のグループに所属することになりましたが、揉め事続きでした。 半年後には悪口や悪意ある憶測がグループ内を飛び交うようになり「私も陰で悪く言われている」と思いつつもNさんと正式にペアを組んで小説を書けるようになったため、趣味のためにグループ内に居続けました。 Nさんも人の悪口を好みましたが、Nさんとの創作は何よりも楽しく、またNさんに認められると非常に嬉しく依存してしまいました。 しかし今年の春にはNさんは私に連絡をくれなくなりました。 「春になったら一緒に小説を作りましょう」「資料は明日までに送ります」Nさんは私にそう約束したまま、数か月も放置しました。 「お忙しいとは思いますが、小説について少しでも相談出来たら嬉しいです」と連絡しても無視、一方でNさんとやりとりをしている同じアカウント(旧Twitter)ではグループの友人と話していたり、私は二の次というところを見せつけられました。 「私に悪いところがあったなら教えて欲しい」と連絡してようやく「あなたは趣味に依存しすぎている」と連絡がありました。 その自覚はあり、だからこそこちらはNさんの負担にならないようにペース配分を考えて連絡をしたり、返信はなくとも一か月は待って、急かすようなことも慎んでいたのですが……。 ともかく、自分が向こうに配慮しているのと同等に、向こうはこちらを尊重する気がない、と気づきましたし、嫌がらせが多方面へ横行するグループにも嫌気がさしたので趣味の一切の縁を切りました。 後で分かったことですが、Nさんは集団で別の人にいじめも行っていました。 また私を避けた本当の理由は悪口に同調しなかったからではないかと考えています。 縁を切ってからの私は、仕事のための勉強をしたり、料理を練習したり、運動したりと充実した日々を送れるようになりました。 本当にこれで良かったと思っているのに、かつて心の底から大好きだった友人・趣味を失って心に穴が開いたようになっているのも事実、未だに苦しみを覚えます。 アドバイスをいただければ嬉しいです。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ