hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

仏教とは死後の幸せを求めるものですか?

回答数回答 7
有り難し有り難し 134

それとも、生きている時の幸せを求めるものですか?

また、宗派によって違うのでしょうか?

先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消すようにしたり、

両面を見ることがあります。占いをしているところもあるし

宗派によっても随分違うのでしょうか?

色々な宗派のお坊様にご意見を賜りたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く

わからんちんさま

どうも初めまして、hasunohaの 井上広法と申します。

さて、仏教は死後の幸せを求めるかとのことですが、そもそもの捉え方から考え直さないとならないかもしれません。

仏教では今の人生のみを人生とは捉えません。

弘法大師のお言葉に次のようなものが有ります。

『生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し』
この言葉はただ単に生まれることや死ぬことを繰り返している言葉遊びではありません。

なんども「生まれては死ぬ」輪廻を繰り返し、いつまでたってもその苦しみの無限ループから逃れられないと嘆いているのが弘法大師のお言葉の真意です。

ですからただ単に死後の幸せを求めるのではなくこの苦しみの連続から離れて安寧を求めるのが仏教のスタンスです。

では、なぜ仏教が死後の幸せを願うものかのように受け止められているかというと、浄土思想に大きく影響を受けていると思います。

浄土思想とは、この世界ではなく、『死後』に極楽浄土へ往って悟りを得ようとするものです。

そこで生じる疑問はおそらく次の二点でしょう。

①なぜ、この世で悟りを得ようとしないのか?

②なぜ、死後の極楽浄土で悟りを得るのか?

①への理由は、この世では悟りを得ることが非常に難しいからです。

②への理由は、極楽浄土で悟りを得ることが極めて楽だからです。だから『極楽』と言います。

この思想を大成した法然上人に次のような言葉があります。

『生ければ念佛の功つもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくてもこの身には 思い煩うことぞなきと思いぬれば 生き死にともに煩いなし』

大意は『念佛を称えれば死後に極楽浄土にいける だからもうこの身にはなにも思い煩うことなどないと知れば、生きることも死ぬことにももう煩いはないのである』

つまり『死後』に極楽浄土に往くことができれば、もうなにも悩まなくていいという教えです。

そういった意味から「仏教は死後の幸せを求めるもの」という誤解が生まれるのだと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を専攻したのち、東京学芸大学で臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を執筆。 科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げる。 また心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考にワークショップ「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催している。 史上初のお坊さんバラエティ番組「ぶっちゃけ寺」の立ち上げにかかわるとともに同番組をはじめとした様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中。

平気で生きている

わからんちんさん、はじめまして。

俳人の正岡子規さんが病床で書かれた『病床六尺』という本に、

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。」

と出てきます。

私が聞いてきた仏法を、文学者が端的にあらわした素晴らしい文章だと思っています。

お釈迦さまは、いかに心の苦しみをなくして生きられるかを説かれて、死後の話をなさいませんでした。「無記(むき)」
それでも安心させるために浄土往生が説かれたり。
自分はいいけれど、先に逝った人たちでさえすくわれる道を求めて供養したり。
人生のいろいろで迷う人のサポートの手だてとして占いという手段を講じたり。

でも、一番の目的は『わたしが平気で生きられること』だと思います。

なかなか世間の荒波が厳しく、「平気に生きる」難しさが実感されますが。
そういうときこそ、仏法が寄りそいサポートしてくれるのだと思っています。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動 ・正徳寺声明会(しょうみょうかい:お経の練習と法話)月一回開催 ・こども囲碁道場 月一回開催 講師:日本棋院 王唯任五段 ・こども すみえ おえかき道場 隔月開催 講師:墨絵画家 本多豊國 ・「対話する夜」 月一回 都内のいろいろなお寺で平日夜にお坊さんを交えて対話する会 この他に、寺社フェス「向源」のお手伝いなど

死語の世界は誰もわからんちん

わからんちんさんこんにちは。
結論から言うと両方です。
たとえば、お葬式も法事も亡き人と、生きている人の言うに言われぬ気持ちをきちんとした形でお弔いする鎮魂、報恩、供養の儀式ですから、亡くなった人と、亡き人を慕う生きている人の為の具体的な行為です。
そのほか仏の教えを広めるというのは簡単に言うと医療活動にも似ています。
生きていて苦しい、悩みがある人へのものですから。仏教のメインは生きている人の為のものです。
ではあなたの言う死後の幸せとは何か。
(._.)まず生きている人は誰も死んだことがないし、誰も死後の世界のことは分からんちんです。誰か死んで帰ってきた人はいますか?え、いない?
では死後の世界なるものが誰があるなんて言い始めたのですか?え、生きている人の想像?
この四つを考えてみてください。
①「生きている世界」あなたも元気で生きているこの現実世界。
②「誰かの死後の世界」この世で誰かが亡くなったとしても、あなたは生きている。彼・彼女らの死後もあり続けているこの現実世界。
③「自分の死後の世界」自分が死んだ後も、この世界はあり続けるであろうはずだから自分の死後も存続していくこの現実世界
④「世間一般で死後の世界と思われている空想の❝死後の世界❞」死後の世界は誰も立証できない。思想、空想上の産物である。観が個々のイメージによって世界観は異なる。だが、そのイメージをする本人が存在しているのはこの世界において生ある間。
自分が死んだ後は、幸せも不幸もない。あるのは永遠の涅槃、やすらぎ。
しかし、遺族は違う。亡き人に対する想いがある。
だから生ある間に安楽に生きるため仏の教えを学び、自らも安心して生き、安心して死に、自分の死後も残った家族も安心して過ごせるよう、苦しみを無くし、幸せに生きる為の教えが仏教です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

お釈迦様をわかりやすく言うなら

この世で、一番死ぬのが怖かった方といわれています。
経文には、至る所に 不老不死 とかいてあります。
わかりやしく言えば 回向 徳をみんなに回すこと。
確かにお葬式も大事ですが、お釈迦様は、三世回向と、説かれています。
これは 過去 現在 未来 です。
したがって、今生きている方も含めすべての方の幸せをねがっています。
情けは人のためならず は この回向の精神からきたといわれています。

本門佛立宗 開運寺 住職 秋山現信 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

3月11日の突然起こった東日本大震災。私の住む茨城県水戸市も大きな被害を受けました。それ以上に、私の大好きな、また沢山の親友や仲間が居る東北地方が更に大きな被害を受けました。当日はまだ東北地方は雪、寒い寒い日の出来事でした。 自分自身も被災し、当寺、開運寺も避難所となり、そこで避難所の大変な状況も体験し、拙悪な状況も実感しました。 そのことが、一つの切っ掛けとして直ぐに東北の寺院の支援活動を展開しました。そこで、支援の輪が広がり、様々な出会いがありました。 このホームページは、今後の支援活動に繋げたく思い開設いたしました。 40sの由来は、鹿島アントラーズ 小笠原満男さんの背番号にちなんでつけました。私自身もサッカーの大ファンで、今回の小笠原選手の行動、理念に深く共感しました。また多くのサッカーファンが協力して下さり、支援の輪が現地にも広がりました。

原則は「違います」

わからんちんさま、はじめまして。
浄土真宗なごみ庵の浦上哲也と申します。

表題の件、原則を申せば「違います」となります。
仏教を開かれたお釈迦さまは、自分の死期が近づいた時、弟子たちに「お前たちは私の死にかかわらず修行をし、葬儀は一般の者に任せよ」とおっしゃったそうです。

また、「死後の世界はあるのですか?」といった質問には「知らんがな、いいから修行しなさい」とおっしゃいました(セリフ脚色あり)。

お釈迦さまの教えは、あくまで仏道修行による人格の完成を目的としており、その求める幸せも「快楽」ではなく「安楽」です。なので、死後の幸せを求めるものではありません。

しかし、お釈迦さまの時代から2500年の時を越え、地域もインドからチベット、シルクロード、中国、朝鮮半島を経て日本に伝わっています。その中で、大いに発展し変化を重ねてきたものが、現在世界中に広がる仏教なのだと思います。

お釈迦さまの時代にも「死後の世界はあるのですか?」という質問がありましたが、この疑問は人間にとって普遍的なものなのでしょう。ですので、死後の世界があると考え、故人がそこで幸せに暮らしていると思うことによって、結果的には生きている者の幸せに繋がっていくのではないでしょうか。

こんな事を書くと、「お前は浄土真宗の僧侶なのに、極楽浄土を否定するのか?」と言われてしまいそうですが、そんな事はありません。
私はこの世で仏教に出会えたことによって大きな安心を頂き、この人生を生ききっていこうと思います。
そしてこの世の縁が尽きた時、浄土へ往って仏として生まれ、先に旅立った方々と再び会い、後に残った方たちを見守りたいと思っています。

{{count}}
有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

「利益」(りやく)にあずかるために

わからんちん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教とは、確かに「幸せ」を求めるための教えでございますが、その「幸せ」は、私たちの欲望を満たすような世俗的な意味合いでの「幸せ」ではございません。仏教における「幸せ」は、「涅槃・悟り」の境地というもので、世俗的な幸せとは次元の異なるものでございます。生死を超えての「幸せ」が誠に大切となります。

どんなに欲を出して求めても求めても得れないという苦しみを「求不得苦」と申しますが、簡単には、主体である自分にも客体である対象にも実体が無い「空」・「無自性」なるものであるため、捉えようがない、つかめないものでしかないのですが、そのことを理解できずに、モノ・コトを実体視してとらわれて執着を起こして、様々に迷い苦しむこととなり、本来的に得れないものをいくら求めても求めても仕方が無い、意味が無いことを理解できずに求めてしまい苦しむということでございます。

もちろん、「空」・「無自性」とは言っても、何もないわけではありません。私も対象のモノももちろん確かに存在はしています。しかし、そのありようは「縁起」により成り立っているものでしかないのだと説明することとなります。

この「空と縁起」の考え方はひとまずここではこれ以上述べませんが、例えば、現世利益や来世利益とよく言う場合の「利益」(りやく)とは、仏法・仏道を修し実践することでの善利による福徳・恩恵にあずかることであり、善い行いという原因・条件(縁)によっての善い結果におけることを申します。

法要の際における回向文の中でも「現世安穏」・「後生善処」という言葉が出て参りますが、善因善果の理を理解し、善い行いを実践することでの善い報いにより、この生である現世にて安穏無事に安心に過ごすことができ(釋理薫様のおっしゃられている「平気で生きる」とも同じでございます)、この生を終えた後、来世でも、その善き報いにより、善き赴きがありますようにという内容を扱ってございます。

仏教における「利益」(りやく)にあずかるためには、悪い行いをなさずに善い行いを実践することが、とにかく大切になるかと存じております。もちろん、なかなか私たち凡夫にとりましては難しいことではございますが、しっかりと仏道を進む中にて努力して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

わからんちん様。

仏教とは…死後の魂の安寧や、残された方の心の安寧を求めるもので有り、
且つ生きている人間の幸せを求めるものでも有ります。
その為に先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消す事もしているのです。
当方等は、其の一つの手立てとして占いをしています。
また、加持祈祷も行っています。
さらに申せば、宗派によって違う様に見えますが、根本の所では同一なのですよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致し、実践において長期にわたり使用実績を積む 此の密教の天文暦法に基づく占星法で、衆生の手助けをと考えます。 また、一座供養、一座祈祷も承って居ります。 本来、供養や祈祷は長期に渡り此れを継続的行うものですが、 一回のみの供養や祈祷を一座供養・一座祈祷として、此処にお受けするものです。 なお、遠方のお方でも、承りますのでご遠慮なくお問い合わせ下さいませ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ