浄土真宗の方にご質問です
私は長年、極楽浄土に往生したら仏となることが定まるだけで、往生したその時から仏となるための修行が始まるものだとばかり思っていましたが、最近知り合いの浄土真宗のお坊様から「往生した瞬間から仏」ような内容のお話を聞かせて頂いて混乱しています。
釈尊の次に仏になるのは弥勒菩薩であってそれは56億年後の話だから、少なくとも極楽往生してから56億年は待たないといけないのかと思っていました。
宗派による解釈の違いなどを取り違えていたんでしょうか?浄土真宗として正しい認識をどのように持てば良いのでしょうか?ご教授下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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往生即成仏です
こんにちは、初めまして。
聞法にかかわるお尋ねを聞くのは、お念仏の友としてとても嬉しいです。良いご縁を結ばれていますね。
私は浄土真宗本願寺派の僧侶としての立場を申します。あなたの所属しておられる派は同じでしょうか。
結論から言えば、そのお坊さんが言われた通り「往生した瞬間から仏」が正解です。親鸞聖人のお書物、『教行信証』(信巻)に「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す」とあります。つまり、御信心を頂いた衆生は、命終われば即お浄土にて「大般涅槃を超証す」、大いなる悟りを得させていただく、とあります。そう、往生即成仏です。この意味でお釈迦様と<同じ>仏様になります。
いわゆる、「次如弥勒(しにょみろく)」とは、信心を頂いた衆生が<現世において>弥勒菩薩のように次の生で仏になることが確定しているという意味で同等ということなのです。確かに、弥勒菩薩は長い年月を経て仏になるのですが、その年月のことを強調しているのではなく、仏になることが確定という点を強調しているのです。この意味で、仏様と<同じ>ではないけれども、確定しているという意味で<等しい>立場(菩薩さまと同じ)にあるという事になります。また、この信心を頂いた立場の人を「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」といいます。現世で往生成仏が確<定>するのであって、浄土に往ってから確定するのではありません。
大変よくご聴聞しておられますね。だからこその問いです。
ご参考になれば幸いです。
【等正覚】
あなたのほうが正しいです。
でも、僧分とて「往生した瞬間から仏」と勘違いしておられる方のほうが、はるかに多いと思います。
[念仏する→必ず極楽往生が決定する→→→必ず成仏]
端的にいえば、浄土真宗はこんなシステムなんですが、理屈通りに極楽に首尾よく入れてもらったとしても、成仏するまではやっぱり仏ではありません。しかしながら、一度入れてもらえば、どんなに能力の劣った者でも、絶対に途中で見捨てられる事なく最後には必ず成仏できます【摂取不捨】というのが極楽浄土の極楽浄土たる所以ですので、元を辿れば、[念仏者= 成仏] です。成仏したに等しい。つまり【等正覚】という事です。でも【正覚】ではない。
「等しい」と「同じ」は違いますよね。
浄土真宗の宗派によって解釈が違うんです。
共通なのは
仏となるための修行は
既に阿弥陀如来がなさっていて
我らは
その阿弥陀如来の御力(=他力)のおかげで
成仏できるということです。
そのことへの感謝が御念仏です。
仏さまの世界は
我ら人間には不可思議の領域で
時空に関しても
我らの感覚で考えてはいけません。
56億年間も
仏さまにとっては一瞬なのかもしれませんね。
そんなことはどうでもよい。
いつまで生きるのか、
いつ死ぬのか、
人間には計り知れません。
生きることに不安を感じ、
死ぬことに不安を感じる。
そんな私たちの為に、
阿弥陀さまが極楽浄土を
お造りになられた。
明日をも知れぬ我が身に、
極楽浄土に行けば、
あとは仏になって、
修行がいならいのか、
はたまた、
そちらで修行するのか、
そんなことはどうでもよい、
こんなつまらない、
お粗末な私が、
極楽浄土に行かせて
いただくだけでありがたい
のではないでしょうか?
有難うございます。
有難うございます。
有難うございます。
感謝せずにはいられない、
この私がいます。
どうせこのままなら
地獄に堕ちるしかない、
この私を救ってくださる方が、
いらっしゃる、
これだけでありがたいのです。
浄土に生まれ代わりした時に、
わかるのではないですか?
それはお楽しみということ。
いまを生き抜く!
生き抜くしかできない、
この私です。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
念仏行
おはようございます。
ご質問文拝見しました。
僕は師匠から「私」が「浄土で修行」でするものと聞いていません。
この世で皆さんと称える、なむあみだぶつ も立派な行です
修行の果てに成仏できるのでなく、如来に仕立てていただき仏に成る教えが真宗と聞きました。
あと、私のいただきは、娑婆の私たちに法を伝えてくださるお釈迦様のような方は56億7千万年後の弥勒菩薩を待
つけれど、阿弥陀仏や阿弥陀経の六方段にかかれている諸仏が生まれ変わる訳ではないといただいています。
宗派というより、どの師から教えを受けたかで違いが出るように思います。
下書き途中のお見苦しい投稿、失礼しました。
南無阿弥陀仏がこぼれます
御質問有難うございます。本当に有難い御質問下さって有難うございます。
浄土真宗の教えは往生即成仏でございます。娑婆世界から浄土の世界へ生まれるのです。御念仏させて頂く事により如来さまのお力により浄土に生まれる事が決定(けつじょう)し、仏となります。五十六億年間はこの世では長く捉えられますが、仏の世界では期間が短いかもしれませんねぇ、愚かで失礼致しました。 合掌
質問者からのお礼
皆様丁寧なご回答ありがとうございました。とても勉強になりました。宗派によって捉え方が違うということ、本願寺派では往生即成仏であること、そしてそんな事が気になって仕方ない私の曲がり具合も含めて学ばせて頂きました。心より感謝申し上げます。