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老後や最期が目標になっています。

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

はじめまして、よろしくお願い致します。

結婚して、在宅ワークなどをしながら主婦生活を送っています。

子供は産まない予定なので、現在の生きる目標が、不自由のない老後・悲惨でない最期です。

具体的に言うと、夫婦共に病気のさいは病院にかかり、介護が必要になった時はも施設やヘルパーなどにお願いしたいと考えています。
また、最期は貧困から、餓死や凍死などになる事を避けたいと考えております。
その為に、ある程度貯金を計画中です。

また、急死した時の為に、無駄な物を整理し、資産や親戚関係の事などをまとめております。

しかし、ふと、30代の目標が老後や最期の事なのはどうなんだろうと思いました。
とはいえ他に目標もなく、趣味なども楽しんでおりますが、最終的な関心事はやはり老後や最期の事です。

もう少し30代らしい?生き方をしたいと考えております。
アドバイス等して頂きますと幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

短期・中期・長期目標という発想。

こんにちは。

まず道をつくり、道ができたらそこをどう渡っていこうか。
道には始まりがあり、仕舞いがある。
始まりと仕舞いが明らかになって、中身の充実を図っていく。

福祉の試験に出てくるマズローさんという心理学者も
まず安全、安心の土台の上に自己実現などの欲求がのってくるという説を話していました。

私は質問文を拝見していて、
老後と最後が目標とおっしゃってますが、
それはナビでいう目的地の設定であり、
生きる意味としての目的は迷惑をかけない、不安要素を少なくする。
そう感じています。

手堅さと面白さは相反する部分ありますが、
目標は一つじゃなくてもいいと思います。
短期目標、中期目標、長期目標という視点で楽しみを入れることもいいんじゃないでしょうか。
健康で過ごす。
ぐっすり眠る。
おいしいもの食べる。
静かな時間を過ごせるゆとりを持つ。
その他。

別に大きなことを考えなくてもいいので、ささやかな楽しみが
人生に豊かさをそえる。
そんな方法もありますが、昔の人もらぶぜいさんと似た考えだったのかもしれないなと思いました。
老後や最期が関心事だったからこそ、老後や最期に依りどころとするお寺に、文化となりうる彫刻や絵画、建築デザインが込められたのかなと思いました。

思いのままにいろいろ話してしまいましたが、参考になる部分がありましたら活用くださいませ。

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おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

何故?や如何にして? をも 越えた本来の境地がある。

人は真実の満足のある生き方というものが最初からちゃんとセットアップされています。
ヒントは「何をするかではなく、如何にするか」。
どんなことでも
❝響き❞が大事です。
コトバを話す、放つにしても響かせ方。
お寺で鳴らす鐘も、撞きかた、響かせ方が大事。
撞く人のその心の在り方が問われます。
和尚さんたちは、毎日鐘の音を聞いているから人の鳴らす鐘の音にも敏感です。
群馬のとあるお寺で、明治の時代に奕堂さんという立派なお坊さんがいました。
ゴーン
今日の鐘の音は、ただものではない。
鐘を撞いていたものを連れてきなさい。
呼ばれた修行僧は叱られるものかとびくびくしていました。
「別に怒りはせん。お前さんはどういう気持ちで鐘を撞いていたのか」
「師匠から、何をするにしてもそこに仏を生み出すつもりで行いなさいと言われ…」
奕堂禅師(後の大本山総持寺の禅師)はその修行僧を褒め、さらに精進するように励ましました。
その修行僧ものちに永平寺の禅師様になられた立派な方でした。
鐘を撞くという何気ない行為の中にもその人の全身全霊が打ち出されています。
何をするかではなく、如何にするか。
ここまでは美談です。
ですが、さらに素晴らしい境涯は、
ただ、その通りに「ごーん」と聞けることです。
ただ、その通りに「ごーん」と響かせることです。
あなたが何をするにも「わたくし」なく、ただ、行ずる事です。
「わたくしプラン」が強すぎればそれがかえって自らを縛ることもあるでしょう。
先日40代で出産された方がいました。
子供を持つ持たないも人生プラン。ですが人間の体には命を産むための力が元々授かっているという事実もお忘れなく。
欲しくても持てない方もいます。
あまり突っ込んではいけないことかもしれませんが、お子さんを持たれることで、あなたの30代ならではの不足感が満たされる事もあるとも思います。
あなたもご主人も生まれてきた。出逢えた。授かった。悲しみもあれば喜びもあります。それは、産んでくれた両親がいるから。
自らの思想、プランとして、産まないと決断してしまうのではなく、自らの本当の本心、良心、自身の性に問いかけて、それでも子供は要らない、というのであればそのまま進まれることです。
余計な事を申し上げました、(>_<)失礼いたしました。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

30代らしい考えは何でしょうか?

 偉い!の一言に尽きます。目標、目的、楽しみ、が無くては人生は過ごせませんか?そうではないでしょう。人は「他人の世話にはならないで、早く死にたい。」と思っても中々死ねるものではありません。どんなに周りから嫌味や中傷を言われようとも『アリとキリギリス』のアリのようにコツコツいざという時のために溜めた者の勝ち?ですよ。
どうしたら、「夫婦共に病気のさいは病院にかかり、介護が必要になった時はも施設やヘルパーなどにお願いしたいと考えています。ある程度貯金を計画中です。また、急死した時の為に、無駄な物を整理し、資産や親戚関係の事などをまとめております。」のように考えられるか私が教授し欲しいくらいです。
 だから、不安にならずにあなたの思った道を突き進んでください。また道に詰まった時は質問してください。待ってます。

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おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

質問者からのお礼

泰庵様
ご回答頂きありがとうございます。
「老後や最期は目的地の設定であり、目的は目的は迷惑をかけない、不安要素を少なくする。」
まさにそのとおりだと思いました。
目的地と目的がごちゃごちゃになっていたようです。
考えを整理して頂いたおかげで、なんだかスッキリしました。

また、短期・中期・長期目標という視点、とても参考になりました。
最期を考えながらも小さな楽しみを味わい、1日1日を豊かに生きて行きたいと思います。
丁寧なご回答ありがとうございました。
またの機会がございましたら宜しくお願い致します。

大鐵様
ご回答頂きありがとうございます。
「不安にならずにあなたの思った道を突き進んでください」
というお言葉に、非常に励まされました。
それと同時に、まわりの人と比べ、不安になっていた事を気づかされました。

あまりまわりにとらわれず、地道に生きて行こうと思います。
親身なご回答ありがとうございました。
またの機会がございましたら宜しくお願い致します。

丹下 覚元様
ご回答頂きありがとうございます。
「何をするかではなく、如何にするか」…響き方…
非常に心に染み入りました。
長年生活する中で結果を求められる事が多く、また自分自身も「何をするか」に捕われていたと気付かされました。
そんな中で自然と我が強くなっていってしまった事を反省致します。

子供は、産む事にはそれほど関心はありませんが、育てる事は関心があります。
ですが、色々な事情で出産は難しかったりします(^^;)
しかし、丹下 覚元様にご指摘頂いたおかげで
自分の我の強さや「わたくしプラン」に捕われている事に気付きました。

何をするにも「わたくし」なく、ただ、行ずる事
なかなか難しい事ですが、心がけていきたいと思います。
丁寧なご回答ありがとうございました。
またの機会がございましたら宜しくお願い致します。

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