姑に優しくできない
私は姑が大嫌いです。
結婚してすぐに同居 13年間いろいろな事がありました。
現在、姑は癌を患い今は抗がん剤治療を行う時だけ入院をし その他は自宅療養中です。
そんな姑の事が大嫌いで顔も見たくない、声も聞きたくない、気配も感じたくないと思ってしまいます。
私には4人の子供がいます。
3人目、4人目を妊娠した時、姑は喜んではくれませんでした。
姑は自分に負担が かかる事が嫌だったようで、出産後も無理はしないと言って1人目と2人目の子供の時のようには手伝ってくれませんでした。(この時はまだ癌を患ってはいませんでした。)
0歳、1歳、4歳、5歳の子供を夫がいない時は1人でお風呂に入れる事もよくありました。
うちはお寺です。
男の子が3人いると檀家さんは喜んでくれます。
姑はそんな時、誇らしげにしているのですが そんな時 私は思います。「勝手な人だなぁ」と。
そんなこんなが、たくさんあり今となるのですが 私は具合の悪い姑に優しい気持ちが持てません。
きっと、姑はこうして欲しいだろな、と思う事があるのですが そう思うと「絶対にやってあげない!」と思います。部屋で姑がお茶をこぼした時も気付いてくれと言わんばかりに大きな声で「わぁー」と叫びます。そんな時も私は聞こえないふりをします。
悪気がないフリをして意地悪をするのです。
結婚して姑に出会い自分という人間がこんなに恐ろしい事に驚きました。こんな私が母だなんて子供たちにバレたくない。そう思っていながら姑に意地悪をするのです。
姑に優しく出来れば自分も楽になれるのに出来ないで毎日過ごしてます。
私はどうしたら姑に対して穏やかに接する事が出来るのでしょうか。
姑の為ではなく自分のため、夫の為、子供たちの為に姑に優しくなりたいと思ってます。
私も姑と同じく勝手な人間です。
申し訳ありません。
こんな勝手な私にお言葉をいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのままで大丈夫。
これまでのことを考えれば
姑に優しく出来ないのは仕方ありません。
自分の今の立場を考えて
演技できるならすれば良いし
演技もしたくないなら
それも良いと思います。
あたしもあなたと同じような境遇で
お葬式もしたくありません。
でもお寺なので
そうもいかないなぁと割り切っています。
あなたが先ず優しくすべきは
夫と子どもと檀家さんです。
そしてあなたが姑になった時に
そのような姑にならなければ良いのです。
仏様から見た自分を深めて
こんにちは、初めまして。
同じ寺院ということで他人ごととは思えず、感じたところを書きます。
ご宗旨が分かりませんので、その方向性に違いがあるかもしれませんが、私は浄土真宗の立場から述べます。
「私も姑と同じく勝手な人間です」と末尾に書かれたあなたに、長い紆余曲折を経てたどり着いた洞察の深さを感じました。一方的に姑は悪と決めつけるのではなく、また自分を責めすぎるのでもなく、とてもバランスがとれているように感じました。勧善懲悪の時代劇のように相手を裁けるのが現実ではないという事がお分かりでしょう。また思い悩んで意気消沈して生きる気力を無くしてしまうというのも悩ましいものです。
ただ、その均衡がとれている中で、なお自分の心の黒い部分を問題にされているというところに問題意識の高さを感じます。
姑さんは、3人目、4人目を喜んでくれなかったとあります。当然、孫が増えれば喜んでくれるだろうという目測が外れて、あなたは複雑な思いを持たれたのでしょう。ただ、姑さんからすれば、加齢の体力的な衰えの中で、現実の子育てに掛かる労力を思うと素直に喜べないというのも無理はありませせん。こういったことも、あなたは既にお分かりなのではないでしょうか。
今、その姑さんが癌にかかられて、あなたはこの複雑な思いの総決算を迫られているとお感じなのかもしれません。
本来ならば、姑とも仲良く何でも話し合えてわだかまりなく笑顔笑顔で過ごせれば理想なのかもしれません。しかし、単純でないのが現実です。複雑にしているのは、一人だけの影響ではなく、家族がお互いに影響しあった結果です。その複雑なの現実は煩悩を抱えざるをえない人間だからこそむきあわなければなりません。自分の心の闇の部分が明らかになった、そこで人生は停滞するのではなく、そこから人生は始まるといっても過言ではないでしょう。
煩悩を抱えざるを得ない人間を仏様がご覧になっています。自分から見た自分ではなく、仏様から見た自分を聞き深めるいい機会かもしれません。
ご参考になれば。
意地を張らない方が楽になりますよ
タイトルに書いたことなんて、言われなくてもわかっていると思います。ゆうさんは、真面目で、正直で、優しい方なんですね。そういう優しい人でも、「意地を張っている自分を変える」ことはなかなかできません。斯く言う私も口から出るのは「余計な一言」の方が多いです。思いやりあることを言おうと思っても、言うべき言葉が出てこない。そういう人間なんで、偉そうなことは言えません。相田みつをさんの「つまずいたって いいじゃないか 人間だもの」という言葉を支えにしております。
>
こんな私が母だなんて子供たちにバレたくない。そう思っていながら姑に意地悪をするのです。
>
半沢直樹だったら「やられたら、やりかえせ。倍返しだ!」でいいでしょうが、あれは小説やドラマの世界です。現実の家庭でそんなことをやってはいけないことは重々承知されていると思います。それだけに、気を付けた方が良いですよ。上のお子さんは或る程度の理解力記憶力を有しています。因果応報という言葉が我が身に帰ってくるようにはしたくないですよね。自分自身のこれからの人生のためにも、子供さんたちの教育のためにも、いくらかでも改善したいですね。
まずは、旦那さんと腹を割って話し合ってみましょう。旦那さんはお母様の言動にずううと慣れ親しんできているから、あまり問題に感じていないでしょう。それに姑さんは「息子は味方、嫁は敵。」というスタンスでいるのでしょう。「優しくしてあげたい。ちゃんと看病介護してあげたい。でも、今まで姑さんの言動がトラウマとなっている。」ことを伝え理解してもらいましょう。そして、夫のためにも、姑のためにも、自分のためにも、子供たちのためにも、今の自分を何とか変えていきたいことを伝えましょう。
4人のお子さんを育てながら、姑さんの看病まできちんと勤めることは、たいへんなことです。お姑さんが「ああして欲しい。」「こうして欲しい。」と言っても、すべてに応えることは無理ですね。そのことを旦那さんやお舅さんにも理解してもらい、出来る範囲で介護してあげて下さい。お姑さんに笑顔で答える気持ちにはなれないかもしれませんが、「笑顔を見せるのは自分のためであり、子供たちのためである。」と自分に言い聞かせていきましょう。健康に気を付けて、頑張ってください。
質問者からのお礼
この度はお忙しい中、心救われるお言葉をありがとうございます。
私の気持ちを察してくださった事とても嬉しく思いました。
意地を張らずに視野を広め先を見つめ現状を受け入れる努力をしてみようと思う事ができました。
いただいたお言葉はスマートフォンに残し、大切にしようと思います。
仏さまは善も悪も見てらっしゃるんですね。
なんだか1人ではないと感じられ 穏やかな気持ちになれました。
ありがとうございました。