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自殺をしてはいけない理由

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新しい年が始まりました。hasunohaに、おられるお寺様方にも。今年もたくさんの幸せがありますように。
よろしくお願いします。

私の友人は、とても精神状態が悪く、死にたい。頻繁に口にします。

死んではならない理由。
どうして死んではならないのかを、上手く説明する事ができませんでした。
私も一番うつ病が酷かった時は、同じように毎日死ぬ事ばかりを考えてきました。

今でも咄嗟に消えてしまいたい。と思う事が、あるのも正直、事実ではあります。

でも、自分を作り上げている、数えられない程の細胞の一つ一つ。日々全身を巡る血も。

地球に、人の小さなはじまりが発生した時から、今日の自分が、お腹に宿り、細胞分裂、生まれて、大人になった、今まで。

人になるものの発生からスタートして、今の自分まで、たくさんの、生死生死を繰り返し、自分まで繋がった。物凄く怖い程に深く壮大な歴史。意識はしないけれど、本当ならば、物凄い事なんですよね。

自分の体をつくる全ての細胞の一つ一つに、数えられない位前から繋がってきたご先祖様たちの、数えられない人数の血が、自分にも入ってるんだと思うように最近なりました。

自分一人の体で生きている気はするけれど、全ての細胞一つ一つにに、全てのご先祖様が宿っていると思えています。

友人にもそのように伝えました。

お寺様方は、自殺がダメな理由、死んではならない理由。

どう考えますか?どう思われますか?
苦しむ友人に、どうしたら、伝えられるでしょうか?

そして、時々、間違ってしまいそうになる私に。

命をどう伝えてくださいますか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自覚でなければ意味はない

拝見いたしました。

昔は、自殺してはいけない理由を宗教が担っていました。
自殺したら地獄に落ちる、救われない、だとか。
しかし、宗教の力が弱まっている現代ほど、その抑止力が働かない時代はないでしょう。
難しい時代になったものです。今回は宗教抜きで考えてみますね。

僕個人としては、自殺をしてはいけない、とは一概に言えません。
なぜなら、当人が味わってる苦しみに寄り添えても、完全に理解することができないからです。
どれだけ苦しいのかわからないのに、もしかしたら肉体的にも精神的にも激痛なのに、「逃げようとするな」というのはあまりに酷ではないでしょうか。

でも「自殺しちゃだめ」という周囲や原理からの強制ではなく、「自殺をしたくない」という気持ちが本人にもあるはずなんです。
だって本当に自殺したいなら、もういません。
自殺を実行せずに、「自殺したい」と発言するにとどまっているんですから、死にたくないんです。
その理由は死や最期の痛みの恐怖かもしれません。
でも僕はあえて、「生きていたいから」という無意識が存在しているからだと考えます。
家族を悲しませるから。助けてくれる友人に申し訳ないから。子供を見捨てられないから。何でも構いません。
死にたい理由よりも強固な生きていたい理由が、きっと心の中に眠っています。

その「生きていたい心」を当人に自覚させることが、一番大切です。
しかし、「生きていたい心があるんじゃないの?」などと教えてはいけません。
あくまで、自分で気づかないといけません。周囲が教えたら、外側からの強制力と変わらなくなります。

あなたができることは、とても難しいです。
あなたは当人に自覚させるようにしないといけません。
死んじゃったら私は立ち直れないよ(友人のために生きていたい)、この絶望が永遠に続くことはないんだよ、あれやってみたいっていってたよね(未来のために生きていたい)、など。
相手が()で囲ったよう考えられるように、いろんな声がけをしてみてください。
想像よりも長い年月がかかるでしょう。
しかし、当人のふとしたきっかけで、これを自覚し、生きていこう、と前を向ける日が必ずきます。
自殺を考えていた僕がいうんですから、間違いありません。

自殺してはいけない理由は「自らの中に眠る生きていたい心を無視しているから」です。
長文、失礼いたしました。

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おきもち

理由はありませんが、生命そのものが理屈を超えた答え。

生命とは「わたし(自我・エゴ)」が主人公ではなく命そのものが主人公なのです。
主人公をエゴや自我の方に置いていませんか。
すると「わたし」という意識が理由付けを欲しがる。
息をしているのは自分の意志ではありません。
心臓が動いているのも自分の意志と無関係でしょう。
眼を開ければものを見たくなくてもものが映る。
耳は聞きたくない音も聞こえてくる。
鼻もいつも気を感じ取ってくれている。
舌も常に潤って味わうチカラがある。
体も自分の意志とは無関係に栄養素を消化、吸収し、生きてくれている。
この実際の現実に目を向けずにエゴというニセアカウント、ナリスマシ主人公=自我の言うことを信じ込んでしまうのが人間なのです。
われわれの本当の主人公は生命の側にこそあるのです。
そちらを主体として意識を注いでいけば自殺をしてはいけないかどうかという問い自体がそもそもエゴを軸とした生命の意思に背く行為であるということが分かります。
あなたもお友達も本当の主人公はあなた方の意識や意思ではなく、本当は生命そのものの側なのです。
偽アカウント、ナリスマシアカウントのエゴを出しゃばらせると生命本体そのもの軽視になりましょう。
仏道修行とは、このエゴや自我という出しゃばり意識を優先させない事。
本有のお命さま、思考以前から24時間営業しているこの生命本体を本尊とする生き方なのです。
自己の生命というご本尊の御開帳ができない人はお寺に足を運んでみましょう。
開かれれば自ずから手が合わさるものなのです。
生命の実物、実仏にお目にかかれるのですから。
その人も、あなたも、多くの人がこの「自己の本尊」というものに出会ったことがないだけなのです。そこに「開眼」すると自ずから智慧や慈悲が円満具足して人の苦しみを放っておけんようになるのです。合掌

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おきもち

「心」によって

拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。

死んではならない理由を考えていらっしゃるのですね。また友人の方の精神状態も心配になってしまいますね。

あとこの内容になりますと、僧侶の方によってもだいぶ意見が別れてきますので、色々な意見を参考にしてもらえればと思います。

まず精神状態が苦しくて死を望む人は、死ぬほど苦しいという状態であって本当に死を望んでいないと思います。もし魔法か何かで今の苦しみが取れれば死を望む人は、いないのではないかと思います。

そして苦しみを感じるのは「心」です。

物理的な痛みなどの苦しみを除いて、精神的な苦しみは心が反応することで強い苦しみが生まれます。

心の反応をコントロールすることができれば、うつ状態を脱出することができるのですが、うつ病の方ですと心をコントロールする術を覚える気力がないので難しいところです。

なので友人には、死ぬほど苦しいことを共感してあげることが大事であると思います。

死んではいけない理由はいくらでもありますが、大事なところは死にたいと思うことも、生きたいと思うことも「心」次第なのです。

つまりうつ病を抜け出す道は必ずある、ということを信じて「どうにかなる」と思い、死ぬほど辛いことを共感することが良いと思われます。

また友人の苦しみが少しでも和らぐことを念じております。

またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしています。

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おきもち

「自殺がダメな理由、死んではならない理由」

自殺はダメです。

死んではならない…は、少し違います。
死ぬ時が来たら、生き続けたくても死ななければいけません。

先ず、「生きたくない」と「死にたい」はイコールではありません。
「生きたくない」と思うほど辛い…
「じゃ死のう…」。
これは「死にたい」ではありません。

そして、自殺がダメな理由…

よく「生かされている」と言いますが、「自分の意志で生きているのだから、死ぬのも自分の自由だ」と思うのは、傲慢です。

もし、「自分の意志で生きている」のであれば、自分の意志で心臓を止めることができるはずです。
しかし、「死にたい」と思う意志とは関係なく、心臓は動き続けます。

つまり、自分の意志とは関係なく『生かされている』のです。
『死ぬまで生きること』がすでにプログラムされて生まれてきているのです。

そんな「いのちのリレー」「非連続の連続」が『生命の営み』という天地の道理(真理)です。

しかし、「生きるのが辛い…」と思うのも事実です。

ならば、辛い人生をどう生きるか?

その心の支えとなるものが、『宗教』です。

宗教には、その智慧が説かれています。

ですが、その宗教の智慧も万能ではありません。

その智慧の説くところは、「(辛い世を)どう生きるか?」なので、生きる意志を持つ者を救うことはできますが、「生きたくない」と思う人には残念ながら届かないのです。

あなたのご友人も、『本来のいのちの役割』に気付かれて、「どう生きるか?」に気持ちが向かれることをお祈り致します。

ご友人に寄り添うことは、誠に素晴らしいことですが、ご自身の心のバランスも崩さぬようご自愛下さい。

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おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
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あなたもその方も尊いから

拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるようにやはり私達の生命は無限のつながりの中で与えられたものです。
私達が想像することをはるかに超えてつながりながら構成されて存在しています。

私達の考えの及ばない中で育まれ続けています。

あなたのことを本当に大切に思っていらっしゃる方々が沢山いらっしゃるのです。その中には先に亡くなられた沢山のご先祖様方も含まれているでしょう。
普段気がつかないかと思いますし、気にも留めないかもしれませんが、あなたが生きていることを心から喜び支えて導いて下さる方々が沢山いるのです。

生きている中では本当に辛いこと苦しいこと、もう一切全て逃げ出したい、生きることを終わりにしたいと思う時はあるかもしれません。それは誰しもがそう思う時はあるでしょうからね。苦しみのあまり自分の生命を断ちたいと願ってしまうこともあるかと思います。

とはいえその苦しみが和らいでいけば或は救われていけばまた生きることにも前向きに向き合うことはできるかと思います。

死んでしまいたいほどに辛い思いをなさっていらっしゃることは認めて受けとめて頂き、少しずつでもその苦しみが和らいでいくよう支えて助けていく中で、少しずつ生きることの尊さや生きているそれぞれの人の大切さを分かっいくことはできるかと思います。

あなたやその方を本当に大切に思っている方々は沢山いるのです。できるならば与えられた天寿を全うなさり、そして次の世代につないでいって頂きたいと切に思います。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

返信ありがとうございます。
そうですね。心当たりが私にもあります。本当の所、とれだけ苦しく、辛いものかは、本人でなければわからない事ですよね。
誰かの事は、想像でしか無いですもんね。

私も鬱が本当に酷い時、誰もこの
苦しみを分かってくれない。こんなに辛いのに苦しいのに。と思っていました。

自殺が一概にダメだと言えない理由。

そうかもしれません。大切な家族をガンで亡くしましたが、とてもとても辛そうで、苦しそうで、見ているだけでも、苦しかったです。

あの苦しむ姿を見ていると、長生きてして!頑張って!頑張ろう!とは、なかなか言えず。緩和ケアにお世話になっていたので。本人も助かる事はないと思っていたかもしれません。

そんな中の苦しみ。こんなに苦しいなら早く死にたい!と本人が言ってました。聞いているのも辛かったです。

だけど本当にあの様子を毎日見ていると、生きて!とはとても言いにくく。でも死んでほしくない。辛かったです。

そうですね。肉体的な苦痛を伴う場合は特に、辛いかもしれません。心の苦しみも、他人には、はかれやしません。

本当に命を保つこと。大変な事ですね。

そうですね。きっと、友人も生きたいに決まっているんです。
だけど、悩みが解決しそうにないから、死ぬしかない!と思っているのかもしれません。

本当は、みんな笑っていたいし、楽しく生きていたいですよね。

私の鬱病はいつの間にか、どこかにいってしまっていました。

友人にも、治らない病気でないからね!一緒に戦おう!と、経験のある私ですから、痛いくらい気持ちもわかります。

そうですね。なんとか、なんとか、自身で、はっ!とするものがあればと思っています。

石井様も、辛く苦しい日々を乗り越えて今があるんですね!

本当に、本当に、当時は、石井様も、きっと、どうにもならなくなってましたよね。

石井様も、回復、今があり、本当によかったです。

慈陽院 平本様
お返事ありがとうございます。

命に関すること。
とても難しいので、そうですね。様々な答えを頂けそうです。

そうですね。悩み。
この悩みを大きくしてしまうのも、小さくしてしまうのも、

自分自身。自分で、ドンドン小さな悩みを大きく育ててしまうこともあると思います。

こうかもしれない!ああかもしれない!自身でドンドン風船のように膨らませてしまっている場合も。私にも心当たりが。

そうですよね!きっと、友人もそうだと思います。私の悩みも、解決しそうにないから、だから、苦しいから、もういい!死んでしまいたい!!よく考えるとそうです。

平本様の言うように、パッと、魔法か何かで悩みを消せるとすると、そうですね。

死にたい理由がなくなります。
そうですね。死にたい!のではなく。生きたいけれど、悩みが私を邪魔しているのです。

友人の悩みを聞いていても、なんだか、そんな風に思えるんです。生きたいのに、悩みが私をそうさせない。

悩み。本当に厄介な相手ですね。

本当は、よくよく考えると、今まで悩んできた事も、たいがいはクリアして、取り越し苦労な事も多くありました。

ワザワザ自分から、必要のない、なるようにしか、ならない悩みをワザワザ、考えて、自分で悩みを作り出し、発芽させ、育てている。そう言った事も多くありました。

どうやら友人も同じように、まだなっていない事への不安を感じるようです。
これが、そうなるかも!と。

ダメですよね。起きてもいないことを想像で悩んでいる。

心次第!なんとかなる!
お守りにしたい言葉です。

そうですね。まずは、心に寄り添って、気持ちを聞いて、否定せず、支えたいです。

共感できる。共感って、本当に嬉しい事ですもんね。

よかった。一人でないと思えることもありました。

私もよ!そうよね!あるある!
同じことあったよ!そんなとき私は、こうしたよ!

少しづつ、友人と進んで行きたいです。

お返事本当にありがとうございます。

丹下様
自己の本尊
おもいもよらない言葉でした。
とても。意味の深いお話をありがとうございます。

私。ではなく。命が主人公。
とても心に響きました。
色々と感じるものがありました。

自我、エゴは、とてもワガママで自分勝手だなと、すごく感じました。

生命本体そのもの軽視
とても深く考えさせられます。

命。とても不思議なものですが、
自分で生きているのではなく。

まず生かせてもらっているんですね。自分の意志と関係なく、日々心臓は動き、呼吸をし、命が続いている。

すごく不思議な事で、ありがたいこと。でも、これが、当たり前!と思っているのは違いますもんね。

最近、とても、仏教、お寺、僧侶様、お経や、お釈迦様など、仏教の世界にとても、興味があります。

仏教。知りたいです。
お釈迦様の教えを勉強したいと思っております。

今まで、こちらで、何度か相談をさても頂いた事がありますが。

今は、通院せず生活できていますが、何ヵ所もまわった、精神科のお医者様からもらえる言葉は、どれも響いたことがありません。心の内側に全く入ってこなかったんです。

ですが、不思議と、ハスノハで出会ってきたお寺様方の言葉はスッと入ってきます。

きっと日々命と、接しているお寺様だからなのだと思います。

お返事、本当にありがとうございます。

お寺様方から、もらったお返事は、読み返して、ホッと、することがたくさんあります。

お守りです。ありがとうございます。

GALUCHAT様
お返事ありがとうございます。
本来のいのちの役割。
大きな意味のある言葉ですね。

こんなに早くガンになるなんて思わなかった。もう少し後のはずだった。
大切な家族が漏らした言葉です。
生きていたい。が凄く伝わってくる言葉。

本当に心残りがたくさんあると思います。

こうして、命の姿を見ているのに、その命を支えながら、命が、どんなものなのか、目の当たりにしてきたのに。

本当に命に、とんでもなく失礼な事が、思い浮かんでくることがある。

ダメですよね。
命あってこそ。命がなければ、喜びも、楽しみも感じないのに。

直ぐに、悲しみや、辛さの方にばかりに気持ちがいってしまう。

大変な中でも、小さな幸せはあっているのに、そこに感謝が足りていないようです。

よそ様に助けられ、優しい声をかけられ、魂の優しい人に、涙が出そうになったこともあるのに。

一人大変だと思っているかもしれません。

みんな悩みのない人なんてきっといないですよね。

もっと命と真剣に向き合いたいです。

お寺様方から貰う言葉は、本当にお守りになっています。

日々命と関わりのあるお寺様方からの言葉は、私の中では本当にとても、大きいです。

苦しみを上手に生き抜く知恵をつけて行きたいです。

自分にはない発想。そこから、心を変えていけるきっかけを、仏教の教えから、私は学べるのではないかと思いはじめています。

とて仏教への知りたいが、高まってきています。

お返事本当にありがとうございます。

Kousyo Kuuyo Azuma様

お返事ありがとうございます。
そうですよね。ずっとずっと自分まで絶えることなく続いてきた
命の鎖。

ずっと繋がってきて、たくさんの数えられない程の、ご先祖様たちの、頑張りがあったから、ここまで続いてきた。

数えられない位のご先祖様が、側についてくれていますよね。

たくさんのご先祖様たちが、頑張ってきてくれたから、私がいる。

消えてしまいたい。なんて失礼なんだろうかと、心から思いました。

ご先祖様たちの続いてきた、命と、頑張って生き抜いてきた人生を、バッサリと切るようなものですよね。

今回の、思いきった、この命についての相談。本当にしてよかったです!

かなり心に蓄えられた、あたたかいものがあります。
一人じゃない。と思えました。頑張らないと!と思えました。

数えられない位のご先祖様たちの応援をバッサリ、あっさりと切っていいわけがありません。

こうしている間も、死にたくない、死にたくないともがき苦しみ、変えられない運命に打ちのめされて、命を落とす人もいる。

なのに。本当に死にたいだなんて、本当にどうしようもなくとんでもない事なのだと、ひどく実感させられています。

本当にお返事ありがとうございます。

また一つ、心のお守りが増えました。

定期的にここへ来て、またもらったお守りの一つ一つを読み返し、心に渇をいれたいです!

ありがとうございます。

とても心が軽くなりました!

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