友人の悩みを聞き続けた結果・・
1年半前、友人から「旦那に浮気された」と相談を持ち掛けられました。
それまでの私と彼女は、わりと何でも話せる方で、色んな話をして笑っていました。
彼女はだいぶ弱っていたので、その日から今日まで1年半、
立ち直って欲しくて、何度も頑張って励ましました。
深夜の電話でも、励ましました。
しかし、話を聞いているうちに・・・
旦那さんより友達のほうが悪い気がして来ました。
(仕事等で傷ついた旦那さんのフォローをしない奥さんだったと判明。)
そしてまた最近、話をしました。
私は何気なく、自分の仕事が上手くいっている話をしました。
そうしたら、
そんな話、聞きたく無い!と逆上&炎上・・・。
なんというか、それがあまりにもショックでした。
大声で「それを聞くの?私が?」と言われ。。
今までの励ましも気遣いも、全部当たり前だったのかなぁと
ショックを受けてしまいました。
もしかして、旦那さんもこういう彼女の姿を見て、嫌になってしまったのかなと・・。
優しく接していればきっとわかる日が・・と思っていた私の優しさは
違うものだったんだと反省しています。
もうあまり相手に感情移入出来ないけれど
出来れば立ち直って欲しいです。
こういう友達には、どう接しているのが良いのでしょうか?
お坊さんの意見をお聞きしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相談に乗るということは、ただただ聴き続けるということです。
相手の悩みを聴き続けることで自発的な立ち直りを促す、傾聴という方法があります。
その方も、アドバイスが欲しいわけではなく、ただただ愚痴を聴いてほしいだけなのでしょう。1年半も付き合っていて、でも精神状態が変わらないのは、元々そういう人だったのではないでしょうか?
これからは付かず離れずの距離を保って、ご自身のことは全く話さないようにすれば良いと思います。それでも付き合うのが負担になるのなら、徐々に離れていかれては?
カッパのお皿
あまり難しく考えなくて良いと思います。
単にたまたま愛情不足でカラッカラの彼女の逆鱗に触れた、地雷踏んだ、怒りスイッチを押しちゃった、でよいのではないでしょうか。
結論「怒りを手なづける機縁とせよ」です。
唐突ですがカッパのお皿は敏感です。
乾くと死んじゃいます。
知覚過敏シュミテクトを塗らないと神経過敏です。
彼女は愛のSKⅡ、慈悲のドモホルンリンクル的な潤いを欲しているのです。
人の心の中には誰でも豚と、カッパと、サルが棲んでいます。
そうです、猪八戒と沙悟浄と孫悟空です。
そーです、別名、貪・瞋・痴(とんじんち)です。
ソーです、直訳すると、1むさぼり、2いかり、3おろかさ、です。
soです、玄奘三蔵とは僧です。実はこれは深い意味では我々のコトです。
人間性を高めて天竺(悟り)を目指している最中なのでーす。
それを象徴している仏教のお話こそがドラゴンボールなのです。
USOでーす、西遊記でーす。
アドバイス
怒りは拒絶する姿勢ではだめです。
釈迦の手のひらの上で手なづける事でおさまります。
ひょっとすると貴女も「なんでそこでキレるかぁ?」「今までさんざん聞いてあげてたんだからンな事で怒んじゃねえよ」とキレ(怒っ)てしまっていたかもしれません。
あなたにも私にも怒りの心はあるのです。だから手なづけるべきです。
私も貴女の質問を機縁として今後も怒らない様に精進いたしますので、貴女も彼女を機縁として自分の怒りをおさめるきっかけにしてください。
誰でも心が愛情の水で満たされていれば、我々のカッパ、泳いでるイン・マイ・ハートフル・マインド♡ お皿も潤って幸せ。この時ばかり安楽です。
愛情の水が枯渇すると危険状態。「キレっぞ」「人にシアワセ、キライっ」「あぁぁたしぃぃが聴くのぉぅ?」となるのです。
彼女の事を笑っちゃいけませんが、ここで人間のサガというものをおおいに笑ってノーサイドにしましょう。
そしてより大きな人類愛、菩提心に目覚めてください。
「ああ、私も、愛が不足すると怒っちゃうこと有るかもなぁって。」
彼女のカッパのお皿(たとえは悪いですが)を、女子同士ならではの愛、サービスでランチでもおごって、もう一度潤してあげましょう。
どうしようもないと思います
お経の言葉を引用するのであれば、他人の気持ちはわからないとあります。
他人をどうこうする事自体厚かましいお話です。
どの様な関係の人でも同じです。
気にしなくて良いと思います。
たった1年半聞いただけで諦めますか?
pppさん。友人の性格を変えようとしてるのか、相談に答えようとしているのか、どちらでしたか?あなた自身その友人の相談というか、愚痴も聞けないで、どう接していいか分からないと書いてますが、他人の性格や気持ちを変えたり、悩みを解決しようと思うなら、全身全霊で立ち向かわないと友人の話だけを一方的に傾聴するのみでは解決いたしません。友人の旦那様にお会いするとかして、双方の意見を聞き、納得いく解決策を見出さないといけません。裁判などは判決が出るまで1年以上かかるのはザラです。調停も然り。プロがやっても1年は掛かることがまして素人が行えばいい方向に解決するには並大抵の知識と経験では解決できないものです。ワシもそうです。このhasunohaで皆さんの質問を答えながら日々勉強もしております。この人にはどんな回答がいいのか。もし実際お寺にこのような人が来たらどう接すべきか。常に反省の毎日です。
悩みが生まれてから解決するまで、数日で解決できるものもあれば長い時を得ないと解決しないこともあります。本当に友人の悩みを解決したいのであれば何年掛かっても友人と向かい合うべきです。本当の友人なら見捨てずに話を聞くべきです。見せかけの友人であったなら一切連絡しないことです。
あと、夫婦生活も長くなるとお互いの欠点や嫌なことが見えてきますし、心を許せる友人に話したいものです。あとはどんな理由でも浮気はいけないと私は思うのですが・・・だからあなたの友人は悪くありませんとワシは思います。
温泉は土を深く掘り続けないと出ません。
相談される側としての拙見解
ppp様
川口英俊でございます。相談される側としての拙見解として少し述べさせて頂きます。
夫婦間のことの相談や恋愛の相談、友人関係の相談など、人間関係についての相談では、ある程度、自分の経験則、あるいは世間一般的な経験則、解決論等を基として模範解答的な回答を述べさせて頂くことはできるものの、判断するための情報量が少ないと、どうしても当たり障りのない 、波風立たない内容に落ち着いてしまい、根本的な解決にならない場合がございます。
それでも誰かの意見がほしい、専門家や例えば私たち僧侶の意見がほしいという場合もあり、回答を提示させて頂くことで参考として頂けることはできるのではないかと考えております。
また、相談することによって、既に自分なりの回答を持っているものの、なかなか決断できないため、その後押しを期待して、という場合もございます。この場合では、既にその方が「こう回答してほしい」と質問の中で方向性を醸し出している場合があり、それを捉えることで、決断へ向けた回答ができることとなります。
更には、誰かに相談することで、その内容を伝えることを通じて、より自分を客観視できて、冷静に状況を分析することに繋がり、相談することそのこと自体によって自分自身で解答を見つけて解決が図られる場合もあります。
しかし、いずれにしても、その方と一心同体となることができない限り、相談を聞く側としては、その方の生い立ちや性格、環境、感情、思想、背景等を詳細に知り得ないため、真にその方のための回答など本来できるはずがありません。
つまり、どのような問題でも、真に解決させるには、自分自身によってでしか不可能なのであります。
それも、この世にはもともと問題はありません。問題を生じさせているのは、私たちそれぞれの愚かなる心、無明(根本的な無知)にあるため、特に仏教では、その原因をしっかりと各々にて解決させていくことに取り組む必要があると結論的には答えていくこととなります。
そのため、結局は、どうか仏法を学び、修するために共に仏道を歩みましょうとしか言い得ないのでございます・・
聞くだけでは到底解決できなさそうでしたら、是非、そのご友人に仏教の学びをお勧めして下さいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
みなさん、様々なアドバイスをありがとうございました。
お坊さんでも色々な考え方があるのですね。
どうやら相手のお皿は灼熱、私ごときでは焼け石に水。
私はそのお皿に手を触れて火傷したようです。
他のことを見て生きていこうと思います。
彼女に日傘を差して、お皿に水をあげつつ
徐々に離れてみようと思います。
とても励まされて、この悩みは心からスコーン!と解消されて消えていきました。
本当にありがとうございました!!