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父が亡くなって3ヶ月

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苦しむこともなく安らかに息を引き取り、お浄土へ修行に出られた我が父のことで少々ご相談致したく。

確かに父は死を迎え、我が家からは表面上姿を消しました。
然しながら何かにつけて見え隠れする父の存在の大きさに息子として見ると詠嘆するばかりです。
「それに比べて我が身のなんという小ささよ」
とふと、自分が卑下の心にとらわれてしまいます。

無論、こんな心にとらわれるのは馬鹿げていて何も生み出さないのですが時折熱病のように我が身を襲うのです。

超えられなかった父の存在、超えるべきであった父の存在。
両者の間で惑う自分がおります。
「僕は父のようになれただろうか?」
「僕は父のようになれないのだろうか?」

「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実が苦しいのです。
如何ともし難い現状ですが、少しでも抜け出せるお言葉をいただけたら幸いでございます。

合掌。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつまでも誇りに思える立派な父と解釈を

お仏飯はタン塩様、はじめまして。一妙寺の赤澤と申します。ご心痛お察し申し上げます。

母の愛が海よりも深ければ、山よりも大きいのが父の背中です。どうかご自分を卑下などなさらないでください。

お父様を超えることはできません、なぜなら自分がいくつになっても父なのですから。そしてあなたはあなたなのですから。

「僕は父のようになれただろうか?」
「僕は父のようになれないのだろうか?」

世の中には父親のことをお仏飯はタン塩様のように思えない方もいらっしゃいます、いつまでも尊敬できる父がいるというのは有難いことです、父を超えるのではなく、誇りに思える立派な父がいると発想を転換されたらいかがでしょうか。

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サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプ...

「比較と劣等感」ではなく「敬愛と追慕心」

お父さんが社会的に立派過ぎて子供がコンプレックスを持ってしまい、ノイローゼになってしまった人がいます。
親の抑圧やプレッシャーもあったのでしょうが、本人が真の意味で独立していなかったことも原因であると思います。
あなたは自分が自分を愛せるために親しめる道を歩むことです。
実はお父さんの子ではないからです。
ドキッとさせて申し訳ありません。
だからと言って世間を騒がせているDNA問題ではありません。
お父さんと、お母さんの子だからです。
父親の期待に応えたくてもジャンル、分野的に、体力、知力的に出来ないことがあります。
あなたはあなたをやればいいのだと思います。
あなたは父の子であり、母の子でもあるからです。
顔が似てるからって別に100%似ている側のDNAを全部そっくりもらっているわけではありません。その両方の力、智を頂いているのですから、その中で咲かせる花を咲かせば良いのです。血はつながっていても、育った畑は違うのですから。
でも敬愛する気持ちは大切です。
先日亡くなられた農家の方が生前、何度も仰ってました。
「親父には到底かなわん」
それは尊敬の気持ちだったのです。
否定的な気持ちではなく、ポジティブに、目標として、理想として、とても追いつかないけど、立派だなあ、と。お父様を認め、讃えるのです。
私がお預かりしているお寺の本堂を建立しててくれた宮大工の棟梁様も「先代や昔の人には到底かなわない」と。
それでもその方は日本では誰もが認める名棟梁です。
「比較と劣等感」という誤った道の求め方を捨てて、前へ進むための「敬愛と追慕心」の気持ちを御霊前に捧げてください。あなたのとお父様との魂が共鳴し合い、お父様が行くべき道へと導いてくれましょう。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

比較するべきことじゃないと思いますよ(^_^)。

お亡くなりになられたあなたの愛する大切なお父様のお姿が頭の脳裏から離れない。
まさにそれであってこそ親子なのです。
しかし、あなたはお父様のコピーロボットではありません。
あなたはあなたが育ってきた環境によって今のあなたが作られ、お父様はお父様が育ってこられた環境によってお父様が作られてきたと僕は思います。
だから、あなたとお父様は同じではありません。
しかし、お父様をお慕い申し上げ、お父様ならばこうしていたのではないのか…と考え、実行に移すことに対してお父様はたいそう喜ばれると思いますよ。
心のこもった何よりの御供養かと(^_^)。
ただ、その実践のためにあなたの心に悩みがつきないのならそれはよくないでしょう!!。
あくまでもあなたはあなた。自分自身を拠り所にしてください。そんなあなたをお父様は守り続けてくれますよ。

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みなさん、こんにちわ。童楽寺の副住職の小林裕淳(ゆうじゅん)といいます。悩...

あと一歩です

「「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実」~ここが大きなポイントなのに、それを「苦」と受け止めていらっしゃいますね?

生まれてから未成年の間くらいまでは、男の子は母親似、女の子は父親似が多いようですが、中年を過ぎるころから不思議と男は父親、女は母親に似てきます。顔のつくりというよりも、雰囲気、後姿、声など。

ボクは幼いころから顔は母親似と言われ続けてきましたが、40を過ぎたころから読経中の後姿などが父親に似てきたねと言われるようになりました。

人は生まれて最初に長い時間を過ごす同性が両親です。ですから、無意識にその言動を覚えて成長し、大人になると覚えた言動がこれまた無意識に出てくるんだと思います。

そして、両親に言われた教え、躾などを踏襲し、それをまた我が子に教え、躾ていきます。両親が亡くなり、その姿かたちが消滅しても子の中にはしっかりそれが残り続けます。

超えるとか超えられないという問題ではなく、両親が生んでくれた事実、そしてともに過ごした事実こそが「私」を形成しているのです。ですから、あなたが思っている以上に、あなたはお父様(むろんお母様も)とともに存在し続けています。つまり、父のように成るかどうかを問う以前に、すでに成っていらっしゃるということであり、「「父」という存在が未だ自分を動かしている。という事実」こそがあなた自身の根源だと思います。

合掌

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真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...

3歩進んで2歩下がる

お仏飯はタン塩さま
なごみ庵の浦上哲也です。

仏さまと成られたお父さまの存在を、より大きく感じていらっしゃるのでしょうか。
でもそれは、お父さまにとっても貴男にとっても、ある意味幸せなことのような気がします。親子として生まれても、必ずしも誰もが縁深いわけではありません。そんな中、何かにつけてお父さまの存在が見え隠れするのは、それだけ強い絆で結ばれているということではないでしょうか。

超えられなくてもいいじゃないですか。
超えるべき、なんて思わなくてもいいじゃないですか。
自分にとって最も近い仏さまとして、見守って頂きましょう。

あと、貴男がお父さまの存在を大きく感じる原因のひとつに、やはりまだ時間があまり経っていない、ということがあると思います。
季節が2巡り、つまり2年すると、頭だけでなく腑に落ちてくることがあると思います。それまでは3歩進んで2歩下がる、前向きになったり苦しくなったりするかもしれませんが、それも大切なことなのだと思います。

また苦しい時には、hasunohaにご相談下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

「比較」すること

お仏飯はタン塩様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度のお父様のご逝去、改めまして誠にお悔やみを申し上げます。

以前のご質問にてお父様とは生前に確執がおありであったとおっしゃられていましたが、臨終に際して「すべてを許した感情」と御礼にて述べられておられまして、お父様の死を冷静に受けとめられたご様子でございましたものの、まだまだ色々とお父様の存在がお仏飯はタン塩様にとって大きくおありのようでございまして、おつらいお気持ちの程をお察し申し上げます・・

ただ・・「お仏飯はタン塩様」は、「お仏飯はタン塩様」であり、「お父様」に成ることはできませんし、「お父様」とご自身を比較なさられることはあまり意味がございません。

「比べる」ことにつきましては、最近の問い「どうすれば自信がつきますか?」( http://hasunoha.jp/questions/348 )にて扱わせて頂いております。あるいは、問い「周りの友人が羨ましくてたまりません。」( http://hasunoha.jp/questions/290 )や問い「人の成功を喜べません」( http://hasunoha.jp/questions/184 )、問い「友達の幸せを喜べない自分が嫌い」( http://hasunoha.jp/questions/124 )の皆様のご回答、拙回答も参考となるのではないかと存じております。

是非、「比較」することはあまり意味のないことだと、少しくでもご理解を賜われましたらと存じます。

もちろん、「お父様」のようになりたいとして、一つの目標として努力し、ご自身の向上に繋がることになれば、それは誠に良いことではございますが、比較し、自分自身のことを卑下し過ぎることは、卑下慢、あるいは卑慢と申しまして悪い煩悩の一つとなります。

このことに関しましては、下記の問いにて扱わせて頂いております。

問い「自分を大切にして欲しい時。どういった言葉を掛けたらよいか。」
http://hasunoha.jp/questions/378

お浄土の「お父様」への御供養をなさられつつ、報恩を思いながら、お父様に恥じない生き方を心掛けて、どうか少しずつでも自信を持って、ご自身はご自身の人生を歩まれて頂きたいと僭越ながらにも存じております。

川口英俊 合掌

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質問者からのお礼

数々のお言葉誠身に染み入りましてございます。
そういえば釈尊の教えに「自灯明法灯明」と言う言葉があったのを思い出しました。
ここで言う法は父親の存在であり、自とは我の進む道。
まさにそのことであったのだと頓悟した次第です。
有難うございました。

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

母の死が受け止められません

2度目の相談で申し訳ございません。 5月末に母を亡くしました。わずか2ヶ月余りの闘病で薬も効かずあっという間でした。母が帰りたいと言うので、主治医を説得して退院、家族全員で看取りました。 母の最期を見届けたのに、それが夢のように感じて受け止められません。母が部屋にも台所にもいないことに悲しくなり、どこに行くにも必ず連れて行っていたので、行く先々で思い出します。遺骨を見て、あ、ここにいるんだ、と不思議な気持ちになります。亡くしてから、母の存在の大きさに気づきました。家族のバランスを取ってくれていたのも母だったのです。当たり前の毎日を失い、その深さを知って悲しみに暮れています。 この苦しみや寂しさはいつまで続くのかと思うと、元気が出ません。先日も妹と大喧嘩になり、落ち込んでいます。 生きる意欲が持てません。 自分の年齢を考えると、いつまでも、と思うのですがどうしたら良いのかわかりません。夫は、わたしが看護師だから家で看取ることができたんだよ、親孝行できたよ、と言ってくれるのですが、わずか数日の看病でしかなく、もっと頑張れたし、してあげたいこともたくさんあったのに、と思います。とにかく苦しくて仕方がありません。

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夫の突然死、生きているのが辛い

5/17に夫が亡くなりました。 29才でした。 持病もなく、本当に直前まで、ご飯をおかわりするくらい元気でした。 普通におやすみと言って、一緒に寝ました。 私も今29才です。生後5ヶ月の息子がいます。 なにが辛いか分からないくらい、全てが辛いです。 誰かに助けてほしいのに、なにをどう助けてほしいのか分かりません。 思いつく限りの辛いことを以下に書いてみました。 ・彼に会いたい ・毎朝起きて絶望するのが辛い ・なんでも彼との思い出があり、辛い ・夜中に目が覚めて、彼の様子が変だと思ったが、救急車を呼ぶか迷ってしまった。心臓マッサージよりも先に自分の着替えをした ・救急隊員が忘れ物をしたので、部屋に取りに帰る時、息子をだっこしていたので、エレベーターに乗ってしまった ・最初障害が残ったり植物状態になるかもと言われた時、育児に介護とそんな献身的な妻になれないなと思ってしまった ・息子が産まれてから小さいことで彼に怒ってばかりだった ・いつも彼をからかってバカにしてばかりだった ・最後の夕飯がよりにもよって1番手抜きだった。私だけ生き残って、彼の好きな食べ物を食べるのが辛い ・彼のために家事や育児を頑張っていた。毎日やることがなくて辛い ・子どもが好きなのは彼だった。いつもニコニコしてるのは彼だった。私だけだと息子が変になってしまうと思うと辛い ・彼がみんなに伝えたいことはなんとなくわかったので、伝えられた。けど、彼が私に何を言いたかったか分からないのが辛い ・なぜ彼だったのか、なぜ私ばかりこんな目にあうのか、答えがなくて辛い ・病院の先生にストレス等誰のせいでもない、運だと言われた。責める場所がなくて辛い ・死にたいと言うと、みんなに生きろ!死ぬな!と言われる。彼はそんなこと望んでない、逆の立場だったらどう思うと言われる。正論ばかり言われるのが辛い ・人が亡くなったニュースや不幸な話を聞くと笑っている。そんな私が息子を育てることが辛い。 ・息子が5ヶ月になった、寝返りができた、彼の知らない息子になるのが辛く、喜べないことが辛い ・彼がいないのが辛い ・実家に帰っているが、両親という夫婦を見ながら生活するのが辛い ・生きているだけで偉いはずなのに、段々外に出ろ、笑えと周りからの要求が増えるのが辛い。 ほんの一部です。 助けてください。

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母親が亡くなったことに納得がいきません

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母の死について

母は6年前私が22歳の時になくなりました。私は3人兄弟の末っ子で、次男2歳違い長男13歳違いなのですが長男は母の子供ではなく父の連れ子です。そのことを直接はしらされてなかったのですが私が16歳の時、母に癌が見つかり食事など作れなくなり近くの母の実家に夕食を食べるという生活をしていました。ある時母の祖母が母の結婚式の時に読んだ手紙を見せてくれたのですが、母が結婚した年齢と長男が産まれた年齢が違うことがわかり母の子供ではないということに気づきました。 それから数ヶ月後母の癌が再発し余命3カ月ということを父から知らされました。 その3週間後に母救急車で運ばれて病院にいるという連絡を受け、私はすぐ病院に行くと母は危篤状態という感じで私が来たことはあんまり認識していませんでした。 それから長男夫婦が来たのですが 母は認識したようで名前を呼んでいました。それから危篤状態が1日ほど続いたのですが結局私のことは認識することなく亡くなってしまいました。母が亡くなったショックと認識してもらえなかったショックで私は母にとってなんだったのかなとい思いがあり私が母の子供で良かったのかという疑問が湧いてきました。もちろん母からの愛情を受けて育ったという自覚もありますし本当に優しい人でした。でも最期が最期だけに今でも不安が押し寄せてくる時があります。これをどう捉えていったら良いのかアドバイスをいただけると有り難いです。よろしくお願いします。

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母の死を受け入れられません

5月に母を亡くしました。病気がわかって、わずか2ヶ月。あっという間に病が広がりました。コロナのこともあり、付き添いどころか面会もできず、やっと亡くなる1週間前に面会と付き添いの許可が出ました。 母は、自分の最期が近いとは知らなかったので、悩んだ末にわたしから伝えました。母は困ったような、複雑な笑顔で最後まで聴いていました。そして、仕方がないね、と言いました。それならもう何もしたくない、命が短くなっても家に帰りたい、と切望したので自宅退院し家族で看護し、数日後に家族全員で看取りました。 いま、母を失い、その大切さを痛感しています。 元気に帰れなかった母の姿、最期の母の姿を目に焼き付けたのに、なぜここにいないのか、母に触れられないのか、話ができないのか、そればかり考えます。 どこに行くのも母が一緒だったので、行った先で母を思い出しては涙が溢れます。 母に触れたい、もう一度話がしたい。 当たり前の喪失感なのかもしれませんが、苦しくて苦しくて、寂しくて寂しくて、どうしたらよいかわかりません。何をする気にもなれず、夫にも申し訳ないと思うのですが、体がいうことを聞きません。 無気力な状態から抜け出すには、ただ時間が過ぎるのをじっと待つしかないのでしょうか? 母の病に気づくことも出来ず、悔やむ気持ちもあります。 わたしの人生を生きなければ、母が悲しむとも思います。 わかっていても、苦しい。 いつになったらこの悲しみから抜け出すことはできますか。 それまで、何を思って生きればよいのでしょうか。 母に会いたい。話がしたい。ただそれだけのことが叶わないもどかしさに押しつぶされそうです。

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母の死とその後の生活

母の死に対する後悔と、その後の家族関係、これからの自分の人生で悩んでいます。 母は二年前に心臓の病気で亡くなりました。うちの家族は両親の仕事の都合で長い間別居しており、私だけが実家で一人暮らしをしていました。ですが二人の定年に伴って四年程前から再び両親と私の三人で同居をし始めた矢先でした。 同居し始めた当時、私は色々と上手くいっておらず、いつもイライラしていて母に冷たくあたっていました。自分の事で頭がいっぱい過ぎて本当に馬鹿で、申し訳ない事をしたと思います。母は三年程前から具合が悪くなっていきましたが、私のその態度が母の負担になり、母の身体を悪くしてしまった気がしてなりません。うちは両親があまり仲が良くなく、母は父の事はあてにしていなかったので(父は酒癖が大変悪いです。朝昼晩呑んでいて昨日の事もほとんど覚えていません)、母には私しか頼りがいなかったのに、その私が母を追いつめて、何て馬鹿なんだろうと考えると苦しくなって涙が出てきます。 それ以外にも、今後の自分の人生を考えると気が重くて仕方ありません。 仕事は母を亡くした後、半年程で辞めてしまいました。元々合わない職場だったのと父が何も出来ない人なので、母の死後の手続きや家事などやる事が一気に増えて、疲れて辞めてしまいました。手伝って欲しいと頼んでも「分からん」と言われただけです。結婚して離れて暮らす兄もいますが兄も「忙しい」との事で何も手伝ってくれませんでした。 父は今までもそうやって面倒な事は全て母に任せて生きてきたようで、まるで生活力がなく、銀行からお金を下ろす方法も知りません。普段は優しくお酒が入っても家族に手を挙げたりはしませんが、だらしなく人任せな性格です。育てて貰った事に感謝はしていますが、これから父と二人でずっと暮らすのかと思うと少しうんざりします。私には好きでずっと勉強している事があり、それに集中する為に一人暮らしも考えるのですが、高齢の父を一人にするのが心配なのと、集中した所で大した才能もないのに上手くいくのか?という不安もあり、なかなか踏み切れません。 最近、夜ベッドに入ると色々な事が頭の中を去来して眠れなくなります。死にたいと思う事もありますが、家族が悲しむだろうと思い踏みとどまっています。 どうか今後どうすれば良いかお知恵を拝借頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。

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母の死、今後の生き方について

昨年の9月に母が病で亡くなりました。 少しずつ元の生活に戻り、笑うことも増えてきましたが、まだふとした時にどうしようもない悲しみと孤独感に耐えられなくなり、涙が止まりません。 そんな中で、今後の実家のことについても悩んでおります。 元々は両親と私、母方の祖父母•叔母(三女)、愛犬と住んでおり、二世帯での生活でした。 しかし祖父が亡くなり、母まで亡くなり 私は母の病気が見つかる少し前に実家を出てしまった為、今は父と祖母と叔母しか住んでおりません。 愛犬のお世話と祖母の負担を減らすために 、平日は毎日叔母(次女)が来てくれていますが、叔母にも叔母の生活があるし、いつまでも甘えていられないと思っています。 ならば、私が実家に戻ることが最善だろうと分かってはいるのですが、仕事を続けていては結局日中家をあけてしまうので、実家に戻るのであれば仕事もやめ、長年交際している彼とも別れなければいけません。 (元々婿に入って欲しいという話はしていましたが、彼の事情もありそれは厳しいと言われました。) 家族のために、と思う気持ちと 自分の人生とは、と思う気持ちの葛藤です。 父のこと、祖母のこと、摂食障害の叔母のこと、色々考えてしまい、どうすればいいのかわからなくなってしまいました。 母が「自分のせいで」って思わないようにしっかりしなければいけないのに 「母がいれば」と思ってしまいます。 まとまりのない文章で申し訳ありません。 宜しくお願い致します。

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亡くなった母親の希望を叶えたい

長文失礼します。 先月21日に一緒に住んでいた最愛の母親が浴室で亡くなりました。昨年難病になり今年3月再発し、4月に入院の件で喧嘩しながら再入院、翌5月に退院し一週間後に亡くなりました。 直前迄元気だったそうですが、前日身体が動かない、治療が悪い、こんな苦しい治療を選択させたのは貴女達(嫁に行った姉がます)のせいだ。と言われました。亡くなった当日病院に行く予定でしたので、後悔と苦しさで毎日泣いてます 49日はまだですが、葬式後姉夫婦がお経をあげてくれたお寺に行き、永代供養等話聞いてくれました。実は墓守は私限りで、今年お彼岸の際、父親が介護保険施設に入所中見舞いの帰り、母親とお墓の話をしてました。母親は『決してお墓の土地は売るな、一度は入れろ、墓守は甥や姪にさせろ』と言ってました。 私は現実的では無い、と言いそれきりになってしまいました。 購入した墓の土地近くには叔母の同じく購入した墓の土地が有り、私がお参りしなくても、叔母やその家族がお参りしてくれるだろう、との考えだったようです。 生前話してました。 母親の生まれ育った土地柄そういう習慣でした。 姉が相談したお寺の住職様曰く、墓を建てるにも墓仕舞いもお金がかかる、考えてくれ。行事がある度遠い墓より、近くのお寺に永代供養した方が手を合わせられる。と言われたそうです。 そのお寺では永代供養とはお骨を皆と一緒にして、供養塔に納骨し、他の人と一緒に毎日祈ってくれるそうです。また、 納骨も納骨堂が有るそうですが、吹き曝しのお堂らしいです。かなり古い骨壺もあったそうです。 因みにそのお寺と当家族とは縁もゆかりもなく、たまたま母親の実家と父親の実家の宗派が同じだった事から葬式会社が頼み、お経を上げて頂きました。 49日も終わらず、また、私自身母親の死を受け入れておらず苦しい毎日です。 最後の母親の希望を叶えつつ、どうしたらいいのか教えて頂ければと思ってます。

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全員に申し訳ないです。

 半年前に父が他界しました。蜘蛛膜下出血で急死でした。  父は会社からの帰宅中に意識を失ったそうです。  その後、意識を失ったまま病院に運ばれ次の日に手術を受けることになりました。僕は悲しいというより実感がなく何も感じられませんでした。  次の日になると、母が「学校で勉強してた方が父も喜ぶ。」と言ってきました。2人きりになりたいのだろうと思い、僕はその通りにしました。  学校では、いつも一緒に登下校している友達1人だけに父が入院していることを伝えていました。  4限目ごろの体育の授業で、父が手術で苦しんでいる頃に、僕は色んな人に自分が大変だつらいと知ってほしくて、気にしてほしくてかっこつけたくて4人ぐらいでいるときに「もう死んだかな」と言いました。笑いながらです。その時の自分の気持ちはよく覚えていません。友達は聞こえていなかったのか反応はありませんでした。知っている1人の友達は無視してくれたのかもしれません。  その後もう無理だと言われて意識がないまま他界しました。  父は僕に悪いことはしていません。いつも優しく色んなところにつれていってくれました。いつも楽しかったです。もっと一緒にいたかったです。  ぼくは最低です。父にも父が入院している時もずっと泣いていた母にも申し訳ないし生きてる価値はありません。でも死ぬ勇気もありません。普通の生活を送り続けている自分が怖いです。自分のせいで父が死んだ気がします。 父に謝ってますがもちろん返事はないし母に言うことなんてできません。もう嫌です。苦しいです。全て自分が悪いのは分かっています。僕はどうすれば良いのか教えてください。

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父の死から2年3ヶ月

現在私は小中高一貫校に通う、女子高校生3年生です。 父はいわゆる教育パパで、私の行く学校や塾など全部決め、大学も全部決めていました。 また、昔は週に一度ほど暴力を振るわれていましたが、いつもは哲学的な話をしてくれる優しい父でした。頭が良い大学の医学部の准教授だったので、勉強もよく教えてもらいました。そして死の2年前ぐらい、肺癌を宣告されてから特に仕事よりも私たちを優先してくれる様になりました。 父が亡くなり、大学の先生方から基金として100万円頂きました。しかし、周りの人は私のことを何も気にかけてくれなかった様に感じました。妹が少しだけ学校に行けなくなり、母はそちらを怒鳴ったりとしていて、友達も私になんて声をかけたら良いのかわからなかったそうです。 私は、今まで我慢していたものをしよう、周りに認められよう、慰めてもらおうとして作文や料理、俳句などでたくさんの全国賞を取り、法学や量子力学、演劇や落語などの団体に属し日々を過ごしていました。勉強は全くしていませんでした。 結局、生徒会は中でいじめられ公約が守れず、色んなところで慰めてもらうために父のことを話したので「死を利用するな」と匿名で悪口を言われ、聞こえるように悪口を言われ、クラスでは無視をされ、友達はいなくなり、成績は下がり、夢だったHSDという渡米無料留学に最終選考で落ち、生徒会長も落ち、キャンプで出会いその人のことしか考えられなくなった好きな男の子にはやり捨てをされました。 今年度人生でほぼ初めての受験を迎えます。 父は私に理系に行く様に言っていましたが、私は父が亡くなった1年後に行われた文理選択で文系を選んでしまいました。 どこの大学を受けたら良いのか悩み、父が頭が良く、従姉妹が皆良い大学に進学したので周囲の重圧もあります。 今まで、良いこともたくさんあったはずなとに、悪いことは幼児期の細かいことから全て言えるぐらい覚えています。 6月一杯休校なのですが、勉強する気が続かなく、勉強していると頭の中で上の辛かったこと、悲しかったことを反芻してしまいます。そして、ごめんなさいと何回も繰り返して言い、あの子自殺したってと口ずさみ、YouTubeなどに逃げ、インターネットで「自殺」と調べ、病んでいく循環にはまっています。 苦しいです。今までのことをなかったことにしたいです。悪いことを思い出したくないです。

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