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死ぬことが怖くて夜も寝れません

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閲覧有難う御座います、カテゴリ違いでしたら申し訳ないです。

私は、死ぬことが怖いです。「死」は全く未知の世界なので恐怖心でいっぱいになります。自分という存在が無くなる事、死に方によっては痛みを伴うこと。考えれば考える程、頭が混乱して嫌になります。

夜、寝る時も布団に入ると不意に「死ぬこと」を考えてしまい、寝れません。死ぬ事が怖くて、死にたくなくて、泣いて夜中まで起きている事が頻繁にあります。

死に繋がることも苦手です。地震が起きると身体の震えが止まらず震度3くらいの地震が起きたときは、それから暫くは地震が頭から離れすま身体が揺れてる感覚に襲われます。両親にも「お前の地震に対するビビり方は尋常じゃない」と言われます。

テレビ番組で特集を組まれる、戦争特集。地震特集、殺人事件。なども見ていて不安な気持ちに駆られ、その日の夜は眠れません。

死は、いつか来るもので受け入れなければならない事ですが、私は受け入れる事が出来ない状態です。

精神科で、気持ちを明るくする薬を出してもらうことも可能(?)だと思います。ですが、そうすると薬に頼らないと生きれなくなってしまいそうです。この状態を変えたいです。どうすれば良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

極楽浄土

浄土宗的な回答ですが…、

南無阿弥陀仏と唱えた事が一度でもありますか?
無ければ小さな声でも称えて下さい。
なむあみだぶつ、ですよ。

称えましたか?
その声を阿弥陀仏は極楽浄土で今お聞きになりました。
あなたが命尽きる時、阿弥陀仏はあなたを迎えに来て、極楽浄土に連れて行ってくれます。
極楽浄土には、先に亡くなった人がたくさんおられます。
あなたのご先祖様も大勢おられるでしょう。
なので寂しくありません。
極楽浄土には苦しみもありません。
命が尽きる瞬間は苦しいかもしれません。
しかし、阿弥陀仏が近づきその光が見えた瞬間に苦しみがスッと消えると言われています。
ほんの一瞬です。

なので、どうか安心して下さい。
来世のことは安心して、今生きている現世に集中して下さい。
不安を感じたら、また南無阿弥陀仏と称えて下さい。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

いつ死ぬかは分からない

明日かもしれない、今日かもしれない
寝たら目が覚めないかもしれない
来年かもしれない、10年、20年後?
分かりません、分かりません

だから今を思い切り生きるんです、明日があるし平気平気、と思うのではないんです

私も同じように不安で怖くてたまらなくなったことがありました
考え始めると怖くて怖くてしょうがないものです

毎朝朝起きて布団から出るときにしっかりと声に出してみましょう

「今日も目が覚めた、ありがとう」

ありがとう、は神様でも仏様でも自分にでも全部に対してでも構いません
今日無事に起きれた幸せ、生かされている幸せ
それを毎朝噛み締めてください

それを知っている人は知らない人よりもっと日々に感謝して生きれるんですよ

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ご先祖の教え

はじめまして。

ボクが10代のころ、あなたように「死」について考えたこと、なかったなぁ、と感心しています。

翔玄師が書いていらっしゃることに同意です。

あと、付け加えるならば、あなたのご両親はご健在ですか? では、祖父母さまは? さらに曾祖父母さまは? つまり、ご先祖さま=仏さまがいらっしゃるかと思います。

亡くなられた方は、文字通り「いのちを亡くした」方々です。その亡くなれた方々は、みんな仏さまに成られています。仏さまに成る=成仏。仏さまは、教えを説いていらっしゃいます。どんな教えか? 「人は必ず死ぬ」という教え。

そう聴くと、「そんなことはわかってる」とおっしゃるかもしれません。でも、いのちを亡くした方だからこそ、まだいのちある我々に「その、いただいたいのち、精一杯大事にしてしなはれ。たとえ明日、死んだとしても悔いのないようにね」と身をもって教えてくださっています。

真宗の蓮如上人という方は、それを「後生の一大事をこころにかけて」とおっしゃいました。ご先祖に手を合わすということは、その教えをいただくこと。お念仏を称えることは、いただきました、いのち大事に精一杯生きますという返事です。

死は怖いです。ただ、死ぬその瞬間まで、いのちは、ボクやあなたが何を思おうと、感じようと精一杯、私の中で生きてくれてます。そのいのちとともに私も精一杯、今日を生きましょう。

ご両親やご親族、友人、先輩や後輩、先生や上司、ご縁いただいた多くの方の「おかげさん」で生かされてある私、そしてあなたですよ。

合掌

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真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...

ふじわら様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

最近にも死についての恐怖や不安に関する問いに回答させて頂きましたので同内容となりますが、ご参考までにて。

「死」についての恐怖、不安に悩みお苦しみのご様子・・

拙生ももちろん、「死」に対しての恐怖、不安というものを持っておりました。

しかし、今ではさほど、恐怖、不安はございません。

恐怖・不安の原因は、「無知」にあります。

あるいは、仏教では、「無知無明」として、真理を知り得ていない状態のことであるとなります。

そこで、もちろん「考えないようにする」、「無視する」というのも一つでしょうが、いずれは誰もがやがて迎えるものですので、いつまでもそういうわけには参りません。

そのため、手前味噌にはなりますが、「死」についても真摯に対峙して理解を進めていく仏教を学び修していくことを、やはりお勧めさせて頂く次第でございます。

その一つのヒントとしましては、「死」における「肉体」と「意識」(微細な意識)のありようについてのことを、理解していくということになります

「死」について、「無」になってしまうのかもということが、その恐怖・不安の原因の一つのようですので、「死」は決して「無」、「絶無」ということではないということを、しっかりと得心なさることができれば、また「死」についての理解も少しなりにも進み、恐怖や不安も和らいでいくのではないだろうかと存じます。

是非、仏教に関心を持って学ばれて頂きたいと存じます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

回答ありがとう御座いました。

死に対しての恐怖感は相変わらずですが、怖くなってどうしようもなくなった時はまたこの回答を読んで、一日一日を大切に生きて行こうと思います。

「死ぬのが怖い」問答一覧

不幸になりたくないと願ってしまう

初めて質問させていただきます。 下手な文だと思いますがご了承ください。 私は家族とも仲が良く学校でも特に苦しむこともなく、いわゆる「幸せ」と呼べる人生を送っています。 だからこそだと思うのですが最近、自死を願っている人の事を聞くと、 「もしも私の人生に1歩間違いがあったら私もあんな考え方をしていたのかな…」 と、不安になってしまいます。 今、幸せに生きれている事は偶然の重なりです。 もしも、生まれた場所や時間が違っていたら、「死んでしまいたい」と考えてしまう人生を送っていたかもしれません。 自分が本当にそう願ってしまったら、実際にそうしてしまうかもしれません。それがものすごく怖いんです。 もちろん、その考えをしてしまった人達が行動した理由が、そんな人生を望んでいなくて、限界が来てしまったから、という事は分かっています。 ですが、私は寿命までしっかり生きていてほしいです。 すいません、話がごちゃごちゃになってしまったのでまとめますと、 今、私が思っている事は、 「不幸な人生を送りたくない、でも、今その人生で苦しんでいる人に申し訳ないかもしれない…」 ということ、 私の悩みとしては、 「その思いを少しでも和らげてしまいたい」 ということです。 この思いが少しでも和らげられそうな考え方を、たくさん聞きたいです。

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死の恐怖でどうしても苦しい

以前から同じような相談をさせて頂いており、その度に温かいご回答を頂き感謝しております。 ご回答のおかげもあり、少しずつ死の恐怖を克服していたつもりでした。 しかし、それでも何度も何度もどうしようもなく死の恐怖に襲われます。死ぬことに怯え、泣き、気が狂うような恐怖で、これを感じないためには死ぬしかないのかと、本当につらいです。 自分で沢山考えた結果、私の一番の恐怖はやはり死後が分からないことでした。無になることが一番怖いです。でも、輪廻転生できたとして、宇宙が無くなったら転生は止まるのか?解脱したら、魂は消えてしまう(無になってしまう)のか?など、怖さで考えが段々大きくなり、恐れることがどんどん増えていってしまいます。 死後を考えても仕方がないと、頭では分かっている筈でした。死は逃げられるものではない。だからこそ、死そのものを、たとえ死後が無だったとしても、ありのままに受け入れる姿勢、考え方が大事だと理解しているつもりでした。でも、どうしても、湧き上がる恐怖が勝ってしまいます。 いつか死ぬと理解してから、人生が虚無です。最後死ぬのに、消えるのに、生まれて自我を持つなんて、なんて残酷な世界なんでしょう。なんでこんな世界に私達はいるのでしょう。 どうしたら、死の恐怖を消すことができますか?死を受け入れることができますか? 私はこれから、最後は無になる(かもしれない)ような分からない未知の世界に否応なく行くしかないのに生きて、耐え難い死の恐怖に襲われながら死んでいくしか無いのでしょうか。 乱文かつ感情的で本当に申し訳ありません。どうしようもなく苦しいです。どうか、助けて下さい。

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死ぬのが怖いです

死ぬのが怖いです 私は小学校低学年の頃、数回万引きと、親の貯金箱からお金を盗んでしまいました。 また、小学校6年生の頃には自分がなくしてしまった卒業アルバムの代わりに友達のものを盗んでしまいました。 お金はいつか絶対に働いて返すと心に決めていますし、卒業アルバムは本人に連絡が取れれば返そうと思っています。 しかし、そんな罪滅ぼしをしたところで過去の罪は消えないだろうと思います。 私は最近、死について異様に考えるようになりました。 人のものを何度も何度も盗んだ私は、黒縄地獄に落ちるとサイトなどに書かれていました。 地獄では、様々な苦しみを与えられるそうです。 許されたいなんて思っても、きっと無理なのは分かります。 質問したいことはいくつかあります。 1つ目、死んだらどのような苦しみを受けるのか。 2つ目、どうにか、地獄行きを回避する方法というものがあるのか。 3つ目、その方法とはなんなのか。 夜も眠れないほどに不安で仕方がないです。 人のものを盗んでしまったことについて、今ではどうしてそんなことをしたのか、100数十円しかしないようなお菓子のためになぜ万引きなんてしたのか。とても後悔しています。これらの罪は自分の母親にだけ言いました。それ以外にバレたことはありません。 お願いします。私に上の質問の答えを、わかる限りで教えて頂きたいです。

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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

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