オンリーワンってなんでしょう。
自己肯定感が低く、自分の好きな所が
わかりません。
と以前相談した所、SMAPの歌にたとえ有難いお言葉をお住職さんにいただきました。
ナンバーワンにならなくてもオンリーワンを目指す。
言って下さった言葉の意味はわかります。
しかし、自分の好きな所もない自分がどこをオンリーワンとすればいいのかもわかりません。
オンリーワンを目指すとはどういうものなのでしょう。
自分には難しすぎるようです。
自分の好きな所を知る方法も目指し方もわかりません。
重ねた質問になりますが教えていただけたら有難いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すでにオンリーワンですね
そうですね、少し違っていたかもしれませんね。
すいません。
すでにあなたはオンリーワンです。
あなたはこの世に1人だけてす。
お子さんのお母さんはあなた1人だけてす。
旦那さんの奥さんはあなた1人だけてす。
あなたはあなた1人だけてす。
これからも、誰よりもあなたのお子さんの幸せを願ってください。
誰よりも旦那さんの幸せを願ってください。
誰よりもあなた自身の幸せを願ってください。
それができるのはあなた1人だけてす。
それもオンリーワンです。
他にももっとたくさんオンリーワンがあると思いますよ。
短所は気にしないように。短所は見方によって短所であり、長所です。
優柔不断?みんなに優しい優柔不断なら素晴らしいです。
偽善者?何もしない人、口だけの人よりも素晴らしいです。
短所を治すより、短所の見方を変えてみてはどうでしょうか。
セルフケア
英語で書くと、なんだか分かるような分からないような…その曖昧さで良いんですけれど。
さて、まずはお尋ねのワード。元の歌を覚えていますか?
「ナンバーワンにならなくても良い 元々特別なオンリーワン」です。
つまり、改めて「なる」ものではなく、「既にそうである事に気付きましょう」という歌詞ですね。カッコいいキーワードではありますが、文脈を離れては妄想の元でしかありません。
敢えて言えば、「他人と比較しない、順位づけしない」ということで、この辺りは貴女の最初の質問からずっと変わらないテーマだと思います。
そして、「ついつい比較しちゃう」ことの原因を自己肯定感の低さと仮説立てておられますが、そういう問題の立て方をすると、抽象的に過ぎて「何をしたらいいの?」と、脳内でのやり繰りに留まってしまいそうな心配があります。
お話を読んでいると、所謂穴あきコップというイメージで、愛情を注がれても、穴があるからドンドン流れ出てしまって溜まらないという図なのかな、「貴女の、塞いで欲しい穴はいつ、誰によって開けられたの?」というカウンセリングかなーとか思います。
その思索は良いと思いますが、もっと即物的に自分の体をケアしてあげては如何でしょうか。
疲れているでしょう?その疲れは、どこに感じていますか?かお?お腹?腰?肩?冷えている所があるんじゃないかしら?動きの悪い所は?
そういう場所に、自分の掌を当てて温めてあげる。体のそこが、ちゃんと暖かさを感じるように。自分の手が、自分の冷えている所をケアしてあげるのを、観察してください。
でね、そういう場所は大抵、無理をしている場所なんですよ。で、暖かさを感じたら、自分のそこに言ってあげて欲しいの。「よく頑張ってるね」って。貴女が貴女のお腹を褒める。腰を褒める。首を褒める。目を褒める。全部、貴女と貴女の家族のために、懸命に生きているのですよ。
これに名をつけるなら、「自分をいとおしむ」でしょうか。
追記「自己肯定感の低さ」字数制限があるので御免なさい。こういう小難しい単語を使うと、そこを経由する度に抽象化拡散がされます。貴女はすでにココ克服しています。「高い低いじゃない、私は価値がある」と。穴についても結論が出てる「昔のことだ、今じゃない」。要は「問題の立て方によって答えや出やすさが決まる」ということです。
頑張らない程度に踏ん張れるなにかをつくる
わたしにもじぶんの嫌いなところは沢山あります。
すぐにあきらめる
しめきりとか、ぎりぎりにならないとやらない
じぶんの出来ること以上の仕事を予定にいれてしまう
その予定をすぐわすれる
ものの片づけが苦手というよりもヘタクソ
ああ、、、書いててすごくはずかしくなりましたm(__;m)
でもやらなきゃという思いはちゃんとあるから、
それはじぶんでもえらいとおもいます(おいダメだろ
オンリーワンというのは、そういう「じぶん」です。
なさけないじぶんがいる
それがオンリーワン。
じぶんのすきなところを探す、っていうよりも
なさけないじぶんを認め、そこからちゃんと次に
つなげられるように、なにかどこかで踏ん張れるところを
つくることだと思います。
なさけないわたしですが、
明日はきっと出来るように、なにか失敗したと思ったら、
それをPCのwordに打ち込んで、デスクトップに張り付けたり
あるいは机を整頓するとか、玄関の掃除をする、と言う風な
ルーティンワークをつくっています。
頑張らない程度に頑張れるなにかを、
作ってみると、そこからあなただけのなにかを
見つけることになるのではないかと思います。
そうなったらそれこそがオンリーワンです。
あなたにさちあれ、さちあれ。合掌
生きる権利は誰にでも
あなたが自分を嫌いだろうと、社会から評価されていなかろうと、
あなたの肉体の細胞ひとつひとつは生きようとしています。
仮に極悪人だろうとヒトとして呼吸して食べて排泄する権利はあります。
社会も国家も権利を認めているし、細胞も生きたがっています。
それ以上に生きる意味など、あっても邪魔にはなりませんが、なくても支障はありません。
質問者からのお礼
有難いお言葉でした。
私は世界で1人。子供達の母は私1人。主人の妻は私1人。
当たり前の事が分かっていたようで改めて言われると本当にそうだ。と。そんな自分を大切にしようと思えました。
私には自分の嫌いな所が沢山あります。だから毎日、必要以上に頑張っています。それで体も心も疲れてまた自分が嫌いになるのです。
でも、なんとなく分かりました。
こんな私だけど、毎日子供達を笑顔で送り出し、笑顔で迎えてる。子供達の話が聞ける様に夕方までには家の事を終わらせてる。毎日ちゃんと出来てる事があるって事にきづきました。
今までは、疲れてるのに無理に笑顔を作ってる自分も夕方までにバタバタしてる自分も大嫌いでした。でも、こんな私でもちゃんと出来てる事がありました。これだけは頑張ってるって自信持てる事を探そうと思います。
そして。
穴開きコップ。衝撃をうけました。何度も何度も読みました。その通りです。
私は子供にも主人にも沢山愛されております。ですがいつもそれらが身体に溜まることなく常に欲しています。愛して欲しくてもっともっとと心の底で思っています。残念ながらその穴はいつ誰に開けられたか分かりませんが7歳で両親が離婚し、夜逃げ、自殺未遂の親、借金、色々あり、自分に保険金がかけられ既に死んだ事になってるのではないか?と市役所に聞いたくらいで。そんな複雑な家庭で育ち。しかし母は私を愛してくれてると疑わず生きてきました。色々な現実や矛盾が私に穴を開けたのかもしれません。が、人や過去のせいにしても始まりません。
自分をいとおしむ。やってみようと思います。
泣きました。涙が出ました。分かって下さりありがとうございます。
私の短所や嫌いな所などとは別の所で自分そのものを大切に扱ってみようと思います。
光圓寺 佐藤良文様。
セフルケア。忘れないよう、もう一度頭な入れようと日記に写し書きしました。
そこで今一度分からない文面があります。教えていただけませんか。
ついつい比較しちゃう事の原因を自己肯定感の低さと仮説立てておられますが、そういう問題の立て方をすると抽象的過ぎて「何をしたらいいの?」と脳内でやり繰りに留まってしまいそう。
この部分がとても大事な気がするのですがとても難しく思います。
よろしければ教えていただけませんか?
しつこくすみません。