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自分より稼いでいる友人との付き合い方が分かりません

回答数回答 5
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先日同い年の友人と話していた時に収入のお話になりました。

私よりも友人のほうが収入がよかったです。なんだか悲しかったです。自分もこんなに働いているのにどうして?という気持ちになりました。

こんなことを考える自分も嫌です。その友人とこれからどうやって付き合っていけばいいですか?会う度に私よりも収入がいいんだ、と思いがよぎったり、一緒にでかけても友人にとっては、安い買い物なのかな、、と思ってしまいます。

どうすればいいですか。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せの軌道修正

あなたは幸せの条件として「お金」を入れないことです。
その友人はお金のことを意識するまでは普通にいい人だったのでしょう?
お金のことを意識したトタンに劣等感を感じるなんて今までの友情が悲しいじゃないですか。
幸せになるためには、お金の豊かさなんぞは関係ありません。
幸せになるためには、お心の豊かさこそ!が関わって来ます。
あなたの友人より金持ち何て山ほどいます。
あなたの街のお金持ち、偉い人をテキトーに思い浮かべてください。
幸せそうですか?
あなたの友人より有名な人も山ほどいます。
町も歩けない、パパラッチに追われ、行く先行く先、握手だ、写真だ、サインだ、週刊誌のネタにされ、プライベートもない。幸せですか?
多くの人は「幸せの求め方」を誤っています。
その証拠が今のあなたです。幸せじゃなくなってしまったでしょう?
これをきっかけに幸せの軌道修正を致しましょう。
お金が欲しければその友人からどんどん助言を頂くことです。お金も大事、友情も大事、幸せも大事。でももっと大事なのは智恵で、こころ、ものの見方。そこがきちんとしていないと友情もシアワセもぐらつくからです。

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私もそう思います

 むーらこさん、ワシもそう思います。でも、あなたは素晴らしいですね。それを本人に言わないことが・・・。ワシも収入が少なく、特に僧侶はお寺の格で収入が決まってしまうところはあるので。一時期卑屈になったこともありました。お金の持っている仲間に嫌味を言ったこともありました。でも、今はそうではありません。貧乏暇なしを経験してますが、充実感を味わっています。年々少しづづ上がる収入にトキメキを覚えます。「お坊さんの癖に・・・。」と言う人は放っておいて、ワシは取り敢えず充実感を味わっています。多分仲間に裏切られることもありますが、今まで捨てる神あれば拾う神ありみたいに何とか乗り切ってきました。
 今の状態が無くなると不安にはなりますがそれは皆さん同じと思います。ワシより収入の多い人が次の日に破産した人もいました。経験を積めば気にならなくなることもありますので、それより今をどう生きるか。将来どうなりたいかを考えて今何をすべきかを見直したらいいと思います。後は継続です。止めるのは簡単です。続ける勇気と忍辱(自分で調べてね)を身に着けてください。
 あなたの友人もあなたが収入を少ないことに気を使って一緒にいるかもしれませんよ。

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じぶん銀行こころ支店に「よかった」を入金

他人の良かったことを、じぶん銀行こころ支店に入金してみましょう。

勿論、じぶんのよかったこともですよ。

ご友人の頑張りが、じぶん銀行の預金にたまる、
その払い戻しは、笑顔。

人間は、笑顔で多くのものを得ることができます。
これは自分でやってみないとその効果はわかりません。

でも、他人を妬むこころをもったままのお顔とは、
まったく違うものになるのは、保障します。

誰かの頑張りがじぶんへの投資になる。
そうおもってみると、たにんだけでなく、じぶんも
魅力的になるものだと思います。

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安い人にならないで

一生懸命に働いても収入に差が出る、納得いきませんよね。世の中は不公平で理不尽なものですから、むーらこさんがそう感じるのはごく自然なことなのです。
あとは、まあ、仕方ないよな、ぴったり同じなのも変だよな、自分が多くて他人に気を使うのもな、などという風に気持ちが変わっていければいいですね。

一緒にいて気持ち良い人には自然と人の輪ができます。世の中のお金は全て誰かの持ち物です。人が寄って来なければお金もよってきません。
何かを買われた際、「安い買い物をした」と友人が思うかどうかは分かりませんが、あなたが安い友だち、安い人間にならないよう、に気を付けることはお互いにとってよいことだと思います。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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お釈迦様の托鉢

むーらこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かにどうしても気になって比べてしまうことの一つとして、「収入」がありますよね。。

「比べる」ことにつきましては、最近の問い「父が亡くなって3ヶ月」( http://hasunoha.jp/questions/404 )にて扱わせて頂いております。

さて、世間では収入の高低が一つの価値の高低の基準としてありますから、それはそれで仕方のないことでございます。

お金は確かに大切です。しかし、お金が全てではありません。また、お金と幸せが比例しないことは世間の様々な例が示す如しでもございます。それでも無いよりか有る方がというのも否定はしませんし、とにかく、何をするにしても当然に先立つものがなければ、正直、何もできないのも現実です。お金は必要です。しかし、お金というものは、あくまでも人の信用という価値によって成立しているもので、時に非常に危うく脆いものであるということも良く理解しておく必要があります。価値が下がる前に有意義に、有効なことに使って参りたいものでございます。

さて、仏教的には収入についてどのように考えるべきか・・もちろん、お金の問題は、執着や煩悩の対象となりやすい最たるものであるため、特に気をつけることが必要となります。むしろ、有るならば必要最低限以上のものは、喜捨布施致すことでの善い行いに使って、善業を積むことを推奨することとなります。そして、またその善業による結果として善い報いがあれば、より一層に善業を積むことにするようにと致せれば尚善きこととなります。

お釈迦様の托鉢のエピソードの一つとして、托鉢に出られる際には、貧しい家々のところを意図的に廻られたと言われています。普通に考えれば、金持ちの家々を廻ることが当たり前だと考えるはずでしょうが、そこには仏教の考える因果応報論、業論の深い洞察が含まれているところで、それは、貧しい者たちが貧しさから逃れられない因果の流れをどうにか喜捨布施という善業を積むことにより、その貧しさから救い出してあげたいという慈悲の想いがおありであったためと言われております。

とにかく、収入云々よりも、どれだけ善徳の行いに対して、お金も上手に使っていくことができるかどうかについて、この度は少しお考えを賜われましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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